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自分のことは自分で決める

私たち家族4人が10年間も住むことになった京都大学吉田寮。
吉田寮が発行する「吉田寮通信」によると、京都大学の敷地内にある100年以上の歴史を持つ学生寮で、全国でも希少な自治寮として運営されている。
大学との間で問題が生じた場合には、公開の場で話し合って解決を図ってきた。(京大法人が2019年4月25日に一部の吉田寮生を訴えた裁判は勝訴したが、寮生側は現在も大学との話し合いを望んでいる)

寮費は月2500円で、金銭的に余裕がなくても安心して勉強に取り組み生活することができる。実際「吉田寮が存在しなければ大学に通えなかった」と話す人は現在も多くいる。
吉田寮の自治は大学や職員に管理されるのではなく、寮に関することは全て自分たちで話し合って決める。(彼らはそれを「話し合いの原則」とよく言っている)

どこまで話し合うのか?いつまで話し合うのか?と思うだろう。
吉田寮では月に数度総会が開かれていて、大勢の寮生が参加するのだが、どこまでも話し合うしいつまでも話し合う。つまり、出席者全員の合意が取れるまで朝まででも話し合うのである。
彼らは、京大生でもない私の拙い話し方でも平等に話を聞いたし、京大生である連れ合いの家族として寮生になった(と思っていた)私のことも、平等に一寮生として扱った。

振り返って、これまでの私の暮らしはどうだったろう。ありきたりな人生に違和感を持ち群れたりするのは嫌ってきたけれど、常識に囚われてきたのではないか。好きな人と一緒に暮らしたいだけだったのに、「結婚」を機に次なるポジションが与えられ、「私」個人はどんどんなくなっていった。
考えてみると父は母に少し権威的だったし、母も父に従順な環境だった。地域も学校も、対等に話し合える場はなかった。

入寮した頃、印象に残っている出来事があった。寮の説明や案内の世話をしてくれた寮生が、どう呼ばれたいかを聞いてきたのだ。私は戸惑った後、苗字でなく名前の「はるみさん」がいいと答えた。
その後10年間、私は寮で「はるみさん」と呼ばれることになった。在日韓国人の連れ合いは生まれて初めて、通名ではなく本名で暮らせる悦びを味わっていた。

話し合うことは面倒臭い。けれども、互いの存在を認める行為は、権力や慣例で潰されるのを和らげ、自律に近づく最短の路のように思う。

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