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ニートの自問自答「なぜ働きたくないのか?」

ニートにはやることがない。
そして、(少なくとも平日は)遊ぶ相手もいない。
ただ同じように過ぎていく変わらぬ日々。
起床。虚無。食事。ネット。散歩。虚無。排泄。就寝。
そこで発生するのは、ひたすら続く自己との対話、永遠の壁打ち、無限に繰り返される自問自答である。
ここでテーマとなるのは、「自分」「世界」「存在」「死」など様々なものがあると思うが、ニートならばぜひ考えてみてほしいテーマが「なぜ働きたくないのか?」というものだ。
今回は参考として、僕の「なぜ働きたくないのか?」という考えを語っていこう。

① 出勤させられるのが嫌だ
目覚ましに叩き起こされる。
めちゃ寒い・天候不良の中でも家から出なければいけない。
満員電車に詰め込まれる。
こんな不快なモーニングが週に5日も続いて幸福に生きられるわけがない。
特に、夜型の僕にとっては、通学のときからしんどくて仕方なかった。
(寝不足で頭回らん状態で出勤させても効率悪くないですか?)

② 不快な人間と関わりたくない
僕はどんな人間であっても生きてていいと思っているし、殺すべきではないと思っている。
とはいえ、それはそうとして、不快な人間と関わると普通にイヤな気持ちになるし、ケツをけりとばしてやりたくなる。
特に、こっちは間違っていないのに、「上司やお客さんだから逆らえない」というやつ。

③ 搾取されるのが嫌だ
どんな働き方にしろ、頑張ったところで得られる報酬は大して変わらない(特に非正規)。
どんなに業務を効率化したとしても、得られる月給が大きく変わるわけでもなければ、勤務時間が8時間から短縮されるわけでもない。
そして、バイトは正社員に虐げられ、正社員はオーナーに虐げられ、オーナーは資本家・地主に虐げられるというどうしょうもない搾取の構図。
労働者サイドがそれを理解して協力し合っているならまだしも、「経営者目線に立って~」みたいな意味の分からないことを言い出す、肉屋を支持する豚が登場するから本当にやってられない始末だ。

④ くそどうでもいい仕事をしたくない
詳細は伏せるのだが、僕は「どう考えても世の中の役に立っていないバイト」をしたことがある。
時給1500円で作業内容もラクなバイトであったのだが、そういう生き方をしているのが虚しいし、しんどくなってきたので、半年ぐらいでやめてしまった。
(あと雇用主とソリが合わなかったこともある)
どうせ働くのならば、みんながハッピーになる仕事をしたい。

⑤ 「労働→金→贅沢→モチベ→労働」のサイクルに興味がない
普通の人々は正社員としてそれなりにお金を稼ぎ、それで贅沢を享受し、更にモチベーションを上げるという生き方が一般的なのだろうが、僕はどうにもそのサイクルに適応することができなかった。
端的に言えば、「○○円を稼ぐのに必要な苦痛」と「○○円を消費して得られる快楽」が釣り合っていない。
そんなのならば、なにもせずボーっとして、無料の水道水を飲んで、図書館の本でも読んでいる方がマシだ。

⑥ 虚弱・ムラっ気
これは社会や仕事云々に問題がある…というより自分自身の問題なのだが、僕は年の半分ぐらいは体調が優れなくて、部屋のベッドでぐったりしている。
また、やる気があるときは、バーっと大量に文章が書けたりするのだが、そのアウトプットが全然安定しない。
つまり、週5日も平均的に規則正しく働くということに向いてなさすぎる。

⑦ 「強制」「命令」された瞬間に全てがつまらなくなる
僕は今こうやって文章をポチポチ打ち込んでいるが、これは別に全く苦痛ではない。
なぜなら、それは自分の意志で望んでやっているからである。
子供が意味もなく公園を駆け回るような、「遊び」の延長である。
だが、これがもし「○○時までに○○文字を絶対に打ち込んで完成させろ!」という強制や命令になったら、それは途端に苦痛を伴う「労働」と化すだろう。
 
正直、僕は「働くこと」を全く憎んでいるというわけではない。
みんなに感謝されるのだったら、別に便所掃除ぐらい全然やってもかまわない。
だが、この社会では、どれだけ科学技術が豊かになっても、「働かないと食っていけない」ように設計され、(生活保護は一応存在するものの)生命を人質に取られながら、働くことを強制されている。
僕はこういう「イヤイヤやらされるような生活」、もしくは「そういった生き方そのもの」を嫌悪している。

⑧ 生活と直結している労働がしたい
これから語ることは、とんでもない理想論であり、それを自覚した上で話すのだが、本当ならば、自分の生活のことは全て自分で行いたい。
分業化で仕事は効率化され、大量生産が可能になったが、それは僕らの生活の"実感"を奪い取ってしまったのではないか?
スーパーで僕らの目の前に並んでいるものは、ただの「鶏もも肉」であって、その鶏が少し前まで「生き物」として生きていたことを忘れさせてしまう。
(サイコな趣味があるのだと誤解しないでもらいたいが)可能ならば、僕は自分が食べるものは、自分自身ですべて屠畜したいのだ。
もちろん、目の前で精一杯生きている生き物を殺したくない。
だが、生きるためには殺さなければならない。
そういうエゴを背負って人は生きるべきなのではないか。
少なくとも、それが僕にとっては、正しいと思える生活である。
そして、同様に、食料の調達や調理・住居の建築・道具や衣類の作製なども、全て自分で行いたい。
僕が言っていることが「都会っ子の妄想」だということは充分理解しているが、そのような「労働」ならば、僕はそれを望んで引き受けていたのではないかと思うのだ。

さて、思いつく理由はこんなところだろうか。
長々と働きたくない理由を述べてきたが、簡潔にまとめると以下のようになるはずだ。
 
・時間に縛られたくない
・たくさん寝たい
・寒い日、悪天候の日は休みにしたい
・嫌な人間と関わりたくない
・搾取されたくない
・ダサい仕事をしたくない
・資本主義的な欲望サイクルにうまく乗れない
・体調悪い日は休みたい
・「強制」「命令」されたくない
・生活と直結しているようなナマの労働がしたい
 
うーん。改めて並べてみると、多くの人は「社会をナメんな」という感想を抱くだろうが、それはひとまず置いておこう。
ここで着目してみたいのは、このような「働きたくない理由」を挙げることによって、「では、どう働けば(生きれば)いいのか?」という回答が自然と浮かび上がってくることだ。
 
「一生親のスネを齧る(実家の裕福さ的にこれは厳しい)」「生活保護で生きていく」などを除いて考えてみれば、ズバリ僕の場合、結論から言ってしまうと、「自営業」のような生き方しかないのだろう。
 
・時間に縛られたくない
→ 自分で作業時間を決められる
 
・たくさん寝たい
→ たくさん寝ればいい
 
・寒い日、悪天候の日は休みにしたい
→ 自宅で作業すれば関係なし
 
・嫌な人間と関わりたくない
→ スキルがあれば1人で稼ぐことも可能。嫌な人とは付き合わなければいい
 
・搾取されたくない
→ 完全に搾取されないは難しいかもしれないが、自分の仕事の出来次第で収入が大きく変わる
 
・ダサい仕事をしたくない
→ 自分でポリシーを持ってそれに従えばよい
 
・資本主義的な欲望サイクルにうまく乗れない
→ 自分の生活に必要な分だけ働けばいい
 
・体調悪い日は休みたい
→ 休めばいい。調子のいい日にバーっと作業をすればOK
 
・「強制」「命令」されたくない
→ 自己管理で仕事をしているので苦痛でない
 
(・生活と直結しているようなナマの労働がしたい
→ これだけは難しい……というより、本気で実現したいなら別のカテゴリーになる印象だ。これまでは「社会に適応しつつも、世捨て人ライクな生き方を目指す」だったが、これは「ガチの世捨て人を目指す」ことになるだろう)
 
そして、特に僕みたいにムラッ気のあるタイプは、印税のような収入が入ってくる、「ストック型」の仕事と相性がいい。
一度作品を投稿してしまえば、それを買ってくれた人や見てくれた人の数によって、収入が入ってくる仕組みのことだ。
(例えば、ブログ・(電子)書籍・YouTube・漫画・イラスト・写真・音楽・ゲーム・アプリなど…)

 

 
さて、以上のように、「働きたくない理由」を自問自答して、そこから「答え」を見出してみたが、実際に僕はこれに近い生活を現在行っている。
別に隠しているわけでもないし、僕の個人ブログを見てくれている人は知っているかもしれないが
・Amazonの電子書籍の収入:月 1.5万円
・webライターの業務委託:月 2.5万円
で生活しているのが現状だ。
だから、「ゆるふわ無職」というハンドルネームだが、正確には「ゆるふわ零細フリーランス」なのである。
 
ぶっちゃけ、これまで書いたことや僕の生き方は、誰にでも当てはまるわけでもなければ、誰にでも再現できるわけではない。
そして、こうしたノウハウが根本的に社会の問題を改善してくれるわけでもないだろう。
あくまで個人主義的であり、現状に追従したみみっちい生き方なのである。
だが、とにもかくにも、とりあえず生きなければ始まらない(つーか、終わる?)。
「全く同じ理由」で「全く同じ回答」ではなくとも、ここまでに書いたことがあなたの生活のヒントになってくれれば幸いだ。
あなたも「なぜ働きたくないのか?」、そして「どういう条件ならば働いてもいいのか?」をじっくり自問自答してみよう。
 


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