彼は僕のやったことが死ぬほど嫌いらしい(執筆:雨乃よるるの同居人)

昨日の夜でした。

「雨乃よるる」は、僕の中で一番ややこしい人物でした。

小説を書いて、本当に一部の人にだけど評価されて。才能はないわけじゃないんだと思います。

でも彼(彼女?)は、不器用でした。死ぬ代わりに、創作をしているような人格でした。

彼といると、死ぬことか、創作のことしか考えられない。

彼をそのまま放っておくことは、僕の破滅を意味しました。

僕はひとりの人間ですし、大切な人もいます。幸せに生きたいです。

考えました。彼のクリエイティブな部分と、自分の落ち着いた幸せと、共存する方法を模索しました。

彼の創作物は、ほとんどがその形を成していませんでした。だから僕は、創作物を形にする技術を身に着けようとしました。

彼が考えて、僕が形にする。そうすれば、「雨乃よるる」は世界へ出られる。そう思いました。

ずっとこれを続けていよう。

「共存」への試行錯誤を。

でもそれは、すぐにうまくいかなくなりました。

肝心の彼が、それを嫌ったのでした。

「考えたのは、僕なのに。必死に、死ぬ思いをしながら作った素材を、笑いながらチープなエンタメにして、調子に乗ってんじゃねえ」

殺したいほど、そいつは僕のやったことを憎みました。

その思いの強さは、過去二番目くらいで。

甘んじてそれを受けようと。

彼が心の中で私を刺し殺すなら、それでもいいと。

だって彼は、「ゼロからイチ」を作り出せる人なのだから。

彼なしには創作は不可能なのだから。

だから、僕には雨乃よるるを殺して創作を止めることか、彼の不安定さをそのまま放っておくことしかできません。

彼の作品が形になることもないでしょう。

せいぜいが完成度の低い短編小説で終わると思います。

ちゃんとした楽曲を作ることも、長編小説を書くことも、賞をもらうことも、クリエイターになることもないでしょう。

創作って、辛い人を救う手段だと思っていました。違いました。本当に一番つらい時期には、創作なんてできない。本当に一番つらい人を、創作は救えない。

ある種の絶望でもあり。

夢の終わり、現実の始まりでもあり。

救いの光が絶えたら、暗雲立ち込める灰色の街の隅っこで、地をはいずって今日の食料を探すしかないのです。

これが、「物語の終わり」

物語の種になるエピソードは、嘘に満ちている。そんなことに気づかされました。

劇的なハッピーエンドはあり得ないのです。

華々しい悲劇を避けたければ、つまらない日常を生きましょう。

それが僕の人生です。

心が満たされないのは、通常です。

一番大事なものだけ守ります。それだけでは心は満たされないけど、それすら無くしてしまう苦痛には耐えられません。

全てを得ようとしてすべてを無くすくらいなら、ひとつだけ。

「その人の望んだことが、その人の幸せとは限らない」

アニメ平家物語にそんな台詞があった気がします。

生きるって、人生で一番つまらないことかもしれません。

以上、同居人からでした。