AI の絶妙な効果: tofubeats の「NOBODY」
だあれもいない。ただただ,かなしい。けど,しかたがない。
AI がこの歌詞を歌う効果
tofubeats の NOBODY。人間じゃない AI が歌う。
AI は意味を理解しているわけではないから,AI は当然「君のこと ずっと待ってたよ」と歌うとき,誰かのことが頭にあるわけでは全然ない。人間だったら,そう歌うとき,日常生活で日本語を使っているひとだったら,「君のこと」と歌うとき誰かぼんやりした像が頭に浮かぶかもしれないし,「ずっと待ってたよ」と歌うとき,ある感情を生じるだろう。でも AI にはどんなイメージも感情もない。
けれども,人間は「君のこと ずっと待ってたよ」と歌われると,とたんに情動がわきあがって,いろんなイメージが浮かんでくる。歌っている側には情動がないのに,聞いている側には情動がある。
作り手と受け手の間にAI を挟んで,「君のこと ずっと待ってたよ」と歌われると,なんともいえない,寂しい気持ちがわきあがってくる。
気持ちというのは,ひととひとをつなぎあわせる役目がある。誰かが酷い目にあって泣いている。それを知った私もまた悲しくなる。気持ちがつながったら,助けるという行為につながるかもしれない。こんなことをしたら,誰かを悲しませることになる。だから,悪いことはしない。そんなふに行為を禁止することにつながるかもしれない。気持ちというのはそういうふうなはたらきがある。
AI の歌で情動が駆り立てられる。けれども,この気持ち,この気持ちにさせるひとは実在しない。そう頭で理解すると,なんともいえない寂しさが生じる。つながっていないんだ。なんだかひとりぼっちのようにも思える。
私も探しているような気持ちになる。歌っているひとを。でもいない。
AI がこの歌詞を歌う効果って,ものすごい。だあれもいないやっていう感覚が増幅していく。人間ってどういう生き物なんだろう。人間にとって情動ってなんだろう。つながるってどういうことなんだろう。次から次へと問いが重なり合う。なんて,想像力をかきたてる曲なんだろう。
AI がこの歌詞を歌う効果って,ものすごい。
文字はどうなんだ
けれども,ふと思う。AI が歌うということ。新しい技術だから,なんだかこころがざわめくだけなのかもしれない。
だって,文字はどうなんだ。本に印刷された文字はインクじゃないか。そこに感情もなんにもない。そのインクのパターンから,私たちは意味を生み出し,情動を掻き立てられたり,思考を進めたりしている。AI が歌うのとおんなし。
文字が感情をもたないからといって,寂しい気持ちには,私たちはならない。
感情がない存在とやりとりをすること
文字は感情をもたないが,その文字の向こうには作者がいる。作者が AI ということは現段階ではない。AI の技術をつかって,ひとが作ったもの。作者はひとだと考えるべきだと思う。設計やデータの準備や方向性はひとが決めるのだから,ひとがとても迂遠な方法で作った作品だと考えるべきだ。
けれども,その人間に感情がない場合もある。感情はあるのだろうけど,自分たちとはつながることのないひとたち。アメリカでは国内が右と左とに分かれているという。本を頼りに推測するしかないけど,情動的につながりがない者同士が話し合うのはとてもたいへんだろう。
けれども,これからの社会はそれを乗り越えていく方法を考えていくことになると思う。人間が共通してもっている情動のわくぐみ。ちがいももちろん多いだろう。集団によってもちがうし,遺伝的にもちがうだろう。けれども共通点があるはずだし,それを頼りに話になる方法を考えることもできるはずだ。
AIを表現に使う効果
メッセージを発信する際,誰がそれを話すかが重要だった。けれども,メッセージのその意味を伝えたい時には,それはひとじゃないほうがいいのかもしれない。結局,メッセージは誰か人間がつくるわけだけど,そのメッセージをストレートに伝えたいのなら,AI のほうがいいかもしれない。
禁止薬物を使って逮捕された俳優が映画である役をやっている。その役者の背景は役に別に意味をもたせてしまう。悪役だから,いいってわけじゃない。
AI を表現に使う効果は,場合によってはものすごくあると思う。
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