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"ニート"、もしくは読者に対する自分の基本的なスタンス

今回の記事では、"ニート"、もしくはこのマガジンを読んでくれている方や、僕のブログやツイッターを読んでくださっている方に対して、自分がどういうスタンスであるのかを述べてみようと思う。
言ってしまえば、今回の記事は特に具体的な中身があるわけではないが、これはどこかできちんと語っておくべきだと思ったので、まとめさせていただく次第である。
また、この記事は「ニートマガジン」に登録しているが、ニートマガジンとしての総意ではないことに注意してほしい。
書き手の中には、僕と全然違うスタンスの方も存在するだろう(そして、それは一向に構わないことだ)。
それでは、前置きはこのぐらいにして本編へ。

まず、要点から言ってしまえば、僕はニートになることを基本的に勧めていない。
こうやって、ニートうんたらかんたらをウリにして、文章を書いているので誤解されることも多いのだが、僕は「ニート最高w みんなもニートになろう!」的な煽動を行うつもりは全くないのである。
「本当か?」「疑わしい」と思った人は僕のブログや電子書籍までを隅々チェックしてもらってもいい。
初期ツイッターでは"ウケ重視"で、そのようなことを言ったこともあったかもしれないが、2022年辺りからは一度も主張していないはずだ。
 
ニートを体験したことがある人なら分かると思うが、ニートというのは予想以上にしんどい。
金のなさ、社会的役割のなさ、希望のなさ、虚無、死。
僕もそうだったので分かるのだが、おそらく「ニート最高w」的なキャラの人は「ネタにしないとやってられない」のである。
基本的にニートなんか望んでなるものではない。
 
また、これは僕が前々からネチネチと主張していることなのだが、結局生き残っている有名ニートというのは、「インフルエンサー」や「作家」なのである。
そういったカリスマ性のあるニートは本の印税や有料noteの収入、もしくはコネクションで上手く生き延びることができるが、それに憧れたワナビーたちは破滅への道を辿る貧乏生活を送るハメになるというわけだ。
(これを「ニートネズミ講」だとか「ビンボーネズミ講」だとか僕は呼んでいる)
 
こんなことを言える身ではないのかもしれないが、「働けるなら働け」。
特に、「確かに仕事はかったるいけど、ボチボチ幸せに生きてますわ~」という人はそのまま働いて、家庭を築き、幸せに暮らすのがよい。
次に、「仕事がキツすぎる……このままではメンタルをやられてしまう……」という人は転職するのがよい。
目安としては「今の生活を一生続けられるか?」。
これを自問自答してみて、無理そうならば何かしらのアクションを起こすべきである。
その歪みは必ずあなたの心身にダメージを与え続けているはずだ。
取り返しのつかなくなる前に、転職なり休職をしよう。

だが、僕がこのように「働け!」と言っても、実際問題、世の中には、どうしても社会でうまくやっていけない人々がいる。
メンタルがボロボロになってしまった人、体力に問題を抱えている人、すぐに仕事をバックレてしまう人、どうしてもくだらない労働に馴染めない人。
だが、僕はこのような人々に対しても、「そういった人は仕方ないから、ニートになろう!」とは言わない。
それはなぜか。
僕に「あなたの人生の責任」が取れるわけではないからである。
もしかしたら、僕が「ニートになろう」と言ったことによって、あなたは路上で野垂れ死ぬ運命を辿ることになるかもしれない。
そして、あなたはこのような恨み言を遺すのだ。
「あのとき、ゆるふわとかいうアカウントが『ニートになろう』とか言っていたせいだ……クソッタレ……」と。
こんなにお互いにとって不幸なことはないだろう。
 
当たり前のことかもしれないが、自分の人生は自分で決めなければならない。
自分の行った行為に対して、自分で責任を負うこと。
それが自由であり、人間としての尊厳を保つ生き方である。

 
勘違いしないでほしいのだが、別に僕はいわゆる「自己責任論」を振りかざしているわけではない。
理不尽な格差や貧困はもちろん無くなった方がよいと考えている。
(豊かな選択肢があってこそ、自由な選択が存在する。選択肢のない状態は自由ではない)
そうではなく、これは人間としての「生き方」の話なのだ。
ニートになるならば、自分の意志でニートになることを選ばなくてはならない。
ニート界隈の欺瞞性、怪しさ、うさんくささ、末路、床のシミ、野垂れ死に。
そういった懸念事項を自分の中でよく吟味し、覚悟を決めた上でニート生活を送るならば送れ、これが僕の言いたいことである。
例え惨めな最期を迎えることになったとしても、「これは私の選択した人生である!何一つ不満はない!」と、そう思える人だけがニートをやるべきなのだ。

そして、僕はそういったニートたちとなら、協力したり交流をしてもいいと思っている。
ニートインフルエンサーやニート作家に対して批判を行うので、「むやみにニート文化を破壊しているだけで、何も益をもたらさない存在」だと誤解されてしまっているかもしれないが、僕はそういった問題点や欺瞞性を指摘し、誰しもがそれを認知した上で、やはり「ニートカルチャー」や「働きたくない文化」は残すべきだし、ニート同士の交流は存在するべきだと思うのである。
(ニートマガジンを運営しているのも、その一環だ)
 
また、基本的に「働けるなら働け」であるが、労働から脱落してしまった人の一時的な避難場所としても、ニートコミュニティの存在は肯定していきたい。
(「死ぬぐらいだったらニートになれ」、これは一貫している自分の主張である)
特に、「社会でうまくやっていけないが、かといって福祉の対象にもならない人々」はそういった曖昧な居場所を必要としているのではないか。

(だが、これは逆に言い換えれば、攻撃的な人・どうしても話が通じない人は、社会の福祉〔生活保護など〕を頼ってもらうしかない、ということでもある。
誤解しないでほしいが、僕はどんな人間でも生きていていいと思っているし、「迷惑な人間は早く死ね」だとか考えているわけではない。
しかし、こういったコミュニティを"公"ではなく、"私"で運営する場合、どうしても住み分けが必要になってくるのが現実問題である。
僕はどんな人間も無条件に救える聖句を持った聖職者ではない。)

それでは最後に、自分の主張をまとめてみるなら、こんな感じになるだろう。

「働けるなら働け。
ただし、死ぬぐらいだったらニートになれ。
そして、回復したなら、なるべく正社員で働け。
ただし、自分の意志と自己責任で、ニートやフリーターとして生きていくならば、そういった人々同士で交流し、協力しながらやっていこう。
というか、やっていくしかないよね」

(とはいえ、自分に前述したような、強い"覚悟"があると断言できるのだろうか?
とりあえず、僕はこうやって生き延びていくしかない。
目指せ、長生き。)


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