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カチンと来た自分が大甘だった

公益社団法人被害者支援都民センターと言う団体に事件以来お世話になってきた。
都民センターは犯罪被害者の総合的な支援を専業とする団体として、東京都と警視庁等の支援と協力の上運営されている。

都民センターは毎年、遺族の手記を発行している。
私も、昨年初めて手記を寄せさせて頂いた。
今年も原稿募集のご案内を頂いたので、昨日書き上げて提出した。
手記を書くための参考文献にするつもりがあった訳ではないが、たまたま最近読んでいた本で改めて知った事を頭に入れながら手記を書いた。


かつて犯罪被害者には何らの権利も無かったと言う。

近年の犯罪被害者の処遇改善は1990年代から芽吹き、2000年代に犯罪被害者等基本法の制定や被害者参加制度の施行により、社会に実装された。
これらは、過去の被害当事者の方々の懸命な活動があったからこその成果である。

これらの処遇改善が無ければ、私は、娘が轢き殺された事件の裁判を傍聴する事が出来なかったかもしれないし、法廷で自らの心情と処罰感情を発言する事は出来なかっただろう。

何より、被害者は蚊帳の外が常道だったかつての司法実務の現実が変わっていなければ、我々が横断していた地点の約70メートル手前で赤信号を認識していたくせにフルアクセルで突っ込んで来た加害者を過失犯としてしか起訴しようとしない検察に待ったをかける事は出来なかっただろう。

産経新聞2021/11/21

手記を書き終えて、「交通事故」に付きまとう一括りのラフなイメージの根強さについて、改めて考えていた。

交通事故は、運が悪かったと言う括りで片づけられる事が多い。
私も犯罪被害者遺族ではなく、単なる交通事故遺族と言う扱いをされる事がしばしばある。

「仕方ないよね」と。

そのマインドは、検察や弁護士にも根強い様に思う。
だから刑事裁判にあまり重きが置かれない。
実際、交通事件について刑事裁判からの被害者支援を得意とする弁護士は少ない。
民事でなるべく多く賠償金を取りましょうと言うのが、ある種のお決まりだろう。

しかし、明らかに無謀で危険な運転で子を殺されて、「過失犯」などと言う名の罪名で裁かれる事は到底受け入れられない。

危険な運転は危険運転致死傷罪で裁かねばならない。
同じ立場になれば誰だってそう思うはずだ。

だが、実際は法律の要件が厳格過ぎて検察も危険運転の適用に二の足を踏むと言った事が繰り返されている。

危険運転致死傷罪が創設されて20年超。
検察内に厳格過ぎる要件との格闘を避け、過失犯で穏当に裁判に臨むと言う流れ作業が、静かに常態化した。
その様な実態を知る由も無い被害者達は、司法の流れ作業に放り込まれ、気が付いた時には、危険で無謀な運転によりもたらされた取り返しのつかない結果に対して、到底承服できるはずもない、「過失犯」と言う判決に苦しめ続けられる。

運の悪い交通事故などではない。
車を凶器にした事件なのである。

この事が放置され続け、実際は危険運転の判決が妥当な事件でも過失犯としてしか裁かれない「適用漏れ」が確実にあると思う。

検察の流れ作業の常態化も問題だが、一般感覚から考えてあまりにもアンバランスな法律そのものにも問題があると言う事は、多くの被害者遺族が訴えてきた事だ。

しかし今のところMinistry of Justiceと言う名の役所、法務省はこの問題に取り合おうとしない。

危険運転が疑われる様な事件は日々頻発している訳ではない。
そう言う意見がある。
多分それはそうなのだろう。
法である以上、バランスを考えた設計と運用は不可欠だと言う事は分かる。
何でもかんでも、厳罰にすればよいと言うものでも無いという意見にも耳を傾けるべきだろう。

ただ、現状はあまりにもアンバランスだと思う。

そうした中、丁度1年ほど前、自民党が犯罪被害者支援の議連を立ち上げたと言うニュースを目にした。
自分と世代の近い小泉進次郎議員が事実上の顔となっている事に、あわよくば危険運転の問題も関心を持ってもらえるのではないかと期待した。

今回の議連のテーマがいわゆる殺人による被害者の経済的支援に絞っている事は後々分かって来た。

問題は多岐に渡る。
順番に取り組まなければならないだろう。
今回のテーマに交通事件は含まれない事は理解できた。

それでも、犯罪被害者支援という間口を標榜する以上は我々の問題も課題の一つとして片隅に置いて頂きたいと、小泉議員に何度か文書を送ったが、反応は無かった。

昨日の小泉議員のブログは下記の様に締めくくられていた。

「勇気を出して声をあげて下さった当事者の方々の行動のおかげです。これからも犯罪被害者支援のための政策を一つ一つ前に進めていきますので、引き続き多くの方に関心を持って頂けたらと思います。」

カチンと来た。

しかし、そんなに簡単に糸口がつかめたら、危険運転の問題は20年超も放置はされていないだろう。

その事に気付き、相変わらずの自分の大甘さに余計に悲しくなった。



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