「亡失のイグニスタ」第1話

7年前、とある山奥のひっそりとした集落が、一夜にして壊滅した。
住民が一人残らず、何者かによって殺害されたのだ。

事件はすっかり日の沈んだ時刻に起こった。
道端で男が突如、まるで誰かに刺されたかのように、腹から血を流して倒れたのだ。
周囲には刃物を持った人などいなかった。

通行人が男の傍に集まってくる。
そのとき、別の女が呻き声を上げて倒れた。
背中に大きな切り傷が生まれていた。

集落は阿鼻叫喚の嵐だった。
姿の見えない何者かが住民を殺して回っている。
住民は口々に叫んだ。

「向こうで人が殺された!」
「見えない何かに襲われたんだ!」
「見えない? そんなはずあるか!」
「本当だって! 早く逃げないと、みんな殺される!」

そう叫ぶ間に、一人の男が血を吐いて倒れた。
驚き目を見張る住民たち。
彼らの体に、次々に光線が突き刺さる。
血を吹き出し、絶叫を上げて倒れる人々。

「何だこの光は!」
「どこだ! どこから襲ってくるんだ!」

不可解な事態にパニックを起こし、逃げ惑う人々。

光の刃が一閃、彼らを一度に切り裂いた。
胴体を切断され、断末魔も上げられずに崩れ落ちる人々。

大虐殺の最中、事件当時9歳だった少年「仲光なかみち千里せんり」は、両親と自宅に隠れていた。
照明を全て消し、暗闇に身を潜める一家。

突如、窓ガラスが粉砕した。
外には誰の姿も見えないが、何者かが室内に侵入する足音が聞こえる。
割れたガラスを踏み締める音が、暗い室内に響き渡る。

何も無い場所から突如光線が発射された。
父親が光線に撃ち抜かれ、血を吐いて倒れる。
母親は、千里せんりを逃がした瞬間、光の刃に切り裂かれた。

奥の部屋に逃げた千里せんりは、膝を抱えて座り込む。
手の震えが収まらず、手首を掴んで抑えつける。

謎の足音が近づいてくる。

――助けて。
目を瞑り、必死に祈り続ける千里せんり

そのとき、千里せんりの耳に優しい声が届いた。

「大丈夫」

驚いて顔を上げるが、視界には何も映らない。

そこには一人の少女が立っていた。
長く美しい黒髪、純白のワンピースに裸足の少女。
しかし、千里せんりは彼女の姿を視認できない。

「私が助けてあげる。ずっとそばにいるから」
「そこにいるの……?」

千里せんりは怯えた表情で見上げるが、目の前には誰もいない。

「うん。私はいつもあなたのそばに」

少女はしゃがみ込み、千里せんり優しくの頭を撫でた。
掌の感触に、千里せんりは初めて少女の存在を認識した。

少女がそっと千里せんりを抱き寄せる。
千里せんりは目を瞑り、少女の腕に顔を沈めた。




長閑な集落で突如発生した、謎の大量殺戮事件。
凄惨で大規模な事件にもかかわらず、犯人の手がかりは一切無い。

唯一事件を生き残った千里せんり
目撃者は彼ただ一人。

千里せんりの証言は「見えない何かに殺された」

そんな非現実的な証言を信じる者は誰一人存在しなかった。
警察は皆「恐怖で混乱しているのだろう」と憐れみ、まともに取り合わなかった。

どうして信じてくれないんだ。
誰も味方してくれない。

悲観に暮れる千里せんりに寄り添う、白いワンピースの少女。
彼女の姿は、事情聴取する警察官や、他の人々、千里せんり自身にすら見えていない。
しかし、少女は千里せんりの隣に座り、その手を強く握っている。

「大丈夫。私はあなたの味方だから」

その声を聞き、千里せんりは少女の手を強く握り返した。




7年後、千里せんりは親戚の隅谷すみたに家に引き取られていた。

ある日の朝、起床した千里せんりは居間に顔を出した。
高校の制服をきちんと着込んでいる。

「おはようございます」

控えめな声で挨拶するが、義父は無言で新聞に目を落としている。
台所から出てきた義母は、黙って千里せんりの前を通り過ぎた。
千里せんりは暗い瞳で見送った。

そのとき、健一けんいちが居間に入ってきた。
健一けんいち隅谷すみたに家の一人息子で、千里せんりの義理の弟だ。

「おはよ~」

千里せんりを押しのけてテーブルについた健一けんいち
義父母はにこやかに「おはよう」と返す。

机に並んだ朝食は3人分だ。
仲良く席に着いて「いただきます」と手を合わせる一家。
それを横目に、千里せんりは肩を委縮させた。

「行ってきます……」

消え入りそうな声でそう言うが、一家は誰も相手にしない。
千里せんりは静かに居間を後にした。




コンビニのレジで鮭おにぎり1個を差し出す千里せんり
財布から小銭を掌にぶちまける。
10円玉×11、5円玉×3、1円玉×4……

「あれ? ……すみません、お金足りなかったです……」
「え、えぇ……」

戸惑う店員に、千里せんりは頭を下げる。

「すみません、安いのに変えてきていいですか?」
「はい、大丈夫ですよ」
「ありがとうございます……」

申し訳なさそうにレジを離れ、棚に戻る。

「ええと……129円……だから……」

税込108円の別の鮭おにぎりを手に取り、レジに持っていく。

会計を済ませてコンビニを出た千里せんりは、溜息をついた。

「はぁー、バイト増やそうかなぁ」

すると、千里せんりの隣に少女が歩み寄ってきた。

「頑張りすぎは良くないよ?」

少女の姿は7年前と同じで、黒髪に白のワンピース。見た目年齢も変わっていない。
少女は千里せんりの首に腕を回す。

腕の感触に気付いた千里せんりは、見えない少女の姿をぼんやりと探しながら、腕らしきものに手を添えた。

「でも生きていかなきゃなぁ」
「ご両親がお小遣いくれたらいいのにね」
「贅沢は言えないよ。俺みたいな厄介者を受け入れてくれただけでも感謝しなきゃ」
「それにしてもあれはないんじゃない? 一応家族でしょ?」
「まあ気持ちはわかるよ」

千里せんりは道を歩きながら鮭おにぎりを頬張る。

通行人が、千里せんりのことを不思議そうにチラ見している。
少女の姿が見えないので、まるで千里せんりが一人で会話しているように見えるのだ。

「たぶんまだ疑われてるんだろうなー」

そう呟く千里せんりの隣で、少女は通行人をキッと睨んだ。

「ひどい! あの事件のとき千里せんりまだ子どもじゃん!」
「でも、唯一の生き残りで、犯人の手がかり一切無しじゃあ、疑念はつきものだよ」

少女はプンプンと怒ったように頬を膨らませる。

「何も知らないくせに! 私はちゃんと知ってるからね。千里せんりが何も悪くないってこと」
「あはは、ありがと」

千里せんりが笑って虚空に手を伸ばし、少女の頭の位置を探して手を動かす。
それを見た少女が、自分の頭を千里せんりの手にグイッとくっ付けた。

千里せんりの不可解な動作を見た通行人が、ひそひそと何かを囁いている。
千里せんりは周囲の人々を見渡した。

「やっぱりイヨの姿は見えないんだね。まるで一人で話してるみたいだ」

千里せんりは気を落として、溜息をついた。

「こういうところも嫌われる原因なのかなぁ」

千里せんりは昔のことを思い出す。




小学生の頃、透明少女イヨと会話していたところを同級生に目撃された。
同級生は千里せんりを馬鹿にした。

「こいつ、一人で話してるぞ!」
「うわー! 痛いやつだー!」

すると、彼らの一人が、侮辱的な視線を千里せんりに向ける。

「知ってる? こいつ殺人鬼の仲間なんだぜ?」
「そうなん?」
「街の人全員死んだのにこいつだけ無事なの!」
「うわぁ、自分だけ助けてもらったのかよ! ずりーな!」
「つーかこいつが頼んだんじゃね?」
「うえー! “さつじんきょーさ”じゃん!」
「つーかこいつが殺したんじゃね?」

好き勝手に言って笑う同級生たち。
千里せんりは何も言い返さず、ただ俯いていた。

そのとき、同級生の一人に向かって石が飛んでいった。

「痛てっ! 何だ?」

驚きの声を上げる同級生。
千里せんりが顔を上げると、イヨが怒りの形相で同級生たちを睨んでいた。
イヨが石を投げたのだ。

「うっさい! バカ! バカ! バカ! バカ!」

イヨは次々に石を拾って投げ続ける。
同級生たちは驚愕し、逃げ惑った。

「うわっ! 何だこれ!」
「幽霊だ! 幽霊がいる!」

逃げる同級生たちに、イヨは「べぇー」と下を見せた。

「おとといきやがれ!」

憤激するイヨに、千里せんりはおずおずと声をかける。

「あの……ありがとう」

イヨは振り返って、満面の笑みを浮かべた。

「うん! 私は千里せんりの味方だからね!」




小学生の頃の出来事を思い返しながら、千里せんりは呟く。

「一人でぶつぶつ呟いてたら、そりゃ不気味な奴だと思われるよな」

イヨはムッとした表情で千里せんりの顔を覗き込んだ。

「私のこと教えたらいいじゃん。声は聞こえるんだから、ちゃんと説明すれば納得してくれるよ」
「ダメだよ。イヨのことが知られたらきっと騒ぎになる。これまでみたいにはいられない」
「それでも、私は千里せんりが除け者にされるのは嫌だ」

不服そうな表情のイヨ。
千里せんりは、イヨの声がする方向にそっと手を差し伸べた。
イヨの頬に千里せんりの手の甲が触れる。

「大丈夫だよ。俺はイヨが傍にいてくれるのが一番嬉しいから」
千里せんり……!」

イヨは顔をパッと明るくして、千里せんりに抱き着く。

「ちょっと……目立つ……目立つから……」

千里せんりは困った顔で、足を踏ん張りイヨを支えていた。




高校の昼休み、千里せんりは不良グループに声をかけられた。

「おう仲光なかみつ、悪いけどパン買ってきてくんね?」

不良の一人に肩を組まれて、千里せんりは苦笑した。

「ごめんけど金なくて……」
「まじ? 財布見せろよ」

不良は千里せんりの鞄をガサガサと漁って、財布を取り出した。
緊張して身を竦める千里せんり

「うわっ、小銭もねえじゃん」
「貧乏臭ぇー! もっとバイト入れろよ」

ゲラゲラと笑う不良たち。千里せんりは顔を引き攣らせる。

「ほんとごめん。来週バイト代入るから……」
「いいってことよ。貸してやるから。俺たち友達だからなぁ?」

不良たちは次々に財布から硬貨を取り出し、千里せんりに握らせた。

「ほれ、来週返してくれな」
「ありがとう、必ず返すよ」

おずおずと教室を出る千里せんりの後ろで、不良たちはガハハと爆笑した。

教室の外に出ると、廊下の壁にイヨが寄りかかっている。

「で、利子いくつ?」
「さぁ。利子とかあるのかなぁ。倍にして返せって言われるかも」
「倍で済んだらいいけどね」

購買でパンを買い、教室に戻った千里せんり
不良たちにパンを渡し、お釣りを返そうとする。
訝しげな視線を送る不良たち。

「お前のパンなくね?」
「えっ、いや、お金ないから……」
「いいって! 金貸すよ! つーか釣りやるよ!」

不良は千里せんりのお釣りを握る手を押し戻した。
他の不良も口々に「おう! やるよ」「友達だからなぁ?」と囃し立てる。

「いやっ、返すよ。そんないいって」

慌てた口調の千里せんりの声を、不良たちは聞き入れない。

「やるっつってんだから。俺たちの仲じゃねぇか。なぁ?」
「う、うん……」

剣幕に押されて、千里せんりは教室を出た。

購買に行き、売れ残ったパンを眺める。
一番安いのが70円。
不良に押し付けられたお釣りの合計金額は、65円。

「はぁ……」

肩を落とす千里せんりを見て、店員の女性が声をかける。

「何? 金欠?」
「ちょっと事情が……」
「まけてやろうか?」
「そんな、いいです」
「遠慮しないで! 食べ盛りなんだから!」

女性に無理やりパンを持たされ、千里せんりが悩んでいると、イヨに肩を叩かれた。

見ると、イヨは無言で手を差し出す。
その手には100円玉が握られていた。

ギョっとして千里せんりが目を見張ると、店員の女性が奇妙そうに呟いた。

「何さ?」
「いえ、何でも……」

千里せんりは遠慮がちに65円を差し出す。

「ありがとうございます。絶対返しますので」
「構わんて! 持っていきな」

千里せんりは一礼して購買を後にした。

屋上に上がった千里せんり
誰もいない屋上で、イヨと並んで座っている。

千里せんりは緊迫した表情でイヨに聞いた。

「それ、どこで見つけたの?」
「あのチンピラの財布」
「盗んだの? ダメだって!」

慌てふためく千里せんりを横目に、イヨはフンと鼻を鳴らして、100円玉を弄ぶ。

「いいじゃん。友達なんでしょ?」
「友達はお金を盗んだりしないよ!」
「友達は恩着せてお金せびったりしないんだから、お互い様ってこと」

チリン、と親指で100円玉を弾くイヨ。
弧を描いて千里せんりの掌に落ちる100円玉。
千里せんりはそれを渋々とキャッチした。

「やっぱりダメだよ。後で返しておく」
「いいの! 迷惑料だから!」

イヨが真剣な眼差しで千里せんりに迫り、両手で千里せんりの手を掴んだ。
千里せんりは、イヨに握られた手に視線を落とす。

「う、うん……」

イヨがいそうな方向を向くが、微妙に視線が合わない。

「ねっ!」

満面の笑みを浮かべるイヨ。

千里せんりは遠く空を見上げた。

「イヨの姿が見られたらいいんだけどなぁ」

イヨは千里せんりと手を繋ぎ、一緒に空を見上げる。

「ごめんね。でもいつか必ず見えるようにするから」
「まだ俺に力が足りない?」
「うーん、もう少しかかるかな」

千里せんりは隣に目をやるが、イヨの姿は見えない。

「俺、修行とかしなくていいの?」
「そういうんじゃなくて、千里せんりの体に私の力が慣れていくのを待つしかないの」
「そうかー。先は遠いなぁ」

そう言うと、千里せんりは拳を握って胸に当てた。

「俺に力が備わって、イヨが見えるようになったら、探しに行けるかな」
「うん。あの日みんなを殺した奴を見つけ出して、仇を討とう」

イヨが手を握る力を強める。それに応じて千里せんりも手を握り返した。

「あの事件の犯人も、イヨみたいに空想の存在なんだよね?」
「うん。悪霊っていうのかな? 人には見えない、魂だけの存在だよ」

千里せんりは過去の記憶を思い返す。
暗闇から突如出現した光線や光の刃。
光が暗闇を照らしても、誰の姿も見えなかった。

「見つけたら、戦うことになるのかな」
「大丈夫」

イヨが千里せんりの腕を抱き寄せる。

千里せんりが私の力を引き出せたら、一緒に戦えるよ」
「イヨ……」
「私はずっと千里せんりの傍にいるから」

イヨは、千里せんりの顔に頬を寄せた。
髪が当たる感触に、千里せんりの顔が強張る。

千里せんりの手がイヨの顔に伸びようとしたそのとき――

パン!

突如、屋上に銃声が鳴り響く。

千里せんりのパンに銃弾のようなものが直撃し、パンが弾け飛んだ。

「何っ?」

千里せんりは驚き、音のした方を見る。

屋上への出入り口、塔屋の上に、一人の少女が跪いている。
彼女は、青く染められた突撃銃を構えていた。
その銃口は、真っ直ぐイヨの方に向けられている。

「見つけた……」

少女が小さく呟く。
紺色のコートのような服を羽織い、セミロングの髪が風になびいている。
表情は儚げで、大人しそうな雰囲気の少女だ。

「7年前、ただ一人生き残った男の子」

少女の瞳が大きく見開かれる。

「そのウィスプと出会ったのは、いつから?」

呆然として声の出ない千里せんり
イヨは静かに少女を見据えている。

少女が突撃銃を装填し、ガコンと音が鳴り響く。

「7年前のあの日、あなたたちは何をしていたの?」
「7年前って、君は一体――」

千里せんりの声には答えず、少女は引き金に指をかけた。

「教えて。あなたたちの仕業だとは思いたくないの」




塔屋の上の少女「ミスティ」を見て、千里せんりは慌てて手を上げた。

「撃たないで! 一旦銃を下ろして……君は何者なんだ? 僕のことを知ってるのか?」

ミスティは構わず引き金を引いた。
パン! と乾いた銃声が鳴り、銃弾がイヨの腹に直撃する。

「ぐはっ……」

イヨは盛大な声を上げて倒れた。

空中からゴム弾がポロリと落ちる。
それを目で追った千里せんりは、イヨの声がした付近にしゃがみ込んだ。

「イヨ! 大丈夫?」

ミスティは表情を変えず、銃を再装填する。

「演技はいらない。ウィスプがこの程度で傷付くはずない」

千里せんりはミスティを見上げる。

「何でこんなことを……ッ!」

そう言いかけて、千里せんりは驚愕した。

「君、イヨが見えてるのか?」

千里せんりの言葉を受けて、逆にミスティが驚きで目を丸くした。

「嘘、あなたウィスプが見えてないの?」

ミスティはイヨを見やる。
ふらつきながら立ち上がるイヨ。

「大丈夫だよ……千里せんり

イヨの傍で狼狽する千里せんり
立ち上がったイヨの姿が見えず、きょろきょろとしている。

イヨの顔から優し気な笑顔が消え失せ、悍ましい怪物のような相貌となった。

醜悪な笑みを浮かべるイヨを見て、ミスティは息を呑む。

「彼に植え付けられたウィスプじゃない……。あなたまさか、成体ウィスプ?」

立ち上がり銃を構え直すミスティ。

千里せんりは事態が飲み込めずに困惑している。

「ウィスプって? イヨを知ってるのか? 教えてくれ! 君は誰なんだ?」

前に進み出ようとする千里せんりを、イヨが腕で押し留めた。

「ダメ。あいつの言葉に惑わされないで」
「イヨ、ウィスプって……」
「悪霊みたいなものって言ったでしょ。ウィスプって呼ばれてるの」
「じゃああの子もウィスプ?」
「あいつはウィスプを殺して力を横取りするの!」

イヨの言葉に、ミスティが必死の形相で叫ぶ。

「待って! それは違う!」
千里せんり逃げて!」

イヨはミスティの言葉を遮り、塔屋の上に飛び上がろうとした。

ミスティは大きく腕を横に振る。
すると、突風が吹き荒び、イヨの体を押し流した。

「キャー!」

悲鳴を上げて校舎の下に落ちていくイヨ。

「イヨ!」

屋上の柵に駆け寄ろうとした千里せんり
それを、塔屋から飛び降りたミスティが制止する。

「待って! あなたに伝えなきゃいけないことがある」
「そんなことよりイヨが!」
「ウィスプは落ちたくらいじゃ死なない! 怪物なの!」

叫ぶように言うミスティ。
千里せんりは不安げな瞳でミスティを見た。

「怪物って……」
「いい? ウィスプは人間に寄生する怪物。あの子は成体。成長した大人のウィスプ。成体は人間に子どもを植え付けて、子どもは人間を宿主にして成長するの」
「そんな、イヨは――」
「私はウィスプを討伐してるの! ウィスプは人に害を与えるから!」

ミスティがそこまで言ったとき、柵の向こう側からイヨが跳躍してきた。
ミスティは腕を突き出し、強風を起こした。

唸りを上げる強風を、イヨは身を屈めて躱す。
屋上に下り立ち、素早い身のこなしでミスティに迫った。

爪を立てて引っ掻くイヨ。
ミスティは突撃銃で防御する。
凄まじい衝撃を受け、銃が弾き飛ばされた。

後方に飛び退ったミスティ。
イヨは千里せんりの横にスタッと下り立った。

「へぇ、考えたね。空気銃か」

イヨは飛んでいった突撃銃を横目で見ながら言った。

「風を操るというか、空気を操れるのか。銃身に空気を詰めて無限に撃てる空気銃。威力の調節もできる? 特注なら支援者がいるのかな?」

不敵に笑うイヨ。目は恐ろしく見開かれている。

ミスティは両拳を握り締めて構えを取った。
イヨは狂暴な目つきで嗤う。

「風は大雑把で対象を絞れない。小回りも聞かないしね。無理して私を狙うと千里せんりも巻き込まれるよ。あなたの狙いは私でしょ? それとも、普通の人もお構いなしに殺すつもり?」
「適当なこと言わないで! 私たちは人を守るために戦ってるの!」

イヨは嘲笑うような表情を浮かべるが、千里せんりにはそれが見えない。

「大丈夫、千里せんり。私が守るから」
「ウィスプに乗せられちゃダメ!」
「私たちの暗殺依頼でも受けたのね。唯一の目撃者の千里せんりを消すために!」

イヨは千里せんりの横に立つと、その手をギュっと掴んだ。

「私はずっと千里せんりの味方だった! それは千里せんりが一番良く知ってる!」
「それがウィスプのやり方なの!」

ミスティは訴えるように千里せんりを見る。

「宿主を依存させるのが目的だから! 宿主が自分だけを慕って頼って、依存心が高まるほどウィスプは成長するの!」
「うるさい!」
「思い出して! その子はあなたにずっとそうやって接してきたはずだから!」

ミスティの言葉に、千里せんりは過去の光景を思い出した。
自分だけは味方だからと言い聞かせてきたイヨ。
人目につく場所でくっ付いてきたイヨ。
同級生に石を投げたイヨ。
100円玉をこっそり盗んできたイヨ。

ミスティがイヨに飛び掛かった。
イヨは難なくミスティの腕を受け止め、腹に掌底を叩き込む。

呻き声を上げて蹲ったミスティは、イヨの脚にしがみ付いていた。

二人の周囲に竜巻が巻き起こる。
上空に吹き飛ばされる二人。

「こいつ……!」

悪態をつくイヨ。
ミスティは、落下に合わせてイヨの体を屋上に叩き付けた。

「ギャッ!」

悲鳴を上げて屋上に倒れ込むイヨ。
ミスティは振り返り、目を白黒させる千里せんりを見る。

「良かった。幼体を植え付けられる前で」

そう言ってミスティは突撃銃を拾いに行く。

千里せんりは、ミスティが落下した地点を見つめていた。
何も見えないが、そこには確かにイヨがいるはずだ。

「イヨ……」

声が漏れ、イヨがいるはずの場所に腕を伸ばす。

突撃銃を拾い上げたミスティが、千里せんりに視線を向けた。

「幼体も植えずに、どうして人間と一緒にいたんだろう……」
「イヨ……イヨ……」
「ダメ」

ミスティは千里せんりを引き止めた。

「あなた、あのウィスプとずっと一緒にいたの?」
「ああ、ずっとだ。家族がいなくなってもイヨだけはずっと俺の傍にいてくれた」
「それって7年前のあの事件から?」

ミスティは息を呑んだ。

「もしかして、事件を起こしたのはあの子?」
「……え?」
「あなたの家族や親しい人を全員殺して、孤独感を与えた後にウィスプを植え付ければ、強い依存心が生まれる……」
「イヨが犯人? そんなわけないだろ……イヨはずっと俺を! 俺を……」

ふと千里せんりが前を見る。
何も見えない場所から、イヨの「千里せんり……」というか細い声が聞こえてくる。

「イヨ……?」
「ごめん、千里せんり、私もうダメだ……」
「イヨ!」

駆け出そうとした千里せんりの腕をミスティが掴んで止める。

「行っちゃダメ!」

イヨの消え入りそうな声は続く。

「お願い……私と一つに……力が消えてなくなる前に……」

イヨの思惑に気付いたミスティ。
千里せんりの肩を抑えながら叫ぶ。

「ダメ! 幼体を植え付けるつもりよ!」
「離せっ! 離してくれっ!」

千里せんりは暴れるが、ミスティの手を振りほどけない。

(くそっ、凄い力だ……っ!)

必死にミスティを振りほどこうとする千里せんり

そのとき、イヨがミスティに向けて指を伸ばした。
指先からレーザー光が照射され、ミスティの目に被弾する。
悲鳴を上げて目を抑えるミスティ。

(何? レーザー光?)

ミスティは、攻撃の正体を探ろうとイヨに目を向ける。

その隙にイヨは起き上がり、ミスティを体当たりで突き飛ばした。
勝ち誇った笑みを浮かべるイヨは、千里せんりの額に手を当てる。

「ダメ!」

叫び声を上げるミスティ。

ところが、イヨの体から光の粒子が湧き出てきた。

「えっ、何?」

疑問の声を上げるイヨ。
千里せんりを見ると、澄み渡った瞳を見開いている。

「わかった。俺、イヨを受け入れる」
「え、ちょ、おまっ」

イヨは狼狽した。

(こいつ、私を取り込もうと……!)

イヨの顔が見えないからか否か、千里せんりは力強く言う。

「イヨはずっと俺と一緒にいてくれた。いつも俺の味方でいてくれた。その過去は消えないから。イヨが何者であろうと、イヨがくれた時間はなくならない」
「違う! 私じゃない! 幼体を――」
「一緒に戦おう、イヨ」
「馬鹿っ、やめろ――」

イヨの体が粒子に分解され、千里せんりの中に取り込まれていく。

ミスティは驚愕の表情でそれを見つめていた。

(成体ウィスプを吸収した? そんな話、聞いたことない……)

光の粒子が全て千里せんりの中に吸収されると、千里せんりはミスティに向き直った。

「これで俺たちは一つになった。イヨを倒したいなら、俺を倒してからにしてくれ」


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