「亡失のイグニスタ」第3話

その少年を、ミスティは「ギース……」と呼んだ。

鋭い雰囲気を漂わせた少年。
切れ長の瞳は威圧的で、強い精神力が漲っている。

ギースは、ぎらついた目で千里せんりを見た。

「何だこいつは」
「ついさっきイグニスになった子。成体ウィスプを吸収したの」

ミスティの言葉に、ギースは「成体ウィスプだと?」と目を見張った。

千里せんりは、ギースの眼前に迫り、こう言った。

明美あけみちゃんに謝ってほしい」

見ると、明美あけみは呆然と自動車の下を見つめていた。
飼い犬の生まれ変わり(と信じていたウィスプ)を失いショックを受けているのだ。

しかし、ギースは、
「何を謝ることがある?」
「ウィスプにたぶらかされるのは罪だ」
と威圧的に返した。

ギースは自分の過去を語る。
かつてギースは強盗に親を殺されたが、ウィスプに唆されるがまま、仇討ちをウィスプに命じてしまった。
その過去を「己の罪」と捉え、「ウィスプの言葉に耳を貸してはいけない。ウィスプは殲滅するべきだ」という信念を得たのだった。

破損した自動車に近づくギース。
一瞬で自動車が消え、元あった駐車スペースに瞬間移動した。

目を丸くする明美あけみに、ギースは固い口調で言った。

「あの男はお前の飼い犬などではない」
「そんなことない……」

首を横に振る明美あけみ
“なっちゃん”は、明美あけみと遊んだ思い出や数々の記憶を言い当ててみせたのだという。

ギースは静かに告げた。

「暴力を振るい、物を破壊し、人を傷付けるのが、お前のいう“なっちゃん”の本当の姿なのか?」

明美あけみの目から涙が溢れ出る。

千里せんりは、明美あけみの前にしゃがむと、優しく頭を撫でた。

「なっちゃんとの思い出は、君の心の中にずっとある。大丈夫、なっちゃんはどこにも行かない。ずっと君の傍にいるから」

明美あけみは小さく頷いた。




三人は、明美あけみを交番に預けた。
物陰から様子を窺っていると、母親が明美あけみを迎えに来た。

明美あけみは、母親に「どこに行ってたの?」と聞かれても、「わからない」と首を振った。
ウィスプと千里せんりたちの記憶は消えたようだ。

ウィスプを視認できるのは、ウィスプを植え付けられた者か、イグニスのみ。
ウィスプを失った宿主は、程なくしてウィスプに関する記憶を失う。
イグニスの性質により、千里せんりたちと出会った記憶もすぐに薄れて消えてしまう。




ギースは千里せんりに名前を聞いた。
千里せんりは、人間時代の名前を継続して使うことに気が引けてしまい、ミスティたちのような新名を考え始める。

印象的な思い出などがないか、記憶を探る千里せんり
一つ頭に思い浮かんだのは、遥か昔に母親に見せてもらったルーン文字の占いだった。




スピリチュアルなコンテンツが好きだった母親は、世界各地の占いや呪術的知識を収集していた。
有名なタロットカードの存在を知った千里せんりが、母親にねだってタロット占いを見せてもらったとき、「こんなのもあるよ」と披露されたのがルーン占いだった。

占いの内容は特に覚えていない。そんな占い体系が本当に存在するのかも詳しく知らなかった。
ただ、母親にルーンの意味を聞いたときのことはよく覚えていた。

「ルーンって何?」
「秘密!」
「えー教えてよー」
「そうじゃなくて、“秘密”っていう意味があるんだって」
「何それー、ほんと?」
「うーん、秘密!」

他愛のない会話で、特に重要な意味合いを持たない記憶だ。
とはいえ、他に思い入れのある単語も見当たらなかった。




千里せんりは、「ルーン」と名乗ることを決めた。
ミスティに由来を聞かれるが、特にないと返した。

感慨に耽るルーンに、ギースは険しい視線を向ける。
ルーンが吸収した成体ウィスプ「イヨ」について、激しく追及された。

「いつから行動を共にしていた?」
「7年前、両親を亡くしたときから」
「この7年間何をしていた? ウィスプに何か吹き込まれたのか?」
「別に、ずっと一緒に仲良く暮らしていただけ」
「その成体ウィスプの目的は何だ? なぜ7年間も何も仕掛けず、ただの人間に付き従っていた?」
「事件の犯人を見つけて仇を討つための準備期間と言っていた。今日までそれをずっと待ってた」

ルーンの返答を聞いても、ギースは腑に落ちなかった。
イヨが何か企んでいるに違いない。
そもそも、ルーンがイヨの傀儡でないとも限らない。
ルーン自体が何らかのウィスプである可能性もある。

そこまでルーンを警戒するのは、普段は人間に幼体を植え付けるだけの成体ウィスプが人間に取り込まれるという事態が想定外だからだった。

ミスティは、イヨの行動目的と、イヨが取り込まれた原因について、自分の考えを述べた。

・イヨが7年間ルーンに付き添っていた理由は、長年に渡り“イヨはたった一人の友達だ”と刷り込むことで、ルーンの心の中に“イマジナリーフレンド”像を醸成し、ウィスプを植え付ける下地を作ろうとしていたから。
・イヨが取り込まれた原因は、ルーンの“イマジナリーフレンド”像がイヨそのものになっていたから。

その考えを聞いても、ギースは完全には疑念を払拭できなかった。
何か裏があるはず。

ギースは、
「イヨの意識が完全に消滅しておらず、ルーンの体内に潜んでいたら、いつか体を乗っ取られるなど大惨事が起こるかもしれない」
「ルーンを危険因子として監視するべきだ」
と主張した。

ミスティは、ルーンを悪者扱いすることに異を唱えたが、ルーンはそれに納得し、彼らの庇護下に入ることを決めた。




アンダーカバーの活動拠点の一つに案内されるルーン。
そこはアパートの一室で、何らかの方法で使用許諾を得ているらしい。

他の主要メンバーとの面通しは一端保留となった。
ギースがメンバーと連絡を取り、正式に紹介する段取りを決めるとのことだった。

ルーンが来ていた高校の制服は破棄することになった。
代わりに渡された、鮮やかな朱色のコートを羽織る。
メンバーを色分けして識別しやすくする意味もあるらしい。

夜、ギースが拠点を留守にしているとき、ルーンはミスティと二人きりで会話をした。
ミスティは、明美あけみのウィスプに隙を見せた自分の甘さを悔いていた。
ルーンは「自分が明美あけみの気持ちに寄り添いたいと言ったのが原因だ。非は自分にある」と謝罪する。

ミスティの繊細さと優しさを感じたルーンは、ミスティとウィスプについての過去を尋ねる。

「ミスティのウィスプはどんな子だったの?」
「とても優しい子。夜、一人で泣いてる私を抱きしめて一緒に寝てくれた」

ミスティは母子家庭で、父親は物心つく前に亡くなったという。
母親は仕事で長時間家を空け、一緒に過ごす時間は少なかった。

ミスティにウィスプが植え付けられたのは、小学5年生のことだった。
ウィスプは、心優しい友達としてミスティと接してきた。
いつしか、ウィスプはミスティの心の拠り所となった。

中学2年生の頃、母親が病に倒れた。
ウィスプに「母親を助けよう」と唆され、治療費を稼ぐために年齢を偽りバイトを始めた。
そうして母親と接する時間が削がれていたことに、当時は気付かなかった。

程なくして母親は亡くなり、ミスティが頼れるのはウィスプだけとなった。
しかしその後、ウィスプがミスティの不在の間に、母親の病態を悪化させる行動をしていた証拠を見つけてしまう。
ミスティは母親を亡くした悲しみとウィスプへの怒りで泣き腫らした。
しかし、ウィスプが自分の唯一の心の拠り所として何年も傍にいてくれた記憶は、ミスティにとって大切な思い出となっていた。

ウィスプを拒絶することができず、いなくなってほしくないと願ったミスティ。
気付けば、ミスティはウィスプを取り込み、その身に封じ込めていた。

ミスティは、
「母親が亡くなるきっかけを作ったのは自分だ」
「大切な親友だったウィスプを殺めてしまった」
と、今でも後悔の念に苛まれていた。

ルーンは、ウィスプが絶対悪ではなく、人の心に寄り添ってくれる優しい存在だという側面もあると考えた。
それをミスティに伝え、「親友はいつまでもミスティの心の中に息づいている」と励ました。




ギースが戻らぬまま、就寝していたルーンとミスティ。
夜中、ルーンはギースに起こされる。

外に呼び出されたルーンは、ギースに問われる。

「7年前の事件とイヨの関係について心当たりはないか」

ギースは、昼間ルーンが戦闘で使用した幻影について考えを述べ始めた。

幻影は、光を操作し生み出されたもの。
その光操作はイヨの能力。
そして、7年前の事件も光線や光剣が使用されている。

なぜ7年前の事件について知っているのか?
それを問われたギースは「大規模な不可解事件だから、ウィスプの関連性を疑って調査していた」と話す。

ギースの言葉を聞きながら、ルーン自身も、イヨに対して疑いの気持ちが芽生え始めたのを感じていた。
イヨがルーンに能力を見せなかったのも、自分を疑わせないためだったのかもしれない。

ギースは「大量殺人犯を内に抱える人間を手元に置くことはできない」と、ルーンを倒す意思を告げた。

ギースが手を前に出すと、虚空から剣が出現した。
それを掴みルーンに突き付ける。
物体を瞬間移動させる能力か、とルーンは身構えた。

ルーンは、両手を付き出して閃光を放った。
目くらましだ。

ところが、なぜか目の前からギースが姿を消した。
どこに消えた?

そのとき、背後から気配を察知し、振り返るルーン。
ギースが背後から斬りかかってくるのを見て、咄嗟に回避する。

そのとき、ルーンは一つの確信を得た。

ギースの能力は瞬間移動ではない。
空間を切り抜き、移動させるのだ。
今、ギースは自分の後ろに移動したのではない。
自分が後ろを向かされたのだ。

横に飛んで距離を取ったルーン。
ギースは、剣を構えてルーンを見据えていた。



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