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【反省文】BTS(防弾少年団)を通した歴史・差別問題とその解像度の変化

大変だ。
彼らを追えば追うほど、私が色々と大変だ。

これから書くこの手の記事は、先人ARMYが嫌というほど言及してくれたと思うが、自分の言葉で何かひとつ残しておきたいと思った。

BTS(防弾少年団)について言及する際に曲やパフォーマンスの素晴らしさ、メンバーの魅力……色々あると思うが、そんなことはわかった上でジャンピング沼したわけだし全部割愛するけど(するんかい)。彼らを語る上で歴史や差別問題を避けては通れない。

唐突だが小学生時代、父親に「結婚は全くしたくないけどもしするなら外国人にするわ」と冗談めかしく言ったことがある。

父は「クロンボだけはやめてくれよ」と笑いながら返した。「そんなわけないやん」と返した。何を基準に「そんなわけ」がなかったのだろうか。

父は考えが足りない人ではなかったと思う。とても"博識"で、"頭が良く"、"知識人"でもあった。
しかし俗にいうBOOK SMARTであり、認識はあくまで"クロンボ"だったのだ。(注:これは差別用語です)

結婚というイベントが人生に計画されていなかった私だが、なんの因果か国際結婚をして今に至る。

そこで見えてきた配偶者に対する世間の風当たりの強さ、見える差別(する方が無意識に行う)見えない差別……。時に私が同調圧力に負け差別に加担した形になり配偶者を悲しませてしまったこともある。
私もひたすらもがいていたように思うが、配偶者のそれは私の比ではなかっただろう。

警察沙汰になったこともある。その時の警察官の、外国人である配偶者に対する(そして私に対する)差別的な言動は死んでも忘れない。

程度こそあれどマジョリティに属していながら圧倒的マイノリティの立場も経験した。

偏見や差別、そういう経験をしていながら私はあまりにも隣国の韓国について無関心だったように思う。

昔在籍していた大学の姉妹校が韓国・釜山にあった。当時私は19歳。
釜山での研修で出会った同年代の韓国人学生たちはとても優しくフレンドリーだった。しかし、どこかで無意識化の意識内で彼らを見下していたように思う。

本邦の偏見に満ちた教育にどっぷり浸かってしまっていた私は、彼らを「見えない透明人間」としてあしらってしまっていたのかもしれないと、長年経ったのち、BTSを通し、そんなことが頭をよぎるようになった。

この『偏見』を態度に出すことはなかったと思いたいが「そう思いたいだけ」なのかもしれないし、すでに彼らを深く傷つけてしまっていた可能性は多分にある。

ただ一人の人間として存在しているだけなのに、当たり前のことがともすれば簡単に忘れてしまいそうになる。

マイノリティがマジョリティにもなりうる。
マジョリティがマイノリティにもなりうる。

「アーティストの好きな部分だけ見てればいいじゃん」果たしてそれで良いのか? もう一度ちゃんと考えたい。

そして「このアーティストが好きだからこの国も好き!」
そんな簡単な話でもないのだ。

我々は連累の一端にいる。加害の歴史・被害の歴史。学ぶ姿勢すらスキップし都合よく解釈してしまうのは新たな差別の温床になるだけである。


社会人になり数ヶ月間ヨーロッパの某国に滞在した。一番仲良くなったのは韓国人だった。あれから数年、コロナ禍になるまでは毎年互いの国を行き来し友好を深めた。

ヨーロッパで日・中・韓が揃った夜があった。個人レベルでは気のおけない友人達である。しかし歴史の話になるとやはり簡単ではなかった。

「私はあなたがいるから韓国(中国)が好きです」とは、やはり軽々しくは言えないのだ。なぜなら私たちは複雑の歴史の上の、そのまた一端に生きているからだ。
だが「手を取り合いましょう」とは自信を持って言える。

物事を考える時には多面的でなければいけない。歴史や差別問題もそうだ、加害側か被害側か。加害じゃないとすれば、それはあくまでこちら側の言い分なのではないか。事実認識にここまでの差を及ぼしている根本原因はなんなんだろうか。つまりは教育である。

そんなことを毎日毎日考えていると、エンタメと政治は切っても切り離せないものであることは容易だ。デビュー前から政治的メッセージ性の強い曲を作り続けたRM、引いては防弾少年団。こういう裏打ちがあるからこそこんな熱量で好きになったのだと思う。

防弾少年団の話につなげる為に書き始めた文章だったのに脱線してしまった気がするが、多分していない。

彼らに向き合えば向き合うほど、前述の内容の解像度が鮮明になる。
BTSのファンダムを俯瞰する時に素晴らしいARMYがいる一方で、残念ながらそうじゃない人もたくさんいた。

嫌韓を宣言した上で「でもBTSは好きです」。「反日だから」「反日だけど」「嫌韓だから」「嫌韓だけど」そして過剰なシッピングやアーティストの消費・搾取に加担しているという意識の低さなどあげればキリがない。

私も過去、別ジャンルでたくさん学び反省した一人である。そして防弾少年団に出会ってからもまだまだ多くの学びと反省を行き来している。

もし少しでも思い当たる節があれば、今一度自分の思考や言動を振り返ってみたい。

自分はあっち側にいたかもしれない。そしているかもしれない。

最終的に「LOVE YOURSELF」「LOVE MYSELF」へと帰結することを祈って、これからもファンとして彼らを見守りたい。そして良い人間でありたいと思った。

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