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移住先に求めるもの

はじめに

 移住は自分ひとりではできない。それまで暮らしてきた地域を離れ、共に移住する家族、移住先の人々と新たな暮らしを始めるということだ。新たな暮らしを行う移住先に求めるものとは何だろう。
 この記事は、2019 年 10 月に、横浜から身延町へと移住し、現在は家族と身延町の西島地区に暮らしている浅野秀人さんにお話をお伺いし、その中でも移住の経緯を中心にまとめたものである。

移住を決断

 浅野さんは身延町へ移住する前は、横浜で生活を送っており、譲り受けた会社を引き継ぎ経営していたそうだ。しかし、会社経営を通して都会での生活に疲弊し、のんびりとした生活を求めて、田舎への移住を決意したと語っていた。浅野さんの田舎へ移住するという決断に対して、家族も前向きな反応を示したという。特に、息子さんの反応は非常に前向きなものだったという。

移住先を考える

 移住先は身延町をピンポイントに狙っていたわけではなく、2019 年の 4 月から、長野県や群馬県などいくつもの地域を見てきた。身延町への移住の決定打は、国道 52 号沿いを車で走っていた時に見た富士川の景色であったと語っていた。現在も仕事の行き帰り車から見る景色に日々心を洗われているという。加えて、自身の求める田舎でののんびりとした生活、特に農業をやるにあたって、支援などの制度が整っていた身延町への移住を決めたとのことであった。
 浅野さんが移住先を検討していた年、身延町では、地域おこし協力隊という総務省が行っている制度を通じて、特産品であるあけぼの大豆に関わる担当者を募集していた。浅野さんがその制度に気がついた 8 月時点で、地域おこし協力隊の募集期間は終了していたが、ダメもとで連絡を取り、10 月の収穫に間に合うように、単身で町へ越してきたそうだ。
移住は本来、息子さんの学校の学期の変わり目を考えていたので、予定を前倒しにして、急遽、会社の譲渡等の手続きを済ませ、一旦、単身での移住を行い、学期が変わったタイミングで家族と身延町で暮らし始めたと語っていた。

子供と移住するということ

 移住に当たってお子さんの教育環境についても重要視していたという。それは、のびのびと子供を育てられるということだ。横浜に住んでいるころ、お子さんはマンモス校に通っていて、先生との距離が遠いことや、それに伴い学校内の人間関係が少し荒れていたという。しかし、身延町の学校では生徒が少人数で先生と生徒との距離が近いため、子供に寄り添ってくれる点が教育という面でとてもいいそうだ。
 また、学校に限らず、横浜に住んでいたころには、車どおりが多く遊ぶ場所がないことで、子供がのびのび遊べていなかったそうだが、身延町ではそうした心配はなく、地域の方もお子さんを見守ってくれるため、安心して、遊びに行くのを見送ることができると語っていた。その他に制度も充実しており、給食費や修学旅行費など、様々な費用が無料で、経済的な負担が少ない点も子供と移住を考えるうえで、よかったという。

まとめ

 今回のインタビューは、実際に移住した方の体験した話を伺うことのできる貴重な機会だった。その中で、移住を行う際に、求めている暮らしを実現することや、家や仕事、子供の教育環境などハードルとなる点や個人が重要視する点があることが分かった。それらのハードルや個人が重要視する点を、身延町では行政の行う様々な補助や支援の制度が充実していることや、地域の方との距離が近くそこから生まれる親しい関係の中で、移住する方にとって暮らしやすい環境が作られていることが分かった。

特産のあけぼの大豆で作った商品をいただきました
おいしかったです

(担当、野田)

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