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【読書】ヴァナキュラー・アートの民俗学 菅豊 編 東京大学出版界(2024)

本書の序章で「ヴァナキュラー(vernacular)」という用語は、いろいろな対比の中で「…中央に対する地方…有名に対する無名、高踏に対する世俗…仕事に対する趣味…他律に対する自律…洗練に対する野卑…教育に対する独学、テクノロジーに対する手仕事」(p4)とされている。ここに書いたのは僕の好みで選んだもので、対立する概念であれば当てはまり、ヴァナキュラーは常に強弱の弱、大小の小、中心と周縁の周縁を指していると考えて良いと思う。本書はこの視点を持つアート、ヴァナキュラー・アートを民俗学からのアプローチとして5章の理論、4章の造形としての実践、4章の表演としての実践の計13章で俯瞰している。

僕は個人的として「ヴァナキュラー」という単語がとても気に入っている。僕の好みは前述のいろいろな対比の中から選んだ対比だ。
どうも中心にいると自分らしくなく感じる。若いころは周縁にいて、中心を倒す、ひっくり返すということが生きがいみたいなところがあって、本来は「権威を疑え」などと口にしていたこともあった。さすが今は成長(?)して、中心の大切さも理解しているつもりだ。それでも周縁にいてバカをしているのが楽しい。
今は東京に住んでいて地方からみたら中心かも知れないが、住居は板橋区という東京の周縁部だし、板橋区の中でも練馬区の近くという周縁部だし、昔の谷戸の周縁部なので急な坂が多い場所だ。こうして考えると「体質的」なものかも知れない。

さて、民俗学からアプローチには理論的なアプローチとフィールドワークとしてのアプローチがある。前者はヴァナキュラー・アートの立ち位置について語ろうとしているが、ヴァナキュラーという概念が20世紀後半から使われるようになったため、以前からの使われていた概念と重なる部分(まさに周縁)が多く、立ち位置の確保に苦労している感じを受けた。また、アートそのものの考え方だけど、僕はアートは人が「どうしようもなく、それしか表現できないエネルギーの発現」だと思っている。だからアートという言葉はいらないと思う。アートと言った瞬間に、マーケットがあり、もしかするとグローバルなんて意味が入ってくる感じがする。

一方、フィールドワークの視点は本書を読まないと知らない世界ばかりだった。書き方に気をつけないといけないが、「小さな世界」を現地に赴き丹念に調べることが学問になること自体が―民俗学はそういうものだ、と言ってしまえば身も蓋もないけど―驚きだった。
「小さな(知らない)世界」を覗いてみたい方にはお勧めです。

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