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【読書】『ピダハン』 D.Lエヴェレット著 屋代通子訳

この本は、ピダハンというアマゾン奥地の少数民族の言語についての学術書だ。
著者のエヴェレットはキリスト教を布教する宣教師としてピダハンの村に入り、彼らの言語を30年以上に渡って調べ、そのユニークな世界観を知った。
前半は学術書ではなく、冒険物語として読める。
後半はピダハンの言語から、世界観から分かることを言語学者の視点から語るノンフィクションともいえる。

ピダハンはアマゾン奥地に400人を切るほどの極小数民族で、ピダハンの言葉は彼ら以外には使われない。
エヴェレットは1976年に初めて現地の村に入り、生活しながら言葉を学ぶ。
ピダハンの言葉には、数がない。数がないということは、今日、明日がない。
彼らはいわゆる未開の人ではない。ブラジルの文明に触れながら生活している。現代の文明に触れながら、数という概念を持たずに生活している。

エヴェレットは、長く暮らしているうちに彼らが「直接的な体験」しか話をしないことに気づいた。彼は、これをピダハンの文化の制約である、ということに気づいた。
言語学についての詳細は、僕自身が不明なため、詳細は書けないが、このことは言語学の常識から真っ向から対決することだった。
文法についても同様で、ピダハンの文法には、再帰(リカージョン)というものがない。これも言語学の権威に真っ向から対決することだった。
エヴェレットはこの事実を発表することにより、言語学の世界に論争を巻き起こした。

エヴェレットは科学的な方法でピダハンの言葉、文化の世界を明らかにしていったが、ピダハンの文化に触れるうちに、「科学の目的からは遠く離れた何かを教わることもある」(362ページ)ようになった。
キリスト教を布教する宣教師だった彼は、無神論者になったのだ。

ピダハンは神様を理解できる。
しかし、神様を(比喩ではなく)見たこともなければ、聞いたこともない。
だから、神様についてのどんな話にも興味はない。

ピダハン後には「心配する」に対応する語彙はない。
心配する必要がないから神様はいらないのだ。
抑うつや慢性疲労、極度の不安、パニック発作などが見られない。
彼らが精神的に困難になる状況がないわけではない。疾病、毎日の食料の調達、高い乳幼児の死亡率、獰猛な爬虫類や哺乳類、危険な虫に煩雑に遭遇する。文明に近いことから彼らの土地を侵そうとする侵入者の暴力もある。
だが、彼らは慌てない、心配しない(384ページ)。

ピダハンにきた研究グループは、「ピダハンはこれまで出会ったなかで最も幸せそうな人々だと評していた。」(385ページ)
これはほほ笑んだり笑ったりする時間が長いことからも分かる。

普段は自転車通勤をしている僕は、今日は雨のため電車で通勤した。
通勤電車の中で幸せそうな顔している人は自分も含めて見たことはない。

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