「出会えなかった、今日の僕へ」 日記 2023年6月12日

こんばんは、身動きの取れない点Pです。

昨日に書いた日記から今まで起きたままです。
死ぬほど眠たい。目瞑ったら寝るからドライアイ覚悟して瞳孔とまぶたを開いてる。

どこかで、眠るという事は死ぬ事だ。そして、朝に生まれ変わり新しい1日を生きる、みたいな事を言ってる人がいた気がする。(いなかったら、ごめん。僕が言ったことにして。)
それだと今の徹夜した僕は昨日の僕が生きてるんだなって感じるから面白い。
今日の僕よ、ザマァみろ!昨日の僕が生きて奪ってやったぜ!の気分だ。そして、生まれることなく消えていった、今日の僕に黙祷。


分かりやすく説明するって事は、最低限必要な情報以外を削ぎ落とすということではないか?
それを加味して考えると、「頭がいい人は分かりやすく話す」という事象は、バカには期待していないということではないのか?みたいな突拍子もないことを思いついた。
基本的に分かりやすい話と言うのは「要点」を咀嚼して話すことだとは思うが、そこに至るための発想であったりもっと話したいことは沢山あると思うのだ。賢い人はよく考える人だと思うので、絶対そこについても話して反対意見とかも貰いたいと思う。知らんけども。

僕たちの知らない所で、賢い人達が賢い人達にしか分からないような会話をしているかもね。



SNSでテインエイヂたちが、無免許運転や未成年飲酒、喫煙などの悪事を働いて晒されている。
確かに、法律上悪いし道徳的にも悪いけど、それを批判する気持ちにはなれないのだ。ただ、良しとはしたくない。高校生のうちに仲間内や大学の新歓パーティーで缶チューハイを飲む様なテインエイヂより、未成年のうちは絶対に酒なんて飲まない!!って、良くない行いをみんながしているから逆に反骨になってしまっているテインエイヂの方が僕は好きだ。

僕たちも、テインエイヂであったのだ。

電車内で2chまとめを開いている毛根が後退作戦をしているおじさんも、5ちゃんねるという名前にいまだに慣れず、2chという過去に誇示している僕も、娘が成人し子育てが終わって純烈を追いかけている叔母さまも、テインエイヂだったのだ。

そして、テインエイヂよ
貴様らも僕たちみたいになるのだ。ざまあみろ。

大人になるって言うことは〜と宣えるほど、僕も大人では無い。でも、中学生の時の謎の焦燥感は少し遠くに行ってしまったように思う。

クラスの隅で、休み時間をどうにか乗り切るために、イヤホンから好きな音楽を流して寝たフリをしていた僕みたいな少年に思いを馳せてしまうのは、大人になったからなのかな。

なにしてるって?
チーちくのチーの摘出してんねん。


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