例大祭二日目の朝。足が痛いです。
先週noteの使い方を変えてから更新頻度が高くなったけど、ちょっとまた考えさせられる文章を(例大祭で買った本に載ってた内容から)見つけた。
確かにこれにしろTwitterにしろ、思ったことをすぐ発信できる世の中だ。その発言で誰かを傷つけることになるなと。
この文はサークル「アル雀点五」さんの『幻創と神主』という本に載ってて知ったものだ。
この本は神主ZUNについての考察をまとめてあり、神主研究が日課(?)の(ゆっくり研究はどうした)私にとっては非常に面白いと思ったので昨日の例大祭で購入した。
気楽に発信すること
話を戻して。
気楽に発信できることで大きな戦争になることは、表現規制論の件で私も見ている。もはやあれは揚げ足取りに近いが、気楽に発信することで魚拓がとられ、ツイ消しをしても残り続ける……というループになっている。
私もたまにTwitterで意見がぶつかる時があるが、感情論を入れず「私はこう思います」などと意見を言う人と議論するときは、意見を尊重されていて、私も意見を尊重しようという気になるのでとても気持ちが良い。
神主は、結果的に自分が正しいのか正しくないのかではなく、その考える過程に意味があるのだろうと、そこに尊重が生まれ、価値となると言っているのだと思う。言われてみれば神主はずっと結果よりも過程を重視している。この考えも、その神主なりの根本的な考えがもとになっているのだろう。
熟考する
ブログのような雑記としての使い方自体は変わらないが、私はnoteのつぶやき機能は使わないのだから、もっと塾孝してから記事を投稿するようにしよう。