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マスク越しに凝視するしかなかった光景

その日の朝をどの様に迎えたかは覚えていない。
久々にスーツに袖を通した。

霞が関の弁護士会館の1階で関係者と待ち合わせをし、東京地方検察庁へ向かった。
大きな道路の向こう側には日比谷公園が広がる。

東京地方検察庁のロビーで当方弁護士の到着を待った。

弁護士と合流後、事務官に案内され、事前に何度か検事と打ち合わせを行っていたいつもの部屋に通された。

その後、事務官の案内でエレベーターに乗り、建物の地下をグルグルと回る。
案内されるまま、細く長い緩やかな坂道を上がり寒い廊下を抜けると、そこは東京地方裁判所の建物のなかであった。

東京地方検察庁と東京地方裁判所は地下で繋がっている。

またエレベーターに乗り、案内されるままにウロウロと歩き、小さな部屋に通される。

特に会話も無く、小さな部屋で時間が来るのをじっと待つ。
時間になり、また案内されるままウロウロと歩き、隠しエレベーターの様なものに乗り、案内されて、また小さな控室みたいな所に通される。

再び特に会話も無く、時間が来るのをじっと待つ。

そろそろです、と告げられ、久々に履いた革靴のコツコツと乾いた音を聞きながら、案内された扉から中に入る。

令和4年3月8日 10時15分 開廷 東京地方裁判所422号法廷

恐らく10時丁度に入廷したのではないかと思う。
どの様に座るかを弁護士と話し、私は被告人が座るのであろうと思われる席の真正面に座った。
私の左隣に、弁護士が、さらにその左隣りには、検事が3名座る席があった。
我々の後方2列目に弁護士と妻が座った。

検事も被告人も被告弁護人もまだ入廷していなかった。

私のすぐ右側は傍聴席となっており、コロナで間引きされて傍聴人数も制限されていた。
傍聴席を軽く見まわすと、警察関係者や既知のご遺族などが傍聴にいらした。
報道席には、取材をしてくれた何人かの新聞記者、そして初めて見かける記者たちが居た。

法廷の状況をチラチラと観察し、そうこうしている内に検事が3人入って来た。
目で会釈をする。

そして、いよいよ来たかと、察しがついたのと同時に被告弁護人と被告人が入廷してきた。

普通に、会議室に入ってくるように、普通に入って来た。

私が座っている席と被告人が座る席との距離は10m~15mくらいだっただろう。
「コイツか」と思った。
小太りの地味な爺さんだった。
こちらには一切目線を合わせなかった。
私はどうする事も出来ず、ただただマスク越しに、じっとその爺さんを凝視する事しかできなかった。
爺さんは法廷の床を見ていた。

実際の法廷はもう少し広かった

定刻になり、舞台袖からゾロゾロ合唱隊が出てくるように裁判官達が入廷してきた。
裁判官は3人いる。真ん中に座るのが裁判長らしい。
裁判員は8人いた。

全員起立させられ、裁判長がゴニョゴニョ喋って着席した。

私は爺さんの一挙手一投足を見ていた。
相変わらず、目線は下にしか向かなかった。

爺さんは真ん中の証言台に呼ばれ、より私の近くに来た。

・裁判官が被告人に対し、名前、生年月日、本籍、住所、職業を確認する
・検察官が起訴状を朗読する
・裁判官が被告人に対し、黙秘権があることを説明する

ここまで、すべてがカッチリと形式通り進んでいた。
私は爺さんの一挙手一投足を見ていた。
検察官の起訴状にある「死亡させた」と言う文言に頷いていた。

自分が被告人席に座る立場になっていたとしたら、目の前に居る殺めた子供の父親を前にして、あの様な無機質な頷きができるだろうか、そんな事を思ったように記憶している。

そして、裁判官が信号無視について述べた時(罪状認否)、「赤信号を見た位置が違います」と初めて大きな声を出した。
それを言う事だけを事前に刷り込まれていたのだろう、幼児がお使いで品物名を連呼する様な有様であった。

赤信号無視について危険運転致死傷罪が成立する事を評価する際に、どの地点で赤信号を認識していたのかが大きなポイントになる。

被告は危険運転致死傷罪の成立自体は争って来なかった。
つまり、成立すると認めていた。

今考えれば、被告本人は危険運転致死傷罪と過失運転致死傷罪の違いも、自らが犯した罪も、その結果と責任も、自分が何者かであるかさえも理解して居ない様な爺さんであった。

しかし、赤信号を見た位置が、事件から11日後に行われた実況見分時の停止線前27.9mとは違い、同12.4mである、と言う事だった。
その根拠は事件から1年半後に被告弁護人と被告人が現場に来て、再度実況見分もどきを行って、赤信号を見た位置を思い出したと言う事だった。

私は事件から1年半後に、ノコノコと私の自宅近くの現場に被告人が来て、赤信号を見た位置について再確認をしていた事に驚いた。
一度も被告人自らの謝罪すら受けていないのに。

①事件から11日後に行われた実況見分(事件と同じ状況を、被告人と警察が再現する捜査)

②事件から1年半後に被告が独自に行った(ただ普通に交差点を走行しただけだろう)実況見分もどき

上記①vs②のどっちが信用できますか?

これを事件から丸2年経った時点で、裁判官3人、裁判員8人、検事3人、被害者参加弁護士2人、被告弁護人2人という、そうそうたる面々で大真面目に、極めて形式的に論じて行く。

耐えられない馬鹿馬鹿しさであった。
しかし、耐えねばならない。

私は休廷中に一人になりたくて、控室のベンチに一人座っていた。

私の姿が見えないと検事たちは少し焦ったらしい。
私が被告を殴りに行ったのではないかと。

いくつもの休廷をはさみ、15時40分に公判初日は終わった。

初めて加害者を目の前で見た。
ついに一度もこちらを見なかった。
退廷の際、私は仁王立ちで加害者をずっと追ったが、ついに、一度たりともこちらを見なかった。

被告弁護人は被告人なりに反省していると、裁判員に情状を求めた。
被告弁護人も仕事だろう、反省している等と露程も思っていない事は明らかだった。

つまり、私にとって裁判とはそう言うものであった。

露程も何も思わない人々の中に、娘の父親と母親が、理性的である事を強いられ加害者を前に座っている。


2022年3月9日産経新聞朝刊

                                                                                                                         裁判は淡々と形式的に進行していった。

令和4年3月10日 13時30分開廷 

父と母の証人尋問

 16時35分閉廷

                                                                                                          令和4年3月11日 10時開廷

情状証人の証人尋問 
被告人質問

 14時45分閉廷

令和4年3月14日 10時開廷

心情の意見陳述
論告、弁論意見陳述
弁論   

 13時40分閉廷

令和4年3月22日 15時開廷

判決

 15時20分閉廷                                                  



令和4年4月某日。
私は加害者の自宅に電話をした。
これで終わりではないと留守電に吹き込んだ。
すぐに折り返しがあった。
明日、収監だと言う。

そして、今までに刑務所にいる加害者と3度手紙のやりとりがあった。

お互いに出口は無いだろう。
恐らく今後もやり取りは続くと思われる。


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