1969年の関西フォーク

URCレコードが出していた『フォーク・リポート』の内容から考える。
この時期のフォークソング運動には、放送禁止歌やフォークゲリラ、市民運動との関わりが指摘出来る。

1969年年9月号
座談会・マスコミ企業の自主規告の実態とフォーク運動の展望 竹中 労,伊藤 強,坂元良江,高石友也.秦政明
発売,放送禁止されたうた
URCレコード誕生の意味 広瀬 勝
と反戦フォークコンサートについての記事。

そして、10月号には、室謙二による「西口からのメッセージ」、室は東京フォークゲリラについて鶴見俊輔の限界芸術論を引用しながらその運動に意味を与えようとしていた(詳しくは、とりあえずは粟谷2012「戦後日本の知識人と音楽文化」、改稿の上、粟谷『限界芸術論からの文化研究』ハーベスト社から刊)。

11月号では「われわれのフォーク運動をどう進めるか
8月 8日ハンパクフォークコンサートにて/8月11日 フォーク ・ゲリラ集会にて/投書より」という特集が組まれ、三橋一夫による「東京フォーク・ゲリラ始末記?」というレポートが掲載される。
これらが運動体としてのフォーク運動の問題設定と考えることができる。そしてフォーク運動は音楽と音楽外の社会状況と強いつながりを持っていたのである。

69年にフォークゲリラの新宿西口広場からの排除、70年にはいわゆる「ふたりのラブジュース」の摘発でフォーク運動は沸騰するのである。

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