社会貢献と欲求の変遷


社会貢献の欲求は人間に備わっているのか。

欲求はとてもわかりやすく変遷している。

「消費欲求」は70~90年代、まあ俗にいう高度経済成長期を通して完全に枯渇した。

次は

「承認欲求」、ゼロ~10年代、サービス業の隆盛とも密接に関わってるというか、
でも承認欲求、だんだんと満たすの簡単になってきて、
というか、人間、承認欲求、わりとすぐ満たされちゃう仕組みなんだろうね。

だから承認欲求もそこそこ枯渇してきてて、で、ここからは未来予想になるわけだけど、
まずは「表現欲求」を満たしたい人が増える気がしてる。

表現欲求ってややこしいけど、要は承認欲求の派生形というか義理兄弟というか、
人にわざわざ発表して傷つくくらいなら小さなコミュニティで、自分たちだけで作る喜びを共有しよう、みたいなある意味ネガティブで消極的な欲求。

でもこれも割とすぐ枯渇する気がする。
だって何か作るってめちゃくちゃ面倒だし、結局他者に承認されないと目的として持続性低いんだよね、表現そのものを純粋に楽しめる人って、これかなり悲しいんだけど、相当に少ないのも事実だから。

そして、承認欲求と表現欲求のハイブリッドとしてその先に
「“本当の意味での”社会貢献欲求」が発生する気がしている。

本当の意味での欲求が原動力にない生産は、もう市民を疲弊させるだけじゃないですか。
正確にはわからないけど、なにか、テクノロジーの後ろ盾なんかも込みで、
個々人が自分の欲求に自覚的になるっていう過程が必要だよね。

それが、本当に必要なスキルの取得という欲求みたいなものと混ざりあって個々人に蓄積された時、
それが成功した時、わりと簡単により良い社会って実現すると思うんだけどね。
本当に必要なもの、本当に幸福に繋がるものが正しいタイミングで正しい量需要され供給される世界、みたいな。

時間が必要だよ。
個々人が経験と、その経験から情報を摂取するための。

テクノロジーは、生活改善っていうのだけじゃなくて、シンプルにもっと時間稼ぎ要因としても活躍してもいいのに。


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