才賀 1


Aの消息が不明となったのは、彼の記憶が充分に改編された後である。

Aは寂れた美術館のような建物がよくお似合いだった。消え去るものに手を伸ばし続ける彼のような人物にとって、Aの発する気というモノはまさしく好都合であった。だからこそ、全てが廃れた今となってもAの名は土地に儀を残す。

“因習と言ったか、事実があったとて 全てを肯定することはできまい。”
“それでも確かに見たのよ。すっかり変わってしまった彼の姿を。”
“あの顔付きまで変わってしまったとは。”

Aの振る舞いには何処か違和感を覚えるものが多い。彼は暫くAの行く末を観測していたいと言う意志の元、瓶に詰まった・エチレンを発するそれをよく好んで食べる。分類学上は毒にも満たない。

一つ、この国に存在すること自体が可笑しい。彼によるとAが住処とした建物自体、この国のものでは無いという。
飄々とした態度もその説に拍車をかける。

“往診の時間には早すぎる”
“ええ、その為にこの場所を選ぶというのは 余りにも勿体無いに決まっています”
“ここを出るという決断をした過去の家主に問いたいものです。 貴方と紡いだこの空間は、何れ何かを破滅に導くのではないかと”

【還る】という表現を好んでいた。
その日も、アンテエク製の扉を開くと蝋燭の火を囲んだ彼とAとその主治医が命を永らえる。安いパンを口に運ぶ。栄えた過去があるとはいえ、ワインとは往かないらしく 塩っ気の薄いスープを更にお湯で薄めたモノを口に運んでいた。
後から彼女に申告され気付いたが、食事や身の回りの世話をするためにとある少女が Aの暮らす小さな家に住み込みで働いていた。

Aは何かを患っていた。彼もその容態を詳しく存じていた訳ではなかった。
Aのドレスは毎日同じものだった。ここからも伝わると良い。彼は頭痛に苦しんだ?

Aが消えてしまった日に話を戻す。
その日も幻覚を見たという。彼は言葉を紡いだが、本心だったのだろうか。

“貴方には其処に植生を持つ木と同様。ちょっとした拘りが仇となる。アハハッ……”

この狭い小屋……と言いきっても良いような乖離した空間では、学を自ら身に付ける理由を持たない。文明文字を3つのみ記すことのできるAはケラケラと笑っていた。

彼の頭が開かれる日が近い。
Aから発する音は無くなっていた。
不幸の味を知るには。

床。

彼はそれを賽と定義する。
彼はその医者のことを才賀と呼んだ。

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