故人の作品は芸術とて

嫌いな夏。祭り。キラキラした林檎飴と騒音。飴に混ざった虫の死骸。もうすぐ終わる。文体の崩し方を教わる。真似をしたとて馬鹿の一つ覚えのような詩。

祭りで買う飴には大抵虫がいる。当たりとするかハズレとするか。取り敢えずその虫の一生を閉じるための場を買ってしまった。よくある。あんなにファンシーな夏の総称に包まれて死ぬなんて殉職もいいところ。今年は出会いたくない。業務スーパーでエビ餃子を買った。

嘘をついてごめんね。本当はその時間ゲームをするよりも映画を観たかったから一言も発せなかった。どうでもいいと思えなかったから頷いた。君が嫌いと言った配信者の片割れが私は大好きだったから、君にまで嫌われないように嘘をついた。

あの子のあれからは知らない。きっとわたしの知らない地にでも赴き感性を着飾る。それかまた己の何かを切り刻むための連絡を入れて日を待っている。その対象が今では私ではなくなった。それだけ。このまま疎遠になるのか。言葉が見えるところに残っていた。私は気付かなかっただけで少しのあの子の可能性を潰してしまったのかもしれない。あの時みたいに。だから次にあの子から救済を求められたら、何者かになった私がどうにか償う。変わってしまった。

8月に読み切る本。君が求めるから金の帽子を被り高跳びをする。それくらい単純でいい。著者名で決めてしまったわたしもそれくらい単純でいい。あの子のために丸い眼鏡を買った。中学一年生の時に選んだ黒縁にサヨナラをし、金色の胡散臭い丸眼鏡を手にした。あの子みたいだ。去年の私は髪を染めることすら少しの恐怖心を持っていたのに、もう変化に対する恐怖は少しもいらない。あの子が次に私に会ったとき誰かわからないくらいでいい。中身が変わったということは2時間なければ気付いてもらえなさそうだが見た目の変化は2秒あれば充分だからいい。真っ白な髪は90代できれいな薄紫をみせていた曽祖母が見せるまいと気を付けていた色なのに。私はその色でいいと思ってしまった。

固執。人は固執と言う。消えたくなかった。例えば音を聴いた時に思い出す声。でもそんなにステレオタイプの印象を与えたくない。記憶の中には確かに居るのに何一つ特徴を思い出せない。そんな人間になりたい。それでも1つ手がかりがなければいけないのが人間の脳なので1つだけ好きな映画を交換したことがある。私の記憶には確かにあの雪の日がある。

私は充分に人生を楽しませてもらったとする。実際週に二度は病院のお世話になっていた幼い頃に近い内に亡くなるのではと言われていた事だから私はこれでもすでに長生きと言ってもいいだろうと。心臓の影が現れる前に。あの子がクネクネしていた時期も私は浮かれていた。あの子がクネクネしなくなってからも私は浮かれていた。今はわからない。ただどうしても泥のように眠って沈む日が夏にはある。まだ消える気はない。近況が知れたら、どんなゴシップよりも生きる糧になる。

だから私たちは夏に会ったことがない。嫌、一度だけある。あの日は君にとって何だったのか。
再会するのならばまた秋が深まった頃。

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