山本山田

本名山本、あだ名山田Y-PUという会社をやってます。人生の学校作りが僕のテーマです。見…

山本山田

本名山本、あだ名山田Y-PUという会社をやってます。人生の学校作りが僕のテーマです。見たまんまの乙女座です。

最近の記事

重大発表

2019年6月をもちまして合同会社Y-PUを立ち上げて3年が経過、社会を知らないまま勢いで立ち上げたこともありはじめはかなり苦労しました。 若者が社会でチャレンジできる仕組みを作りたい、社会が若者を応援する学校(Life School -人生の学校-)を作りたいそんな想いから僕の人生がスタートしました。 たくさんの仲間ができました。たくさんの人に支えられました。 今では楽しくやりたいことをさせて頂いております。 そんなY-PUが新たなステージに立ちます。 2019年6月

    • 7周年イベントに対する想い

      今年でY-PUは7年目を迎えることとなりました。 ここまで経つと早いのか遅いのかよくわからなくなってきたけど相変わらずいい場所です。 7年間Y-PUのことを考え続けている僕はきっとY-PUの中でおじいちゃんなのかな。 はじめは、やりたいこと見つけるために始めたY-PU、2年目には「Life School」というテーマと出会いやりたいことがY-PUの中にできました。4年目には合同会社Y-PUを設立し、7年目には新たな形でスタートすることができそうです。 年もたち、当初の

      • 商店街で結婚式!?

        今回は、商店街で結婚披露宴を行いたいと、とある京都の夫婦からご依頼を頂きました。 これまで色んなイベントを手がけてきたけど、地域とWeddingを掛け合わせたイベントは初めてで聞いた時とても「わくわく」しました。 ただ人生に一度(だと嬉しい)の晴れ舞台なので責任重大、そんな晴れ舞台を依頼してくれてとても光栄です。 京都のとある商店街で開催予定で、開催するためには商店街側が納得するような内容(地域活性方面)の企画を作り上げなければなりません。 通常の結婚

        • Y-PU LAND計画

          タイトルだけ見ると某アミューズメントパークみたいだね。2019年企んでいることを何回かに別けて伝えていく、まずは全員に知って欲しいこと、今年の方向性についてのお話...... 今年度は そのためにエンターテイナー集団を作ります。 まあ、既にその素質がある人ばかり集まってるんだけどね。 年末の紅白Y-PU合戦で毎年痛感するよね、前に立つ人や影でサポートする人、1人1人が誰かに楽しんでもらうために自分のできる・できそうなことを本気でアウトプットしている。 そして誰かの笑顔を

          ZOMBIE FESヲ終えて・・・

          2018.10.14 道頓堀リバーフェスティバル内でZOMBIE FES2018を開催。100体のZOMBIEたちが道頓堀の街をジャックするといったハロウィンイベントを開催! 本プロジェクトは大阪の地域に笑顔を咲かす、イベントを作るプロジェクトチームCircusがプロデュース。 大学生を中心した18人の運営メンバーでZOMBIE WALK、ZOMBIE FES、ZOMBIE PARTYという3つのイベントを作り上げた。 ディレクター:日ノSUN みんな大好き日ノちゃ

          ZOMBIE FESヲ終えて・・・

          みんなの力を貸してください。

          イベント事業部長:えーすけ 関東支社立ち上げの発起人 彼が大阪出張で久々に飲みにいってきた。 俺よりも日本語を使うのが下手くそな子でいつもヘラヘラしてて危なっかしいところもあるえーすけ。 関東支社にはえーすけと、やべっち、まちゃがいる。ほんと、勢いで始まった関東進出、Y-PUを広げることを目的に3人にはもの凄く頑張っている。 この前大阪に戻ってくるタイミングがあり、 えーすけがその時、関西の異変に気がついたと話された。 「Y-PUの年配組おもんなくなった?」 僕も最

          みんなの力を貸してください。

          僕が人生の学校(Life School)を作る理由 終わり

          Y-PUでは2つのミッションを掲げている。 1. 様々な業界でチャレンジできる環境を作る 2. 社会が若者にスポットを当てる風潮を作る やりたいことや、困ってることなどを回収しスキームを作成、 完成後やってみたい人を募集するといったフローで教材の獲得を行っている。 依頼人にはコンテンツを提供し、チャレンジする人には体験を提供するといった、社会と学生の歯車として運営している。 このような仕組の元、チャレンジできる環境を作りまくり、やって良かったと思える体験を提供して

          僕が人生の学校(Life School)を作る理由 終わり

          僕が人生の学校(Life School)を作る理由 ①

          大学生の時「やりたいことができる場所」「帰ってこれる場所」「笑顔になれる場所」の3つをテーマに活動を行っていた。 大学生活というものはある程度形が決まっており、そのレールに乗ると誰もがある一定の生活を送る事ができる。 学内生活を送りやすくするためにサークルや部活動に入って友達を作れば良い、飲み会や旅行に行くためにアルバイトをすればいい。ある一定のタイミングでインターンシップに参加すればいい。就活サイトなどに登録し就活解禁のタイミングでメールを送りまくればいい。 誰

          僕が人生の学校(Life School)を作る理由 ①

          僕が人生の学校(Life School)を作る理由 序章

          【自己紹介】 山本 浩彰 (通称 山田) 1991年 大阪生まれの見たままの乙女座 合同会社Y-PU 代表 つまらないボケを連呼する乙女です。 僕が人生の学校(Life School)を作るきっかけについて パチンコ、飲み会、ボーリングなどに明け暮れていた大学生活。 3回生の夏、地元の友人が現場の親方になったり、飲食店を経営したりという話を聞いて危機感を感じた。 「何かしなければ、やりたいこと見つけないと」と。 そこからネットで「やりたいこと」と検索を

          僕が人生の学校(Life School)を作る理由 序章

          BLOGで1000円稼いだ。

          Noteに1000円の入金がありました。誰かはなんとなく想像がついています。ありがとうございます。 BLOGではじめてお金を貰ったのでもの凄く嬉しかったです。 【お金について】高校時代、山田ベストというCDを販売していました。あの時はCDを焼く機能すら珍しくIpodはなく、MDの時代だった。 月のTOP15をまとめたり、◯◯のアルバムを焼いたりして販売していた。 これをすることになった経緯は中学の卒業式の時、3年間の想い出ソングをまとめ、学校の正門をパケッジーにしたC

          BLOGで1000円稼いだ。

          ロボットみたいな人間だらけ。

          昨夜は奇策な会が行われた。最近の話、仕事の話、心境についてをべちゃとべちゃと。4人で!とお店はいったものの、気がつけば4人席に6人座っていた。 イベント、映像制作・マーケ、美容師、エンジニア、学生と年齢・職業がバラバラで色んな視点で会話が生まれる。Y-PUの将来はたくさんの人たちが興味のある業界でプロフェッショナルになるために社会にでていき、活躍していくであろう。そんな奴らと交わす酒、語る会話、共に作るもの・ことを想像するととても楽しみだ。 「働き方」「在り方」などが注目

          ロボットみたいな人間だらけ。

          腹が立った。

          最近思うことがある。 Y-PUを世代で分けるとしたら4世代に分けることができると思う。 その中でも 2世代は成長スピードは遅いけど徐々に進んでいる。 3世代は最近活気付いて来てる。なぜだろうか不思議なタイミングで動き出している。 4世代はすごく増えて来ていて爆発してる。 ところが1世代が最近おもしろくない。 社会に出て何を見据えたか知らないが、自分の力やアイデア、可能性に限界ラインを作らないでほしい。何に萎縮してるんやろうか。 Y-PUではここがもっと若者に背中見せいか

          腹が立った。

          (祝)Y-PU6周年

          なんやかんやで6年が経ちました。 どれだけの人が関わってくれたのだろうか。 Y-PUは人に恵まれてるよね。 今年は周年っぽさを出していこうということで じゃじゃーん鏡開き作っちゃいました。笑 はじめてやってみたけど、板割れね〜。 まぁ、なんやかんやで乾杯。 【今回のスタッフ紹介】 MCはこのお二人 バスガイドなつき、スーツまっすん あ、ハッシュタグは #Y_PU でお願いします。 ※この先この写真乱用します DJはこの人はるくん。(どこ見てるんやろ。) 料理

          (祝)Y-PU6周年

          デザイナーあきら様。

          今回は裏側でY-PUを支えてくれている1人の女性についてのお話。 あきら ・デザイナー ・エンジニア ・カメラ ・歌 ・ネイル ・その他たくさん THEマルチプレイヤーですね。 彼女と出会ったのは チョコパイ(※企画グループ名です)の時。 笑ってはいけない卒業式を4回生、卒業生を対象に企画したやつです。 そこからはデザイナーとしてY-PUをサポートをしてくれています。 学校を卒業して就職したんですけど、色んな葛藤があったみたいで辞めました。笑 その時くらいからかな

          デザイナーあきら様。

          12-tokoの祥

          ※はじめに彼からは何も許可をとっておりません。笑 簡単に紹介 ・元スーツ店員 ・今は営業マン ・12-toko の代表 ・モテたい男 あ、危ない! た、たぶん大学4回くらいからY-PUに来てくれた祥くん。当初は目立ってなかった。Flashモ部に来てたという認識はしてる。 そこからが長い、社会人になってもY-PUを好きでいてくれてる。 次はよく飲み会にいる人に、どんどん化けの皮が剥がれて来て蓋を空けるとエロオヤジだった。そして気づけばムードメーカーだった。 お調子者

          12-tokoの祥

          人見知りを克服?

          昔ずっと自分のことを人見知りやと思ってた。とくに、人前で話すことや年上の方と話すのがとても苦手。(今も苦手かも) そもそも人見知りって だそうです…「確かに僕はシャイだ」 でもよく聞くよね、私人見知りなんです。 って人。 そしてそうかって?思うこともよくあります。 ある社長さんをキッカケに人見知りがわからなくなった ある日、その社長Aと某会社のお偉いさんBと飲みに行ってました。 この後○○会社の社長Cと初めて会うんよ。 (その社長Cは僕が知ってる人でした) そ

          人見知りを克服?