【小説】謳う彗星(ほし) その1

※「劇団くじら座」制作の同人ノベルゲーム「ティアマトの星影」の特大ネタバレを含みます。

 ——次元の長いトンネルを抜けると、そこはあお惑星ほしだった。夜の底が燦めきの蒼に染まった。
 恒星に干渉しない絶妙な座標で進行を止める。よし、だんだん停泊もうまくなってきたってもんだ。
『——貴女のそれは、いわゆる「路駐」というやつではないですか』
 身体ぜんたいに響く声。「わたし」の同乗者が、呆れた声でもの申すのはいつものこと。
「あのね、ここには切符を切ってくる宇宙警察パトロールもいないんだから。なに、君って誰も見ていないところでも赤信号できっちり止まるタイプ?」
『……それ以上はいけない。危険すぎます、燃え盛る気配がぼうぼうします、やめましょう、その議題アジェンダは』
 肩をすくめる。すくめる肩もないんだけど。
「そういえば、わたしたちってあっちの宇宙の「宇宙連邦」だと、いちおう「大型船舶」に該当するらしいんだよね。気をつけないと、あっちの宙域じゃほんとに切符切られちゃうな……」
『……クラークも、そこのところに手心を加えるつもりはなかったのでしょうか。貴女もいちおう『生命体』でしょうに。かの者がいちばんわかっていたはずでしょうに……』
「うーん……どうかな、アルが生きているうちに制定された法律じゃないんじゃないかな……」
 法典など読む機会もそうそうないので、細かな施行年とかはよく知らない。
『まぁ、星の子ヒューマンのかかる分類はある意味で理にかなってはいるのですが。ほら、聞いたことがあるでしょう? 貴女の種族が宇宙戦艦スターシップに改造されて供される文明すらあるということを』
「うへぇ……悪趣味……」
 聞いただけで怖気おぞけが走る。
『そこだけ切り取れば、ですよ。なんでも、搭乗者との間に絆が芽生えたというケースも見聞したことがありますから。ほら、ちょうど目の前の惑星で、貴女自身が紡いだような絆です』
「…………でもさ、それって「意識」を保ったままで、わたしたち自身がスターシップになるってことでしょ? ますます無理だよ、そんなの……」
『……そも「意識」をどのような定義で用いているのですか、貴女は? たとえば、私のごとき『星の記憶』は——』
 まーた始まったよ、「ロジハラ」ってやつがさ。
「だぁ、わかったよ……ほらほら、着陸するから、精神体投影準備っ」
『まったく、議論の腰を折らないでいただきたい……準備はよろしいか——マト』
「うん、おっけー」
 銀河系の辺境に位置する太陽系、その第三惑星の近傍に路駐した「わたし」をそのままに、イメージだけとなった「わたし」を惑星の地表に投影する。
 あ、ごめんね、申し遅れちゃった。
 わたし、ティアマト。今をときめく宇宙くじら、「星渡りの使命」を継ぐもの。
 星の子(人間ってことね)の年齢で換算すると、花も恥じらう19歳。
 愛称はマト。漢字で表記すると眞都、意味は「ほんものの美しさ」。もっと幼い頃に呼ばれてた愛称は——ティア。
 このたび——人生(鯨生?)最初の里帰りで、太陽系第三惑星に帰ってきました。

     ○

「——どこ、ここ」
 山の中で、わたしは途方に暮れていた。
 今、わたしは「星の子」の姿の精神体で、見知らぬ夜の山中でひとり突っ立っている。ふわりと白い貫頭衣みたいな衣類を頭から被って、足には靴も履いてない。その昔、わたしが幼い頃に精神体として投影していた少女の姿を、そのまま大人にした姿って思ってもらえればいいかも。
 ちなみに、せっかく大人になっているんだから自分のキャラクターデザインも一新しようとはしたんだよね。でも、わたしの旧友が「いい? 白ワンピースってのは、いっちばんウケがいいんだよ! だから、大人になっても、ぜひそのままでいてほしいな……!」って言っていたのを思い出して、なんとなくそのまま。
『だから言わんこっちゃないのです。座標がずれていたんですよ、投影の……』
 ノアがぶつぶつ文句を垂れている。ちなみに、このキャラデザは「星の記憶」の一側面であるところのノアにはすこぶる評判が良くない。もっと年相応に! だって。うるさいなぁ。
「なんで照準合わせのサポートしてくれなかったのさ、ぶーぶー」
『しましたよ、それはもう懸命にしましたとも。貴女がこの列島の反対側に照準していたのを、投影数秒前に私が気づいて慌てて補正したのがそもそもの原因です』
「……ブラジルの人、聞こえますか〜」
『マト、そのネタはもう古——いや、待ってください。もしかしたら、そのネタが現役か、もしくはそれほど古びてはいない年代に——』
 頭の中でぶつぶつ呟かれても怖いんだよね……って、ちょっと待った。
「え、うそ、また年代までズレてた……!?」
『まったくもう……『潜行』も少しはうまくなってきたと思いきや……』
 ……この惑星を旅立ってから、何度か次元を越えて『潜行』した。はじめはおぼつかなかった『潜行』も、大人の身体になって慣れてしまえば、少しずつ楽しくなってくる自分もいたり、いなかったり。
 幼い頃は身体が『潜行』の重圧に耐えられなくて、それでも無理して『潜行』し続けたもんだから、精神も身体もぐっちゃぐちゃになって……結果、あの有様。
 ノアによれば、星の子の年齢換算であのとき10歳前後、太陽系第三惑星に「彗星」と「わたし」が分離してそれぞれ墜落したときが、星の子の年齢換算で17歳くらい。けっこう長い間無理し続けてたみたいだ……
 ——でも、わたしはあの時間を後悔しない。あの苦しみの果て、手にした星影を——わたしは今も、心に秘め続けているから。
『……座標を特定しました。この惑星の暦に換算すると、貴女がこの惑星を旅立ってから、実に七年も前です』
 ……ぼうっと考え事をしていたら、ノアが現在地を特定してくれたらしい——って、待ってほしい。
「……七年も、前?」
『ええ、七年も、前』
 ……さすがにクラクラしてきた。
「それって……みんな、10歳かそこらの子どもってことじゃん!!」
 わたしの叫び声が山中に谺した。まさか、何も知らない子どもたちと楽しく遊んで、なんてことをしてもいいんだけど、いやちょっと待ってよ……
 なんのために来たんだろう、いったい……
『残念ながら、旧交を温め合うこともできませんねぇ……ちなみに、場所は長野県の山中、木曽山脈あたりですね。ご存じですか、この辺りには星空が綺麗に見えると評判の村があるそうですよ』
「ふうん……それって、御浜より?」
 すっかり気分が落ち込んでいたわたしは、投げやりに問いかける。
『一概に決められるものでもないでしょうが……霊験的な意味では、御浜と大差ない数値ですね』
「……そう」
 霊験的な意味で御浜の数値を異常なものとしてしまった「原因」としては、ちょっとばかし耳を塞ぎたいところ。
 でも、ここの数値の異常は、何が原因なんだろう……って、考えても仕方ない。
「しょうがない、時代も場所も違うんじゃ。ねぇノア、みんなに会いに行くのはまたの機会に——」
 言いながら、きびすを返して「本体」に戻ろうとするわたしの視界に飛び込んできたのは——
 ——激しく燃え盛る、山の斜面。
「ねぇ、何かあった——?」
 知らず、囁き声。
『……山火事のようです。「星の子」の、いわゆる交通事故に起因したものではないかと。ちなみにですが……生命反応が、ひとつだけ』
 ノアも、自然小さな声で応答する。
「……ノア、行こう」
 嫌な予感というものを、わたしはなんとなく信じている。
 今まで、その「予感」が外れたことは——嫌になるくらい、ほとんどなかった。

     ○

 ——小さな子どもが泣いていた。曲がりくねった山道で。
 ——目の前には、闇夜を切り裂く朱色あかいろほむら
 崖からはみ出して、今にも墜ちていきそうな一台の車が、燃え盛っている。もう一台は大破して、すでに谷底。
 ——均衡を保ったまま燃え盛っている車の中に、すでに消し炭となった「星の子」がふたり、先ほどまで生きていたことをわたしはたしかに感じ取る。
「——ノア、あの車にいた……ふたりの個体名って、わかるもの?」
『……マト、宇宙くじらも「星の記憶」も、いち個体には気を払わない』
 そんなものは建前だ……
「お願い……ノア」
『…………検索完了』
 ノアが、囁くように言った。
『個体名だけで十分でしょう……運転席には鍵村輝夜かぐや、助手席には水瀬恒河こうが——星のよく見える村から帰る途中の、事故だったようだ……』
「…………そう。ありがとう、ノア」
 言って、静かに歩き出す。
 事故の原因は、永遠にわからない。どうして、ひとりだけ助かったのか、チャイルドシートに座っていたはずの子どもが、どうして開け放たれた後部座席の扉から放り出されるように路上に投げ出されたのか、真相はわからない。
 ただ、今にも谷底へ吸い込まれそうな乗用車にいるふたりと、すでに谷底で原型を留めていないひとりに、届きもしない祈りを携えて——
 言いようもない哀しみを抱えて、歩いていく。泣き叫ぶ、小さな子どもに向かって。
 ——もう、どちらも帰らないって識っているのに。
「……」
 どうして——
 どうして、君がこんなにも苦しまないといけないの——
「慧斗——」
 ——子どもが、わたしを見る。
 その目——怯えと、哀しみと、祈り——
 ——絶望。灰色。その一色に、強すぎる絵の具の色に、様々な感情で彩られていた瞳が塗り替えられていく。
 心が軋みを上げて、じき壊れてしまうかもしれない。
 軋む前に、その痛みに耐えかねて——加速する償却を迎える前に、自らを除却処分してしまうかもしれない。
『心配しているのですか、マト。よもや、助けるなどと言うつもりですか。彼の心が壊れるか——自ら命を絶つかする、その前に』
 ノアが静かに問うた。
「……目の前で、何も気にするなって方がおかしいよ。無理だよ、そんなの……人間失格だ」
『貴女は星の子ではない……』
「違うよ、ノア。「星渡り」の矜恃きょうじにかけても、護るべき一線があるはずなんだ」
 目の前の男の子を、壊れてしまわないように抱きしめる。懐かしい、温かな感覚……
 少なくとも——わたしは、ずっと遠い昔に、お父さんから、お母さんから、群れの仲間たちから教わった。
 わたしの家族になるには、あまりにも偉大すぎたお姉ちゃんから教わった。
 傷つき続けて宇宙の果てに流れてきた、本当は誰より心優しいお兄ちゃんから教わった。
 今にも壊れそうな、目の前の少年から——わたしは、大切な星の光をもらった。
「不思議だったんだ、わたし……どうして、慧斗が「星の目」を持っていたのか——」
『……私から、権限を付与した記憶はありません』
「わたしもだよ、もちろん……」
 星の目。遠大無比なる「星の記憶」にアクセスする権限を有した者が所持する、七色の瞳。
 どの段階のアクセス権限にせよ——「星の子」の身には過ぎたるもの。
 ——「星の記憶」を取り戻しつつあった「星の子」の身体のわたしと、同時にわたしとのリンクを有していた慧斗が苦しんだ一番の要因は、つまり存在構造のスペック不足なのだった。
「でもさ、もっと不思議なことがあるよ……わたし、この光景を識ってるんだ……」
『……彼の記憶、夢で見たのですね』
 慧斗と繋がってしまったとき——夢で見た、悪夢のような記憶。
 そっか——わたし、幼い頃の慧斗の目からは、あんな綺麗なお姉さんに見えてたんだね。
 嬉しいな、すごく……
「ねぇ、ノア。怒らないで聞いてね……」
『それは、もちろん程度によりますが……』
「わたし——「星渡り」の使命を継ぎしティアマトは、その名において「管理者権限」を行使します。この子、水瀬慧斗に——「星の目」の権限を付与するよう命じます、遙かなる「星の記憶」よ」
 わたしは、慧斗を抱きしめたまま静かに言った。
『…………もちろん、止められません。「管理者権限」の行使とあっては』
「ありがとう、ノア……」
 腕の中で嗚咽している慧斗の目を見て、わたしは静かに口を開く。
「わたし……わたしね、慧斗……やっぱり、君を放ってはおけないよ。
 理由なんてないよ……今度は、わたしが君の力になってあげたい。ただ、それだけなんだ……」
 子どもは、ぼうっとわたしを見つめている。
 その目から、少しずつ灰色が抜けていく——
「ねぇ、慧斗——君は決して、空っぽなんかじゃないよ……」
 言いながら、言葉が震えていくのを自覚する。
 わたしはこれから、罪を犯すんだ……
「これから、君はたぶんいろんなことを忘れてしまう……そうだね、ごめん、わたしのせいで……
 でも、このままじゃ、君が悲しみで壊れてしまうかもしれない……
 それをただ、黙って見ているだけなんて、わたしにはできないから——」
 言いながら、男の子の額に手を添える。
「——でもね、それは決して失ってしまったわけじゃない。
 それは、これまでも、これからも——
 ずっと、君の中に在り続けるはずだから——」
 ——まばゆい光が辺りに満ちる。
 少年の瞳が、七色の光彩をもって燦めいた。
 その目には、何が見えているんだろう——
 わたしは、今——繋げてしまったのだ、この小さな子と、宇宙の記憶を——

『——救助隊の音が聞こえてきます。その子を任せて行きましょう、マト』
 ノアがおずおずと声をかけるまで、わたしは子どもと一緒に放心していた。
「……うん」
 頷いて、子どもを見る。
 ぼうっとしている。絶望に囚われてはいない。
 ただ、ここではないどこかを見ている——
『……「星の目」のチャンネルは、成長するに従って、少しずつ合わせづらくなるでしょう、もともとがそういう性質です。
 そうですね、よほどの空想家でなければ、保持することすら難しい……』
「そうだね、わたしが知ってる慧斗は、無神論者で現実主義者さんだから。きっと、大丈夫……」
『ええ。貴女と出会ったときも、自らの「星の目」なんて綺麗さっぱり忘れ去っていましたものね……』
 ……でも、副作用はきっと残ってしまう。
 そのことを、わたしも、ノアも話題には出さなかった。
 今、わたしがしたことは——悲しみを、無理やり封じ込めたに過ぎない。
 慧斗が時間をかけて癒やすべき傷を、治すための時間を、わたしは奪ってしまったんだ——
 彼はその間、ずっと自分が「空っぽ」だと悩み続けることになる……
『……マト。先ほどの迷いなき姿はいったいどこへ?』
「ノア、でも——」
 知らず、声に涙が混じる。
 情けないわたしの顔を、子どもがぼうっと見上げている。
『ねぇ、ティア——癒える機会を逸した彼の心の傷は、かつての貴女が癒やすんですよ……これから、七年後に』
 ノアが優しく言った。
「そっか——うん、そっか……」
 頼むね、17歳の、星渡眞都……
 視界がぼやけて仕方がない。
 涙を流す機能なんて……星の子の、最大の構造欠陥だと思った……
 ぼうっとして、なおわたしの腕の中で泣いている子どもの頭をひとつ撫でて……柔らかな頬に、そっと口づける。
 そして——わたしとノアは、彼を残してこの惑星ほしから立ち去った。
 どうか、また逢えますように——そんな祈りの残滓を置いて——

     ○

『今回のことで、私も改めて識りましたよ、ティアマト——』
 路駐していた「わたし」に戻ったわたしに向かって、ノアが出し抜けに言った。
「……何を?」
「星の記憶」のエウレカ! なんて、きっと途方もない規模感の気づきなのかもしれない。
『なに、一般論ですよ』
 ノアは照れくさそうに言った。
『すべては繋がっている——ということです』
「……ほんとにどうしようもなくつまんない一般論だね」
 やっぱり、この声の言うことは話半分に聞くべきだ。
『……立ち直りの早すぎる貴女には言われたくないというものだ』
 ……そっか、立ち直りが早いように見えるのか。
 これでも……引きずらないように、努力しているつもりなんだけど。
『マト……こと宇宙くじらの一生においては、タイムパラドックスなどという現象は存在しないのかもしれませんね。
 だから——貴女は、貴女の思うまま生き、「使命」を果たしなさい。私は、それを最後の刻まで見守ろう』
「もとよりそのつもりだよ、ノア」
 もとの「わたし」に戻って、一息つく。
 それから、ゆっくりと泳ぎ出す。
「ノア……わたし、たぶんこの惑星ほしに、何度も来るよ」
 ふと、そう呟いた。
『それは、そうではないのですか? 貴女の大切な場所でしょう……』
「それもそうだけどさ。なんとなく、そう思うんだ」
 この宇宙にたった一頭残った宇宙くじら。
 遠くの海には、わたしの仲間がいるかもしれない。そう思って、今も次元の海を泳いでいる。
 たまに、星の一生に居合わせて、しかるのち「使命」をまっとうする。
 それが、わたしの来し方。わたしの行く末。
 だけど……
「……案外、ノアの言うとおりなのかもしれないって、今思ったよ」
『どういうことですか?』
 次元の海に潜る直前、わたしは笑った。
「すべては繋がっている——ってこと、かな」

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