【クリエイター必見】あなたはいますぐ幸せになれます創作をやめましょう
私が今日起きたときのことを話そうと思います。
十二時ごろでした。
日差しがきつく、部屋の中に差し込んでいました。
「よかった」
私はそう思いました。
「今日は小説のことを考えなくていい」
不思議な感覚でした。本当に安心しました。
だって、書かなくていいんだもの。
今までだって、誰かに「書け」なんて言われたことはありません。
でも、書かないと不安だった。呪いのように、書いていた。
考えていた。
自分の中の悩みが尽きると、書くことがなくなって、だから「書けない」ことを題材に書いたりしていた。
文章を永遠に生み出すための呪いの装置になっていた。
仕事と胸を張って言えることも、将来のためと胸を張って言えることも何一つせずに、キーボードを叩いていた。
分かっていた。どこかで。
「さみしいから構って」
と、
「死ねウザい」
このふたことさえ、言えれば良かったのだと。
それ以外は枝葉末節なのだと。
ほとんどその二つだけを調合したり、反応させたり、模様にしたりして、小説を書いていたのだと思う。
書きたいことなんてほとんどなかった。
ただ、言えないから、書くしかなかった。
変にプライドが高かったのだと思う。
ツイッターの裏垢に「死にたい」と書き込む勇気すらなくて。
「小説」「文学」「創作物」「クリエイター」「作家」たいそうな言葉を並べて、自分ではなく「誰か」の話として、言い訳に言い訳を重ねなければ、言う勇気がなかったのだと思う。
僕が歌い手のYさんに惚れたのもそういうところだ。中指を立てた写真を平然とアップできるところだ。
「いえないなら、____が言ってやる」
僕は言えると思っていた。結局言えなかったのだ。言語能力がIQなんたらでも、「さみしい」といってだれかの肩に身を預けることができなかったのだ。陰口を言うのを怖がっていたのだ。
言えばいいのに。言えばよかったのに。
理解できるはずなのに、なぜか頭が働かなくて、そこだけもやがかかったようになって、現状を受け入れるしかなくなる。
まるで呪いだと思った。
たぶん、昨日平山瑞穂氏の「ラス・マンチャス通信」を読んだ影響もあると思う。
僕はある程度自分の頭とか、状況の打開力に自信があった。
あったのにね。
はやくそうさくやめたいです。
しあわせになりたいです。
そのこえは、あめのよるるのこえですか。
○○○○○○(本名)のこえですか。
***
自分で選んだ選択肢の癖に、甘ったれたこと言っている奴キモイ。
「さみしい」なら友達作れば「死にたい」なら死ねば。
行動せずに文句ばっか言ってんじゃねえよ。
大事な人なんでしょ。
ならなんでそんなこと相談するの。
その人に負担かけちゃダメでしょ。
結局自分のことしか考えてない。
ほんとにその人のこと考えるなら、その人に近づいちゃダメ。
あなたは「重い」んだから。
なんで子供に向かってそんなことするの。
自分で生むって決めたんでしょ。
自分の子どもにだけは、絶対に、絶対に、絶対に、〇〇しないようにしなきゃ。
そうだよ。
産んだら、責任がある。
親は人間じゃないよ。
ネットに簡単に書き込むやつ、ヤバいよね。
自虐とかならいいよ。
差別発言とか、「後ろの席の奴キモイ」「上司ウザい」とか。
炎上したらどうするんだろうね。リアバレしたらどうするんだろうね。
そういうリスクマネジメントできてない奴、頭悪いよ。
情報発信は一個一個、責任を持ってやらなきゃ。
それを見た人が、傷ついて、自殺するかもしれないんだよ。
***
上に書いたことは、僕の脳内です。
この思考回路は変えたいです。難しいだろうけど
あなたは、自由に生きてね。
そして私も、いつか自由に生きるよ。
相手が困るだろうなって分かってて告白する誰かさんとか、ひとに迷惑かけるだろうなって分かってて線路に飛び込む誰かさんとか、好きな人にエゴの塊の十一万字をぶつける誰かさんとか。
見習わなきゃな。
たぶんまだもう少しの間は幸せになれないので、あなたに会う機会もいくらかはあると思います。
またね。
もらったお金は雨乃よるるの事業費または自己投資に使われるかもしれないし食費に消えるかもしれない