世界を抱きしめるために
(早稲田大学文化芸術週間 DA VINCI-GERNIKA 内海信彦WORKSHOP 2016 報告会に寄せて、6年前に書いた文章)
何を守り、何と闘うのか。
何を信じ、何を表現し、何を残すのか。
日本を出て日本を知ることは、他者と出会い自己を知ることとよく似ている。この旅では、訪れた2か国と同じくらい、日本と自分自身について知ることがあった。
特に考えさせられたのは、自らの加害者性である。私の中に流れているはずの歴史性について、今まであまりにも無頓着であったように思う。私の中に、どうしてもファシズムの萌芽がある。日本帝国主義も、ある。それらをあえて叩き潰そうとしなければ、その芽はどんどん成長し、私を簡単に丸呑みしてしまうだろう。
ある場面を目撃したとき、いよいよ自分自身が試されたような気持ちがした。
「日本があなたの国にしたことを、申し訳なく思う。」
旅の最後の晩餐で、内海先生がレストランのウェイターにかけた言葉である。彼はフィリピンと日本のクウォーターだった。もちろん彼らは初対面である。ごく自然にその話題を出し、しかし目に涙を溜めてそう話しかけた先生の姿に、私は学ぶところが大変大きかった。厳格な歴史認識と、自身のルーツの自覚、その加害者意識と相手のルーツへの理解がなければ、まずこの言葉は出てこない。もし思っていたとしても、口にする人はぐっと減るだろう。何故か。色々あるだろう。しかし、かたちにしないものは残らず、無いも同然だ。私はあの時、言葉というかたちで表出した、歴史の渦中にいる人間同士の深い愛を聴いた。ウェイターの彼も答えた。「それはもう過去の話で、今は僕らの世代で…。」よく聞こえない部分もあった。だが話は大体分かる。私は想像する。これは、「赦し」ではないか。
若い世代と一括りにはできないが、自分を含めて今の日本に、何かと物事の文脈を分断し、責任を逃れようとする傾向があるように感じる。「自分がしたわけではない」と歴史文脈を切り離しがちである、あるいは切り離したがる「戦争を知らない」世代に、あの言動を放つ感性と勇気を持つ人は、この先現れるのだろうか……減る一方ではないか。
私たちは、戦争を知らないのではないと思う。戦争に限った話ではなく、行ったことがなくても、会ったことがなくても、共感として知ることが、探せばあるはずだ。ワークショップでは、いつもその連続だった。その共感の発見を希求し、出会い、重なる。経験したことがないことを、全く分からないと割り切るのはあまりにも短絡的だ。それは無関心を装った想像しない怠惰であったり、都合の悪いものを見て見ぬふりをする弱さであったり、知ろうとしないもっともらしい言い訳だ。
同じく晩餐時に聞いた、韓国の慰安婦の話は、頭を打ったような衝撃だった。私もまた、知ろうとしない弱さを抱えていたことに気付いた。急に危機感を覚える。たった70年前に犯した過ちさえ誰も覚えておらず、謝罪さえできないことが結局、歴史を覚えている他国の人々を憤らせ、傷付け続けている。加害者が犯したことを忘れれば、被害者は赦したくても赦せない。先へ進めない。
その国の文化を真に理解し愛するには、歴史文脈と自身の立場性を無視できない。私はスペインとイタリアを訪れて、まず韓国を、歴史ごと抱きしめたいと思った。それは、世界を抱きしめる一歩となろう。自身の弱さと闘いながら、世界に作用することを恐れず、歴史の渦中で生きていたいと思う。
何を守り、何と闘うのか。何を信じ、何を表現し、何を残すのか。生きている限り続く永遠のテーマでありながら、今回の旅で出会ったものに多くの示唆を受け取る。どうか私の中のファシズムに負けないでほしい。生きることは、闘い続けることかもしれない。
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