愚者体験〜手持ちの札の違い〜

記載 2018/03/24 13:50

元々、沖縄県の離島から就職お上りさんとして東京周辺でジャバニーズプログラマ(IT土方)として働き始めた僕である。

いちおう県内の専門学校は出たものの、待遇の良い会社で働けるような人材ではなかった。(今も状況が大して変わっていない事は困りもん)
ある種の救いとして自分の持ち札の少なさは自覚していたので、何かできるようになった感が持てるようになりたいとは思っていた。

仕事をしていると自分よりも優れた人に出会う、その人たちは能力的に格下の僕をフォローするために、あれやこれやと策を考えてくれたり手伝ってくれたりした。
申し訳なく思いつつも、『この状況ではこんな手をうつもんなのか、フムフム(丸暗記)』とか思い、自分の手札を収集していた。

ある時、初めて人が下につき、初めて能力が格下の人と仕事をした。
そして前に自分が体感した状況に遭遇した。明らかに配下の人が困っている。
『今こそ手札を切る時だ!』
と意気込んで、かつて自分がしてもらったようにフォローする。模倣、猿真似である。

なんとなく賢者であれば『アチャー』と黹顔をそむけてしまいそうな気もするが、もちろんうまく行かなかった。
何よりもまずシンプルに自分の仕事が終わらなくなった。そしてフォローが継続できない。

そうして僕という愚者はようやく学んだ。
『このカードを使いこなす能力が足りない』と。まるでラーの翼神竜を召喚した孔雀舞さんのよう(ネタが古い)。

とにかくスペックが足りない。単純に自分ドキュメントを読む速度、理解する速度、相手が何をしているのかを把握する容量、把握するする速度、ありとあらゆる能力が足りない事を体験としてようやく理解する。
手に入れたつもりの札は、全然僕の手札なんかじゃなく手札は増えてないどころか、欠落している基本カードに気づかされると言う体験をした。

追加でその後、もっと規模の大きな会社なら新人の教育と言う形でこの手の体験を手に入れているのかと気づいて『コストの高い社会人生活だなぁ』としみじみと嘆いた。

しかしまぁ、嘆いてばかりいてもしょうがない。手札が違うってことすら知らなかったんだから、前よりは少しマシさ。

などと自己暗示に近いポジティブさを呼び出して『手持ちの札で手役を考えるしかないな』と思った瞬間に、はるか昔2chの名言まとめで見たスヌーピーの
『配られたカードで勝負するっきゃないのさ、それがどうゆう意味であれ。』
を思い出した。

こうして僕という愚者は5,6年ほどの体験からスヌーピーの名言の意味を学んだ。

いくつになろうが、『自分が使える』手札を増やしておいて損はないと思う。

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