推しカプの本が存在する世界に来た

私はいま、ほろよいの冷やしパインを飲みながら、泣いている。人生で初めて、「推しカプの本」を手に入れたからだ。

私が好きなカップリングは、公式で二言ぐらいしか会話していない。どうしてハマったの?と聞かれても、「ある朝起きたら突然……」としか答えようがない。公式からの燃料投下なんて端から期待していない、火の無いところに煙を立たせる営みだ。でも、公式では「二人が実は付き合っている」ってことを否定されてもいない。悪魔の証明だ。だからそれぞれのキャラクターの言動をいちいち真剣に(そして都合よく)解釈して、じゃあこの二人が二人っきりになったらどうなる?ってことを考え続けて、もう一年以上が経過している。

しかしそうやって一人で狂っているうちに、ありがたいことに、私は何人もの同士に出会うことができた。最初の転機は、「B受け合同誌」に私の好きな「A×B」を書いてくださっている方がいるという事実だった。会場に行って、わずかばかりの金銭と引き換えに本という物体を手に入れて、その時点で私は「本になる」ことの素晴らしさを感じていた。

その「本がイベントに並んでいること」に感銘を受けて、小説もろくに書き上げたことがなかったけれど、私は勢いでイベントに申し込んだ。同人初心者だったけど、周りの方に支えられて、一年足らずで六冊ぐらい本を出した。ありがたいことに、たくさんの方に手に取ってもらえて、身に余るような感想をいくつもいただけた。

けれど私は欲深い。本当に欲が深いので、「自分じゃない人の手による推しカプの同人誌」が、ずっと喉から手が出るほど欲しかった。

私は、紙の本が好きだ。紙の本のいいところの一つは、読みながら自分の位置を感覚的に把握できることだと思う。この展開はもうクライマックスなのか、はたまたどんでん返しが待っているかもしれないのか。そういったことを、残りのページ数を指先で感じながら考えるのが好きだ。タブレットやスマホの画面よりも、本の形をしている方が、目に入る範囲も広い。見るとはなしに少し先の会話文を目で追いながら、物語がどう転んでいくのかを確かめる。そういう楽しみ方のできる紙の本が、私はとにかく好きだった。

これもありがたいことに、Web上では推しカプの小説をいくつも読むことができた。(もちろん、イラストだって拝める。この世界は案外、私に優しくできている)それらを拝読して、書き手の方それぞれの世界での推しカプを眺めて悶え狂いながら、私は心のどこかで(これ印刷して読みたいな…)と思っていた。というか、家に自家用プリンターがあったら、普通にやっていたと思う。それほどまでに、「紙に印刷されている」というのは、私にとって重要なことだった。

だって、紙の本は、この物理世界に存在している。Web上にある素晴らしい文章の数々だって、たしかに「存在」してはいるけれど、それはあくまでも情報の世界の話だ。けれど物理世界に推しカプの本が存在するってことは、私にとってはほとんど、推しカプの実在性と同じようなものなのだ。(論理が飛躍しているのはわかっている)

はじめに、私の推しカプがいかに可能性を秘めているか(「マイナー」と言いたくないので、私はいつもこういう言葉遣いをする)について語ったのは、要するに、大手ジャンルの大人気カップリングでオンリーもバンバン開かれるようなカップリングでは(まだ)無いということが言いたかったのだ。つまり、「同人誌」のレアリティが極めて高い場所で、私はずっとその「本」を求めていたのだ。

話を現在に戻す。いま、私の手元には、一冊の推しカプの本がある。作者様(以下、P氏)は、私がそのカップリングにハマる更に1年前から目覚められていて、熱量と文章量でガンガンに殴ってくるタイプの巨匠であり、設定と展開の予想のつかなさに読んでいて手のひらで転がされるような作品を書かれるタイプの鬼才であり、しかし作風から受ける印象のすべてを覆すほど、抜群にお人柄の良い方だった。

そんなP氏が、一年という長い期間を費やして書き上げられた渾身の一作を、私はいま、手に入れてしまった。これがどれほどの喜びであるか、もはや言葉にできないのは言うまでもないだろう。

もくりをしながら、P氏が原稿に苦闘される姿をたびたび目撃しては、「私はPさんの本が欲しいです」とお伝えした。ツイッターで「もうだめだ」と呟かれるたび、全身全霊の激励を込めて♡を押した。それは単なる私のエゴイズムだったと、今になって思う。けれど私はそれほどまでに推しカプの本が欲しかったし、P氏が推しカプの本をを出されるのであれば、腎臓を売ってでも欲しかった。

実は、私がはじめてのイベントに出るときに、ひそかに目標にしていたことがある。「いつか自分以外の誰かによる推しカプの本を手に入れる」ことだ。要するに私のイベント参加と新刊の頒布は、酔狂なマーケティング活動でもあったのだ。そして今、その目標が無事に達成された。いかばかりの喜びであるか、どれだけ言葉を尽くしても語り切れないような気がする。

※「誰の本でもよかった」というように聞こえるかもしれないが、ある意味でそれは正解で、私はとにかく書き手が自分でないなら誰でもよかった。しかし同時に、敬愛するP氏の本だからこそ、ここまで大胆に欲張ってご本人に何度も懇願するほど求めていたのだ。

届けられた本は、まだ怖くて一切中身を読んでいないけれど、まずその存在に感謝しかない。分厚さも素晴らしく、なんと400pを超えている。装丁も本当の文庫本のようで、カバーと帯を遠くから見れば、普通に本屋さんに並んでいてもまったく遜色ない。(カバーイラストは、こちらも私が大ファンの絵師S氏によるものだ。キャビアとフォアグラをいっぺんに食べているようなものである)Webよりも紙で読むほうが頭に入ってくる私にとって、これだけの分量の小説を紙の本として手に入れられたのは、願ってもないことだった。

「欲しいものほど、まず手放しなさい」という格言を聞いたことがある。愛されたいのであれば、まず人を愛すること。褒められたいなら、先に誰かの良いところを見つけること。私はいま、この言葉が真実だったと痛感している。

推しカプの本が欲しいなら、まず自分が本を出してしまえばいいのだ。

これでさらに調子に乗って、私はきっとまた本を出し、状況が許す限りイベントにも参加する。そうすることで、どんどん推しカプの本が増えていくといいなと、心から願っている。発行は、頒布は、私にとっての祈りなのかもしれない。

実はいまも、本当はこんなことをしている場合ではなく、原稿をやらなきゃいけない時期に来ているのだ。だからP氏の本を拝読するのも、膨大なエネルギーを捧げたいので、しばらく先の話になってしまう予感がしている。(私がはやく原稿を仕上げればいいだけの話ではある)

そうしてP氏の本を読んで、きっと私は雷に打たれたようにインスピレーションが湧き出して、また何かを書くんじゃないかと思う。完全に良いサイクルに乗っている。同人活動って楽しい。紙の本って最高。未来、最高!

ということで、今日はそろそろ寝て、また原稿を頑張ろうと思います。

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