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私とあなたでは見えている世界が違うのだろうという話し。

こんにちは。
昨日は登山に行ってきました。事前に計画していたものではなく、突然の思いつきで実行してきたもの。通院の帰りに「天気いいし、足のケガも大分良くなったし、そうだ!山に登ってみようかな(w)」くらいのノリで実行した。(標高531m)。

結果的には登ってよかった。藻岩山の良さも知れたし自然を感じられたし、何より天気が最高だった。片道1時間程度で登頂可。帰りはロープーウェーなので楽ちん。

その足で街に戻り軽くナンパをして遊んできました。(?)。今まで休みの日ともあれば、一日中家にこもって「どうして俺は人生うまくいかないのか」「これからどうしたらよいか」とか考えて、自己啓発系の動画を見て昼寝して、起きたら5時位で「今日も何も出来なかった」と自己嫌悪に陥って、あっという間に一日が終わっていた・・の繰り返しだったのに。

その気になれば割と体って動くんだな。24時間の間にいろんな事が出来るのかもしれないな、って思えてちょっと嬉しかったです。言っても、もう30代もいいところですからね。

もちろんこれは「今現在」肉体的・精神的に割と健康な方だから。体の自由が「それなりに」効くから。社会的に「ほぼ」何も制約を受けない立場だから。だというのは十分理解しています。

いつどこで(例えば今日の午後)急病で倒れるかもしれない。倒れて、もう二度と歩けない体になるかもしれない、というのはわかった上です。大体20代みたいな体力はもう無い。

若いって良いですね。草

20代のみなさんは十分その時間を使ってほしい。挑戦出来るって本当に素晴らしい(と最近思います) 人間失ってから気づくよね。


まぁ、それは今日の本題じゃない(前置きが長い 草)


さて最近noteでめちゃくちゃいいねを集めている記事があります。



2020/08/23現在で18600ものいいねを集めています(うちの地元より人数多いぞ)。内容を端的にまとめると「世の中にはいろいろな人がいる。あなたの普通が当たり前だと思わないでほしい」的な事が書いてあります。

筆者はまだ17歳。はっきり言ってこの文章力には度肝を抜かされました。何度も泣きそうになりましたし、共感するところも沢山ありました。

この記事には彼女の半生(17年間)が綴られているのですが、それはもう「ああ、あるよな。。」って感じでした。

ただ面白いのはここからで。実はこの文章に感銘?を受けたユーザーが「感想」を書き始めたんですね。「#今週の記事の感想」みたいな感じです。

しかもその数がまぁまぁ多いので、全てを列挙する訳にはいかないのですがざっくり挙げると

とか


とか

など(上記3記事を挙げた理由に他意は無し。適当です)

もっとたくさんあるんですけど、みなさん思い思いに半生を綴っていらっしゃいました。


「ああ、俺とは違う生き方だな。こういう生き方もあるんだな。。」と目を丸くして読んでいました。

・・・そんな中、自分もご多分に漏れず書きました 草


読まなくていいですよ。恥ずかしいので。草


読んでいくと実にみなさんの人生は様々で、いわゆるお受験をして進学校に進んで、良い大学に進んで・・・みたいな人生を歩んでいる方や。

今までそうじゃなかったけど、頑張ってその地位?を獲得した方。

全然うだつの上がらない人(俺)

など様々でした。

読んでいて思ったのは「世の中には実に様々な生き方が本当に存在しているんだな・・・」という事でした。今まではニュースや、自己啓発系の動画を見て「知った気に」なっていたのかもしれませんが、それがリアリティを持って実感できたという事です。


少し話が変わりますが、以前abema primeという番組で教育格差を取り上げた事があり、その中でExitの兼近さんが「格差はその渦中にいる時はわからない」という趣旨の発言をしていましたが、それに近いものがありました。

私はこれらの記事を見るまで、こんな生き方があるなんて(何となくはわかっていたけれど)、現実的にあるのか、思っていました。

でも、実際にそういう方々がいた訳です。こういう書き方をするとまるでレアポケモンに出会ったかのような書き方をしていますが、実際はそんな事はなく、むしろ東京都心にはそういう方が少なくないのでしょう。

私は30代ですが人生の中で首都圏・および東京に存在していた時間はトータル3日もありません。 

高校の修学旅行で2日程度。
中学時代、奈良に行く際東京を「通過した」程度です。本当にその程度。
要するに”そういう方々を見た事も無い””接した事もない”人間(私)が書いている文章に何の信憑性があるんでしょうか。

ちなみに、東京じゃないなら、他の都道府県には行ったことがあるのか?と聞かれそうですがそんな事はないです。残りの期間は全て北海道にいます。当然ながら海外にも行った事はありません。
人生の中で、北海道を出たのはたぶん半月も無いはずです。

人生そんなものなのでしょうね。と思ってこれまで生きてきました。
もし仮に批判されるなんて事があれば、世間を何も知らない私の方なのかもしれません。

首都圏に住むのが「当たり前」の方々からすると、逆に「え? うそ。何でこっちに来ないの?」ってなるのかもしれません。

特定の方々から見れば私の方が「レア」なのかもしれない。
そしてそんな人は日本中にまだ一定数いると思います(うちの母親もそうなので)

最近読んでいる本の中に「相手を説得する際は、相手の視点に立って相手の立場から論理を組み立てる」というような趣旨の一文があります。
伝わる。揺さぶる! 文章を書く。より。

すなわち
相手の視点に立つ。相手の立場に立つ。なぜなら相手は私とはそもそも見える世界が違うから。

こんな感じなのでしょうか。

見える世界というより「見ている世界」と言った言い方の方が正しいかもしれません。(紹介してくださった伊予柑さん、柊さんありがとう)

大学ひとつとってもある人にとっては「行って当たり前」のところだし「ある人達にとっては「別に行かなくても大丈夫。というかむしろ行かないのが普通」な場所だったりします。

お医者さんは「かかるもの」ですが、お医者さんは「なるもの」の人達だっています。見える世界って人によって本当に違うのでしょうね。最近本当に思うようになりました。

またちょっと下世話な話で申し訳ないのですが、私はたまにナンパをします。そして下手です。声を掛ける時、女の子が怖い時がある・・のですがそれは「若い女の子は全員が全員同じ考えを持っているからだ」と決めつけているからだと気づきました(最近)。
まぁこの話は深堀りしない方が良いと思うので、この辺にしておきます。

私が参加しているコミュニティには実に様々な方いらっしゃって、中には幼少期を海外で過ごされた方もいます。その方から聞いた話ですが海外では太っている事が美とされている国、もあるそうです。
(これも「え?そんなの当たり前じゃん」っていう人は必ずいるはず。要するに私が知らないだけ)

つまり私は、どんな生い立ちであれ「日本に住んでいれば(日本人であれば)ある程度は同じ価値観を持っているはず」という考えを持っていました。それは間違っていないでしょうし、この先もある程度は有効だとは思います。

ただ上記で紹介したように

進学校から国立大に入るのが当たり前だと思ってる人。 や
医者になるのが当たり前だと思っている人。
経営者になるのが当たり前だと思っている人。がいるように。

私のように「大学に行かないのが当たり前だと思っていた人」などのように「〇〇が当たり前」だと思っている人達はきっとどこにでもいて、そしてそれは全員が全員同じじゃない。という事です。

同じ日本。同じ街。同じ職場同じ空間にいる人間でさえも、生まれた環境育った環境が違えば、全く違う視点で物を見ることになるんだな。とこの年齢で気づいた訳です。

これは、勉強に限らずいろいろな分野で見られると思われます。つまりは、日本にいながら日本人の価値観は同一ではない事もあるという事に気付かされたという事です。

この考え方に気づくと、今まで見てきたいろんなツイートや、様々な情報も改めて意味を持ち始めてくるような気がしています。

その事に気づかせてくれたみなさんには感謝申し上げたいと思います。


あーコロナ収まったら海外行ってみたいなあ。。
おしまい。

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