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ケニアでボランティア!その 3〜Be strong, be positive〜

前回のブログで、アフリカにおける文化的な縛りの強さについて書いた。

文化を変えることは、簡単にできることでもなければ、外部の人間が勝手にしていいことではない。

文化に、ましてや人間に優劣はない。

ケニアで出会ったFaithという女性は、HIV陽性で、スラムの中の一室に住んでいる。

このスラム、アクセスが非常に悪く、オフィスのある通りから崖のような道をくだり、またさらに同じ高さ分登ったところにある。

Faithはそこに長く住んでいるようだったが、42歳にして、体重はたったの28kg。

HIVのせいで消化器官がうまく働かず、食べても吐いてしまったり消化不良を起こしたりするため、食後の薬が飲めない。

また、体重が足りないために消化器官の手術を受けられない。

5人の兄弟がいるが、私たちが訪れた日の2日前に、姉が亡くなったという。
最近は目も悪くなってきているらしい。

誰もが「可哀想」と言いそうな状況なのに、実際に出会った彼女は、そんな気配を全く見せなかった。強いと心から感じた。

まず、彼女は生きることを決して諦めていなかった。

10年ほど前から通ってる医者では話を熱心に聞いて質問し、私たちにはレントゲン写真を見せながらどんな手術が必要か、そのためには体重がどのくらい必要で、いま自分はどうするべきかなどを説明してくれた。

時には、あのアクセスの悪い道を通ってオフィスを訪れることもあるらしい
(PLKのオフィスでは毎週金曜にHIV陽性の女性たちが状況や知識をシェアするセラピーセッションを開催している)。

そして最後には、彼女の手作りのビーズのアクセサリーを机いっぱいに広げてくれた。視力が衰えているにも関わらず、今も作り続けていて、日本円で1つ380円程で売って生活費にしている。

ーー私が同じ立場だったら、なんて言うだろう。どんな顔してるだろう。
絶望して、死んだほうがマシだと思うかもしれない。なんで私だけこんな目に、と思って運命を恨むかもしれない。

今を受け入れて、できることをする。

それが1番いいとわかっていても、それを実践するのは難しい。
それでも、やってる人はいる。
彼女は間違いなく、私の人生の中で尊敬する人物の1人だ。

そしてもう2人、強い女性たちに出会った。

Community Health Workerという仕事についている人たちだ。

簡単に言うとこの仕事は、コミュニティの中で病気にかかった人と、医者を繋ぐことで(ただし収入はあまりない)、BethとPeninaは別々のスラムでその仕事についている。
在住歴が長く仕事柄顔が広いため、PLKとの関わりも深い。

また、2人はHIV陽性。体は決して強くないし、Bethは4人の子供のシングルマザー、Peninaも4人の子供がいるが、生活費もくれないのに暴力を振るう夫がいる。

私たちが訪ねた時、Bethはずっと体調が優れておらず、片耳が聞こえづらくなっていると言っていた。彼女の長男は、大学の最終学年を終えるための学費が足らず、日雇いで働きながら苦学しているらしい。

Peninaは、私たちが訪れた時まさに苦しみの中におり、暴力を振るう夫、HIV陽性のための孤立、貧困、全てが彼女の上に重くのしかかり、涙を流しながら話していた

**それでも、2人はとても信心深く、人を恨む素振りを見せなかった。 **

今の状況を受け入れ、祈る。

自分のことだけではない。私たちのこともまた、祈ってくれた。

またCommunity Health Workerとして、同じ状況にある女性たちを訪ねて支援しようとしている。

前に書いたように、文化的な束縛のため、HIV陽性であるとか、夫の暴力を他人に打ち明けることは稀だ。

だから2人は、自分も同じだから、話してほしいとコミュニティの人たちに働きかけている。それでも信じてもらえず、拒否されることもある。それでも今も続けているし、仕事に誇りを持っている。

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彼女たちと話していた時でも、
帰ってしばらく経った今でも、自分はあんなに強くないと思う。

途上国支援をしたい
自分の力で人を助けたい!と、
アフリカに行ってみたものの、逆に自分の弱さを痛感した。

帰国して、「アフリカで何したの?」と聞かれたが、正直何もできてない。
強いて言うなら、

1人のボランティアの提案で、1人5,000Ksh出して貧しい家庭に配る小麦粉と米を買ったこと。

三人の子供たちのスポンサーを見つけたこと。の2つ。

それ以外は、スラムを訪ねて話を聞いて、状況の酷さと同時にそこに住む人たちの力を感じた。解決策どころか言葉も出なかったこともあった。

途上国開発のはじまりには様々な見解がある。
1949年、トルーマンは世界の格差に触れたスピーチはその1つだ。
それは世界に存在する不平等に触れたと同時に、
第二次世界大戦が終わった新しい世界の中でのアメリカ、あるいは先進国の政治、経済、文化などの「優越性」を暗示していた。

助ける側が強いなんて、誤解だ。

貧しくても、病気でも、私の出会った人たちは、’the weak’(弱者)ではない。

でも、だから何ができるとか、どうすべきとか、それは私にはまだわからない。
今できるのは、彼女たちが見せてくれたように、絶望しないこと。

自分なりにできることがきっとある。と希望を持って進むことが、アフリカで出会って話をしてくれた人たちへの恩返しになればと思う。

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