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桃の節句と梅の花

今日は3月3日、ひな祭りの日である。
女子の健やかな成長を祈る節句の年中行事。

日が暮れて、一人で事件現場の交差点へ行った。
昨日、義両親が供えてくれた花がいつもよりもこんもりと居た。
梅の花もある。

何故だろうか、現場に娘の魂など居るわけもないと分かっていながら、そこに訪れる事を絶やしてはならないと思っている。

昨年の3月3日、ひな祭りにちなんだ何かをしただろうか。
全く記憶にない。

昨年の3月3日、私は霞が関にある東京地方検察庁にいた。
入り口で身分証明書の提示を求められ、荷物の検査を受ける。

建物に入り、エレベーターに乗り、案内された部屋に入ると、ベテランの女性公判検事が待っていた。
私は検事の前に座る。
脇には、被害者支援都民センターの支援員が2名、私に付き添ってくれ、私と検事のやり取りを見守っている。

「それでは始めましょう」検事が静かに言う。

昨年の3月3日に検事と対面で行ったのは、証人尋問のリハーサルである。
「証人尋問(しょうにんじんもん)」とは、事件の関係者に対して検察官や弁護人、裁判官が直接質問をし、それに対する証言を証拠とする証拠調べの手続きのことらしい。

我々の事件において、被告弁護人は私が警察で聞かれた事件の記録(いわゆる遺族調書)について、証拠不同意とした。
被告弁護人の狙いが何だったのか、未だに素人の私には分からない。
しかし、遺族調書を被告弁護人から不同意とされると、検察官はその調書を証拠として裁判所に提出する事ができない。

検察官はその調書に書かれている事(すなわち私の事件当時の記憶等)を立証したいわけなので、書類に書かれている事を語っている当事者である私の、証人尋問を請求する事ができる。

裁判員が調書という紙で見るだけより、私が実際に裁判員や裁判官の前で尋問に答える形で語った方が、我々に有利だと検察官は説明してくれた。

被告弁護人は反対尋問で私の語る事を崩したかったのか?
しかし、実際の裁判において、被告弁護人は結局反対尋問はしてこなかった。

その証人尋問について、事前リハーサルを行ってたのである。
リハーサルとは言え、相手は検事である。
何か問い詰められる様な形になるのではないかと、少し身構えてはいた。
しかし、実際は淡々と事件当日の事、その後の入院時の事、退院後の事を聞かれただけの様に記憶している。
私は、可能な限り淡々と答えたと思う。
その公判検事とずっと目線を合わせて話しをするのはその時が初めてだったと思う。
検事は目に涙をためていた。

被告弁護人はもう一つ不同意にしている物があった。
娘の写真である。
普通の、日常を写した11歳の少女の写真である。
しかし、これも不同意にしてきた。
裁判員が情に引っ張られない様にという趣旨なのだと推測した。
私はこれに強く反発し、必ず写真を法廷で裁判員に見せるようにお願いした。
結果、1枚だけ許可がおりた。

実際の裁判では、裁判員を刺激しない様にと、生々しい写真は一切出ない。
どの様な傷を負ったかも、人体模型図の様な絵に、該当箇所にマルで目印が付けられるだけである。
血痕の画像も確かモノクロだった様に思う。
とにかく、裁判員にそうした生々しいものを見せない事に徹底して神経が注がれている。
裁判員に気を配るがあまり、証拠は無機質なものとなる。

裁判員制度にどの様な意味があるのか、私にはさっぱり分からなかった。

あれから1年。
もう1年も経ってしまったのかと思う。

間もなく娘の命日が来る。

未だに娘が居ない事が理解できていない。




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