僕は絶対にサイコパスです










まず最初にこのnoteを見たあなたに感謝を述べます。

今。たった今あなたのおかげで僕はサイコパスでは無くなりました。

なぜならこのタイトルを見たあなたは真っ先にこう思ったでしょう。

サイコパスを自称する人はサイコパスじゃない。

そう、あなたはきっとそう思ったはず。

だから僕はサイコパスではありません。

あなたが僕をサイコパスではなくしたのです。

何気なく脳内に浮かんだその一言によって僕という人間のイメージが大きく変わった事でしょう。これは決して僕が無理やりあなたに思わせたわけではありません。

タイトルを見た瞬間鼻で笑ったかもしれない、落胆したかもしれない、呆れたかもしれない。でもそんなわけがないと思ってしまった。

知らず知らずのうちに勝手に人の言葉を否定してあなた自身が僕という人間を勝手に評価し、イメージを付けたのです。

これが印象操作です。

『他人より秀でていると粋がる。』この行為を行うと人は否定したくなります。一度「違う。」と言いたくなってしまいます。そこを利用したのです。例えば「プロのスポーツ選手だ」「〇〇のコンテストで優勝した」というタイトルでも一回は疑うでしょう。間違ったことではありません。本当かどうかわからないものは一度疑ってみないと信用できないものです。

しかしながら一度自分でつけたイメージや評価を覆すことは難しいでしょう。なぜならスッと心の底から出た自分の意見だからです。自身の意見を自身で曲げることはとても難しく、曲げるには自身を納得させる必要があり、プライドの高い人ほど難かしくなるでしょう。今回はそこをあえて利用させていただきました。

さあ以上を踏まえ本文に参りましょう。


他人の評価を被り猫になる。

フォロワーさんならご存知かと思いますが、僕は常日頃この言葉を胸に生きています。

他人が僕を勝手に評価しイメージをつけ自分との関係性を作り出し立ち位置を決め対応を決めているのだとしたらその評価をいかに自分に都合のいい評価にするかを考えたほうがいいでしょう。

例えば相手より上の立場で相手より強いという評価を受けているのだとすればもしふと弱い部分を見せれば勝手にガッカリしたり喜んだり蔑んだりするでしょうし手を貸してもらえないでしょう。

しかし相手より下の立場で相手より弱いという評価を受けていれば弱い部分を見せてもなんとも思わないどころか憐んでくれるでしょうから優しく手を差し伸べてくれるでしょう。

相手にどう評価されているか。

それを考えて立ち振る舞うだけで人生が少し楽になるかもしれません。

ここで僕の実践している具体例をいくつかあげてみましょう。

アホだと思われる

みんなアホがアホなことをしていても許すでしょう。

ミスをしても仕方ないと思うでしょう。

そもそも期待しないかもしれません。

ということは逆に考えればアホだと思われる事で

変なことをしても許される。
ミスを仕方ないと思ってもらえる。
期待されない。プレッシャーを感じない。

となります。いかがですか?ただアホだと思われるだけで相手が勝手に許してくれるのです。

次です。

可哀想な人だと思われる

自分より可哀想な人には手を差し伸べたくなるでしょう。

可哀想な人に強く当たらないでしょう。

可哀想な人の話をよく聞いてあげようと思うでしょう。

そうです。可哀想と思われるだけで

助けてもらえる
優しくしてもらえ強く当たられない
話を聞いてもらえる

となります。

次です。

イキリだと思わせる

イキリのいうことは信じませんよね。

でもイキリの言動をネタにするために見ますよね。

そしてイキリを他の人にも見せてネタにしたくなりますよね。

イキリだと思われる事で

全てイキリだとスルーしてもらえる
イキリ見たさに注目される
その評価が広まっていく

となります。上から

「アホだと思われる」

「可哀想だと思われる」

「イキリだと思われる」

この三つの評価を被ると

何を言っても嘘だと思われスルーされどれだけイキっても許され、他人の優越感のために優しくしてもらえるのです。つまり

なんでも言えて何しても許され何もしてなくても優しくしてもらえる。

どうです?素敵でしょ?しかも相手が勝手にやってる事だから相手はそれが当たり前だと思ってるので何も違和感がないのです。

相手は素でいるようで知らないうちに勝手に自分の意見や評価に縛られて行くのです。

ちなみに僕のnoteを読んでいるあなたも知らないうちに僕をこう評価しているでしょう。

文を書くのが下手だな

ってね。

もちろんわざとです。

そうする事であなたたちは多少僕の文がおかしくても許してくれるはずです。

そもそも期待していないはずです。

あなたたちは知らず知らずのうちに僕を許しているのです。いつもありがとう。

僕にとってのへたっぴなnoteは今までのnoteもこれからのnoteも皆さんからの評価を被るためにあなたたちに与える評価材料でしかありません。


「他人の評価を被る」更なる活用法とともに1910さんを続けてきて発見した簡単な上に自然な人の操り方、依存のさせ方は今後書くであろう最初で最後の有料版で…

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