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最近、スッキリした話。

変な時間に目が覚めた。アラームに関係なく目が覚めた。枕元に置いてある充電中のスマホを見ると5時30分だった。

起きてもいいし、そのまま寝てもいい時間だ。ベッドの上でごろごろしながら、覚めてしまった頭で朝イチの考え事をする。

5時30分、とてもいい時間だ。

昨日、寝る前に明日は5時55分に起きようと思った。ゆえに、5時45分にアラームをセットした。そして、今、5時30分である。予定よりも早めに起きてしまった。

思いがけず、選択肢ができた。このまま颯爽とスタートを切るもよし。そのまま、むにゃむにゃと5時55分まで微睡まどろみを満喫するもよし。ベッドの上で微睡の中、選択できる自由を手に入れたわけである。

これは、精神的にとても優雅だ。
ああ、素晴らしき5時30分。

そもそも起きようと思っていた5時55分もあくまで目標であり、絶対に起きなければならない時間を設定したわけではなかった。平日の私が「トチった、やべえ、このままでは保育園にも仕事にも間に合わねえ。冷や汗ぶっしゃー。はいジーザス。はいチーン」と感じる時間は、7時20分である。私の場合、7時20分起床になると途端に余裕がなってしまい、大人の対応ができなくなる。

そういう意味でも5時30分という時間は、全くもって切羽詰まっていない。ここで二度寝をしたとて、最悪7時15分までに起きればいい。すなわち、2時間弱も二度寝を謳歌できるということだ。平日に二度寝許容時間を2時間弱に設定できるなんて、なんと素晴らしいことだろうか。5時30分に目が覚めるということは、そういうことである。

勘違いしないで欲しいのは、早く起きすぎてしまうと、それはそれで問題が出てくることである。例えば、4時30分や4時55分、5時10分に起きたとしよう。これ、逆にストレス溜まるケースである。この時間に勝手に目を覚ましてしまうと、起きるより寝た方がいいと感じてしまう。「ああ、早く起きてしまった、ミスった。。。」が勝ってしまう。そのまま起きるにしても、寝れないから仕方なしに起きてしまった。。。(泣)のテンションで起きてしまう。これでは選択しているとはいえない。

こう考えると5時30分は、選択できる自由のある時間である。

意志を持って選ぶことのできる状態こそ、自由だ。
選べる状態を作ることのできた自分を朝イチから褒めたい。

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さて、毎日noteを書き、決まった時間に投稿するのをやめた。2022年6月から823日の間、休まずに続けていたのだが、スパッとやめてみた。これもまた優雅な選択だった。

やめることができるというのは、毎日書いている人の特権だ。毎日書くのをやめてもいいし、書いてもいい。

ずっと続けていたことをやめるのは、想像以上にスカッとした。とてもスッキリした。823日分をフリにした爽快感とでもいおうか。

もちろん、続いていることをやめることにもったいない気持ちがないわけではなかった。ただ、それ以上にやめる理由が勝った。その理由は、ここでは書かない。別に書いてもいい。けど書かない。これもまた贅沢。あえて書かない選択ということにしよう。

823日書き続けたという事実。個人的には大変満足している。今まで本も読んでこなかったし、文章を書いたことなどなかった自分を考えると上出来も上出来である。

現時点の私は、駄文であれば1000〜1500字程度の文章を823日連続で生み出し続けることのできる人間だということが判明した。自分でも驚きの実験結果である。

36年目にして初めて知った。少なくとも、823日前には知り得なかった新しい一面である。

学びを一つ挙げるとするならば、「書くことは思考することだ」ということを実感できたことだろうか。これもまた書く系の本で散々言われていることだが、自分で体験できたことが大きい。

毎日投稿、やめてよかった。

一度やめてしまえば、書けなくなるとかハードルが上がるとかいう人がいるけど、そんなことない。これからも書きたいときに書けばいい。僕にとって文章なんてそんなもんだ。

今の自分の状態が好き、とても気に入っている。

意志を持って選ぶことのできる状態こそ、自由だ。
選べる状態を作ることのできた自分を褒めたい。


・こぼれ話

ちなみに823は素数だよ~。

これからもちょくちょく書きます。
気が向いたらお立ち寄りくださいませ。
今後ともよろしゅーに。

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