「亡失のイグニスタ」第2話

イヨを吸収した千里せんり
覚束なく拳を握って構えるが、ミスティは「待って!」と静止した。

「私はウィスプを倒すために戦ってるの。ウィスプがいなくなった今、あなたと戦う理由はない」
「どういうことだ? そのウィスプというのは一体何なんだ?」
「本当に何も知らずにあのウィスプと一緒にいたのね」

ミスティは、自分の持つ情報を千里せんりに開示することにした。

「私はミスティ。アンダーカバーに所属するイグニスの討伐員よ」
「イグニス? アンダーカバー?」

千里せんりには聞き慣れない言葉だった。
ミスティは、それらのワードを解説した。

まず、ウィスプとは異能力を持つ怪物のこと。
人と似た姿をしているが、人とは異なる生き物らしい。

彼らは人間に寄生し、人間を宿主として成長する。
寄生するのは主に「心に傷を負った人」「孤独に苦しむ人」
そういった人に取り憑き、「イマジナリーフレンド」を名乗るのだ。
宿主の唯一の理解者であるかのように振る舞い、宿主を自分に依存させる。
依存心が高まるほど、ウィスプは成長する。

ウィスプには2種類が存在する。
成長が終わって宿主の体から離れた、大人の「成体」
その成体が人に植え付ける、成長途中の「幼体」
イヨはどうやら成体に分類されるようだ。

ウィスプの恐ろしいところは、宿主を依存させるためには手段を選ばないところだ。
破壊活動や、殺人行為も厭わない。

宿主がいじめられていたら、いじめの加害者に「やりかえそうよ」と促す。
宿主が金銭的に困窮していたら、「強盗しようよ」と唆す。
ウィスプには強靭な身体と超常的な能力が備わっており、それらをフル活用して宿主の望みを叶え、宿主を自分に依存させようとする。

あなたの味方は自分ただ一人、と刷り込むのだ。

ミスティたちは、そんな危険な怪物から人々を守るために戦っているという。
彼女が属するウィスプ討伐集団の名が「アンダーカバー」
メンバーは全員「イグニス」という存在で、普通の人間は一人もいない。

イグニスとは、自らの体の中にウィスプを封じ込めた人間のことだ。
植え付けられたウィスプが成体になって体を離れる前に、ウィスプを自分の体に取り込み、自分の力とする。
そうしてウィスプの超常的な力を身に宿すことが可能となる。

「じゃあ、君も昔ウィスプを植え付けられたことがあるの?」
「うん……」

千里せんりの問いに、ミスティは悲しげに答える。
心の友を騙る怪物。
その言葉を思い出し、千里せんりは言葉を飲み込んだ。

代わりに、別のことを質問する。

「ミスティって、あだ名なの? それとも、もしかして日本人じゃない?」
「これはイグニスとしての名前。本当の名前はもう捨てたから」
「どういうこと?」
「ウィスプは幻想の存在だから、人には見えないし、人と交わることもない。ウィスプと同質になったイグニスは、もう人の世から離れた存在なの」

普通の人間はウィスプを見ることができないらしい。
イグニスもまた、人から知覚されづらく、もし対面したとしても、すぐに人の記憶から消えてしまうと言う。
そして、イグニスとなった人が生きた痕跡は、この世界から徐々に失われていくのだという。

衝撃を受けた千里せんりは、急いで教室に駆け戻る。
しかし、廊下を行く千里せんりとミスティに声をかける者はいない。
教室に戻っても、千里せんりは誰からも見られなかった。

先程まで会話していた不良たちも、千里せんりの姿に気付かない。

千里せんりは憔悴した顔で不良たちに話しかける

「あれ……んと……仲光なかみつ?」

不良たちはぼんやりとした表情で言った。
自分のことを忘れかけているのか……。
千里せんりはショックを受けながらも、

「これ……」

と100円玉を差し出した。

「何だ?」
「実は、さっき盗んじゃって……金欠でさ……ほんとごめん」
「ん? ああ、そうかよ」

不良は怒るでもなく、不思議そうに100円玉を受け取る。
他の不良仲間に話しかけられた不良は、千里せんりに興味を失ったように、そちらに行ってしまった。

不良たちは、別の気弱そうな男子に絡んでいる。
男子の教科書を掴み上げて下品に笑う不良たちを見るミスティ。

「友達?」
「そうだといいなって思ってたのかも」

自分の居場所が無くなり、人間として生きた軌跡が全て失われると実感した千里せんりは、ぎこちなく笑うばかりだった。




校舎を出た二人。
半ば放心している千里せんりに、ミスティはイヨのことを質問した。

「あのウィスプは、7年前からずっと一緒にいたの?」
「うん、両親が襲われたとき、イヨが助けに来てくれた?」
「犯人と戦ってたの?」
「いや……」

千里せんりは当時の光景を思い出した。
両親が襲われた後、突然目の前に現れたイヨ。
今になって思い返すと、彼女が自分を具体的にどう助けたのか、よく把握しているわけではない。

ミスティは、イグニス化した千里せんりを放っておけないので、アンダーカバーに招待するつもりだという。

そのとき、ミスティは仲間からの通信を受ける。
ミスティは、通話相手を「ギース」と呼んだ。
「ウィスプを発見し、追跡中」とのことだ。
逃走先は、二人がいる高校のすぐ近く。

ミスティはウィスプ捜索に向かう。
成り行きで千里せんりも付いて行くことになる。




10歳ほどの少女を抱えて疾走する男。
高校生のような背丈に、黒いスーツを着た男だ。

少女が心配そうに男の顔を見つめる。

「なっちゃん、大丈夫」
「心配ないよ。もう追ってこないさ」

なっちゃんと呼ばれた男は、少女を地面に下ろすと、近くの駐車場に視線を向けた。

「いけないね、こんなものがあるから、事故を起こしてしまうんだ」

“なっちゃん”は、片手を自動車の列に向ける。
黒い犬のような何かが出現し、自動車に飛び掛かり、バンパーを破壊し始める。

不安な顔の少女に、“なっちゃん”は「これで、二度とみんな悲しい思いをしなくて済むね」と微笑む。

そこに到着した千里せんりとミスティ。
“なっちゃん”が黒い犬を使役しているのを見て、「情報と一致する」と彼がウィスプであると認める。

“なっちゃん”は「明美あけみちゃん、下がっていて」と少女を後ろに下げる。

戦闘開始。
“なっちゃん”は黒い犬を同時に4匹召喚し、千里せんりたちに差し向けた。
ミスティが風で2匹押し戻すが、もう2匹は風を突破し突進してくる。

1匹が、千里せんりの腕に噛みつこうとする。
千里せんりは闇雲に腕を振り払って犬を追い払おうとするが、腕に当たった犬は軽々と遠くへ飛んでいった。
自分の腕力が高まっていることに気付く千里せんり

ミスティが空気銃で犬の眉間を撃った。
犬は鳴き声を上げて倒れ、消滅。
続く2匹にも銃弾を撃ち込み、撃退した。

“なっちゃん”は「私たちの邪魔はさせない」と更に犬を出現させる。

向かってくる6匹の犬をミスティがつむじ風で次々に吹き飛ばす。
千里せんりは、ミスティに頼まれ、“なっちゃん”に単身突っ込む。

「なんでこんなことをする?」

千里せんりの問いに、“なっちゃん”は「無念を晴らすためだ」と答えて応戦する。
格闘戦の心得がない千里せんりは、人外のウィスプの戦闘力に押されて消耗していく。

千里せんりは、“なっちゃん”の後ろに回り込んだ。
隙を見て殴り込むつもりか?
“なっちゃん”はその動きを的確に捉え、「ここだ!」とカウンターを仕掛ける。
ところが、そこにいたはずの千里せんりの姿がない。

いつの間にか“なっちゃん”の背後にいた千里せんり
“なっちゃん”が振り返ると同時に、その顔面に拳を叩き込む。

地に伏した“なっちゃん”は「何が起きた?」と混乱している。
千里せんり自身も、自分が何をしたのか正確には理解していなかった。

そこに、犬を全て撃ち倒したミスティが、心当たりを話す。

「光で幻像を作ったのかも」

ミスティは、屋上の戦いでイヨがレーザー光を照射したことを話した。
イグニスは、その身に宿したウィスプの能力を使用する。
イヨを取り込んだ千里せんりは、イヨの光関係の能力を獲得したのだとミスティは予想した。

渾身の一撃を受けた“なっちゃん”。
千里せんりとミスティが“なっちゃん”に近づこうとすると、物陰に隠れていた明美あけみが立ち塞がる。

「来ないで! なっちゃんをいじめないで!」

この少女が宿主だという。
事情を聞くと、“なっちゃん”とは彼女が飼っていた犬で、交通事故で亡くなったらしい。
他に友達がいない明美あけみにとって、“なっちゃん”は唯一の友達で、その“なっちゃん”が再び自分の前に現れてくれたので、二度と失いたくないとのことだった。

自動車を破壊していたのは、交通事故を起こした自動車への恐れと恨みをウィスプが汲み取り、その内なる感情をウィスプが代弁していたという。

飼っていた犬の生まれ変わりだと騙り、破壊活動を促すウィスプ。
非道な存在と感じつつも、千里せんりは、悲しそうな表情の明美あけみを見て、“なっちゃん”を倒すことに躊躇いを覚えた。
他の誰も親しい人がいない気持ちと、その唯一の信じられる人を失う悲しみを体感したばかりだからだ。

ミスティも、“なっちゃん”を倒すより先に、明美あけみを説得し理解を得ることを選んだ。

ところが、その油断を付いて“なっちゃん”が復活し、ミスティに犬を放ち、地面に引き倒させる。
人質を取られて怯んだ千里せんり

そのとき、“なっちゃん”の頭上に、先程破壊した自動車が出現した。
突然出現したその自動車に驚く間もなく、自動車は“なっちゃん”を圧し潰した。
“なっちゃん”の消滅と共に、黒い犬も煙のように消える。

「ウィスプにたぶらかされるな」

そう言って姿を現したのは、白いコートを着込んだ少年だった。


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