受験生ブルースとかわら版(2015年)

今日の発見により書き始めた文章(2015年)。


   中川五郎の「受験生ブルース」が初めて印刷媒体に載るのが68年の「かわら版」である。中川は高二でこのうたを作る。これは、真崎義博がボブ・ディランの「ノース・カントリー・ブルース」を替え歌にした「炭坑町のブルース」が中川「受験生ブルース」へ替え歌になったものである。この「うた」は同じ号の「かわら版」に真崎の「炭坑町のブルース」の歌詞の次に掲載されていた。そして「かわら版」によると、この「炭坑町のブルース」はボブ・ディランを翻訳したものであった。しかし、これはまだ高石友也の作曲ではない。

   この曲は、東京フォーク・ゲリラ「機動隊のブルース」へと変奏されてゆくことになる。その前に高石友也が「受験生ブルース」としてレコーディングすることによってメジャーレーベルから発売される(発売は68年3月)。そして、中川作詞・高石作曲とクレジットされた「受験生ブルース」の歌詞とコード譜が掲載されるのが、68年の「かわら版」である。URCの広報誌「うたうたうた フォーク・リポート」が創刊されるのが69年1月なので、「かわら版」はそれまでURCでレコーディングされる曲の歌詞やコード譜も掲載されていた。また、「フォーク・リポート」わいせつ裁判においても常に動向をフォローしていた。つまり、「かわら版」は「フォーク・リポート」に先行しある部分で準備と補完する媒体であったと思われる。

   このようなミニコミやレコードのネットワークの中で、様々なエージェントやアクターが絡まり合いながら「うた」が誕生し生成して行ったのである。その軌跡を知るには複数の媒体におけるネットワークを調べる必要がある。

  次は東京フォーク・ゲリラによってうたわれた「機動隊のブルース」とフォークソング運動という音楽空間について。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?