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吉田寮の暮らし

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入寮してからの話
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記事一覧

自分のことは自分で決める

私たち家族4人が10年間も住むことになった京都大学吉田寮。 吉田寮が発行する「吉田寮通信」に…

息子とゲーム部屋

息子は下校後や休日の姿が見えない時は、たいてい管理棟にある「ゲーム部屋」で数人の寮生に混…

相部屋が原則の「部屋割り」

私たちの入寮前は、中寮2階は個室だった。一定の相部屋経験を条件に、院生のみが利用できた。 …

シャワー室

焼失したシャワー室と洗濯室が再建されたのは、吉田寮に入寮して2年目のことだった。 食堂の北…

膨れ上がる留学生

吉田寮が留学生を受け入れ始めてからというもの、その数は急激に増え始め、私たちが退寮するこ…

苦学生

吉田寮には苦学生が多かった。 当時の京都大学は、合格者の親の平均年収が1,200万を超えていた…

22部屋分の炊事場

吉田寮の各階廊下の真ん中にある炊事場(兼洗面所)には、2口コンロが2台置いてある。 一応換気扇も付いているけれど、羽根からは油が滴り落ち、ガス口は噴きこぼれの汚れなどで詰まって、4口のうち2口使えればいい方だ。 棟の最西端に住んでいた私たちの部屋からは30メートルの距離。お湯を沸かすのにも一苦労する。 調理には鍋や食材をはるばる運ばねばならず、醤油ひとつ運び忘れても居室に取りに戻らないといけない。使用中のコン口を確保したまま炊事場を離れるのは難しく、やむなく一旦火を止めると

苦難の「体育館シャワー」

吉田寮は、火災で洗濯室だけでなくシャワー室も失った。 彼らの多くは、講堂横に授業やクラブ…

洗濯室

吉田寮には食堂の西側に洗濯室とシャワー室があったが、私たちが入寮する半年前に火災で焼失し…

夜の騒音

これまでの一般的な家族での暮らしから学生寮の暮らしに順応するのは、簡単ではなかった。 吉…