僕ら日本人は、そもそも「自分の言葉で」伝えることを教えられてないのにさ
僕ら日本人は、そもそも「自分の言葉で」伝えることを教えられてないのにさ
2018年6月24日
お疲れさまです。弱きものです。
「自分の言葉で」伝える
みたいのことを就活では嫌になるほど求められますよね?
面接官には何をどう答えても、
「それほんとに君の本音?」
と詰問される。
くそめんどくせえなって思います。笑
どうせ会社に入ったら本音なんて聞いてくれないくせに。
というか、面接官は何をどう判断して、その人が語る内容がその人の本音か否か決めているんだろう。
我々はそもそも「自分の言葉で」伝えることを制限する教育をされてる
少しだけ難しい内容に入ります。
そもそも、僕らは、教育の場で「自分の言葉で」伝えることを教えられていないんですよね。
国語のテストを思い返せば一目瞭然。
なんだかよくわからない文章を読まされて、
そこに何が書いてあるのか「正しいものを選びなさい」
これがほとんどじゃなかったですか?
もともと、どこかの誰かが用意した「答え」を「当てられるか」のゲームなんです。
その「答え」が、本当に正しいのかを「考える」ことは、一切やらせてもらえないんですよね。
「正しいかどうかは置いといて、自分の言葉で意見を書けたやつに100点!」
なんてテスト、そうあったもんじゃないですよね。笑
大事なのはいつも「正しい」かどうか。
しかもその「正しさ」はいつだってたった「一つ」です。
そこに自分の意見が、自分の言葉が介入する余地はない。
こうやって、僕らは少しずつ自分の言葉を削り取られてるんですよね。
就活は「たった一つの答え」を当てるゲームじゃない
就活において、ほとんどの人がしてくる質問が
「こういう質問がきたら、こう返した方がいいですかね?」
というもの。
もう、この時点で「たった一つの答え」を探そうとしてしまっているんですよね。
ありもしないのに(笑)
完全に小さい頃からの教育にやられてるんですよね。無意識のうちに。
「たった一つの答え」を導き出せるやつが優秀とみなされ、
「たった一つの答え」にたどり着けたやつが選ばれる。
国語のセンター試験みたいに。就活も、一問一答だと思っている。無意識に。
面接官は「たった一つの答え」を用意したうえで質問しているわけではない。
・・・とは言いません。
人それぞれ「己の哲学」みたいなものがあるから、まあ、「答え」みたいなものはあるかもしれない。
でも、面接というのは、相手の「答え」に合わせにいくゲームじゃないと思うんだ。
それだと、センター試験よりはるかにむずいでしょ(笑)
相手の答えに合わせにいくんじゃなくて、
「自分の言葉」を探し求める。
大変だけど、「自分の言葉」から導き出せる「自分の答え」を準備していく。
なるべくいろんな角度から「自分の答え」を準備していく。
というか、日ごろの生活から、自分はどう考えるか?という視点で活生きる。
面接は
「自分の答え」と「相手の答え」をぶつけて、どこまで分かり合える試す場
って考えるべきだと思うんですよね。
ほんとに質が高くて、かつ自分に合っている企業なら、
「自分の答え」と「相手の答え」ががっちゃんこする。
それを目指すのが就活。
が、まあここまで言った通り、ほとんどの人は「自分の言葉」を封印されている。
教育でね。
これが就活がくそむずく感じる根本的な原因だと思います。
単純ですよね。今までやってこなかったこといきなりやれと言われても、できるわけがない。
柳田国男の言葉がおもしろい
民俗学者・柳田国男の言葉とその考察を載っけておきます。
難しいかもしれないけど、やっぱりめっちゃおもしろい。
《国語教育は昔から読み方と書き方の教育のみを重視してきて最も根本的なものを忘れていた。それは「思い言葉」の教育である。「話し方」というのは、むしろその効果を意味する。すなわち自分の思いまたは感ずることを、その通りに言葉で表現させる教育のことである。》
柳田国男「思い言葉」
《私たちが話し方教育の強化を主張した根本の動機は、実はこの口真似の国語教育があまりにも普遍し、その幣害は政治の深部にも及んで敗戦の一つの原因となって居ることを感じたからである。》
柳田国男「話し方と読み方」
《大きな国の問題には預め堂々たる答えが準備され、人がどういふわけで是非とも殺し合はねばならぬか、何故に父母妻子を家に残して死にに行かねばならぬかといふやうな人生の最も重要な実際問題までがもう判りきっていることになっていた。第一に自分はそうは考えられぬのだがということが言へない。》
敗戦後、「日本人とはなにか」と問われ、柳田國男は「事大主義と付和雷同」と答えている。およそ日本人について最もよく知りよく考えた人から、この無残な言葉が発せられたショックは大きい。
しかし柳田は事大主義という日本人の悪弊について、戦前の早い時期からずっと考えていた。そしてこれを改善するためには、日本人一人ひとりが自分の気持や考えを自分の言葉で語れるようになる、国語教育が必要だと結論していた。
事大主義とは、皇国日本は世界に冠たる存在だと声高に主張するような態度のこと。今で言えば「日本スゴイ」がそれに当たるだろうか。
付和雷同は、富国強兵・八紘一宇など決まりきったスローガンを誰もが反復し、それさえ唱えていれば愛国者の鑑であるかのように扱われる風潮。ネトウヨはコピペしたように同じ表現を使うことが指摘されるが、それに当たるだろうし、教育勅語を唱和させることもまさにこれだ。
フレーズ反復による思考停止は、オウム真理教でもマインドコントロールに利用されていた。原発推進という政府からもたらされたスローガンが、経営に関する常識的思考を奪った結果、東芝の崩壊を招いたのも、同じ現象に思える。
柳田はこうした悪弊を取り除くためには、
自分の気持・考えを自分の言葉で表現できるようになることが必要だと考えた。
歴史教育以上に国語教育が大切で、それなしでは歴史教育も、右のものであれ左のものであれ、ある種のスローガンを復唱させるだけのものになってしまう。
日本人のこうした悪弊は、江戸後期には抑制されていたが、明治以降、特に江戸期の記憶を持つ人々がなくなるにつれ、表に現れてきた。
ちょうど戦争の記憶を持つ人々がいなくなると同時に、安倍政権のようなものが現われたように。
官僚としての柳田は「中農」という自立した農業民を構想した。
また農業のみならずどの産業においても、個々の経済的経営的自立を重視し、産業組合論を展開した。
しかし富国強兵のスローガンの下、中央集権を進め、国民を国家の道具・部品としての臣民として扱う情勢の中で敗北し、民俗学創設に転じた。
中農や産業組合を構想した柳田の考えを、表現のレベルで追求したのが、自分の気持を自分の言葉で語るという国語教育である。
それはほとんど人が生きるということと同義だが、もっとも難しいことでもある。特定の美辞麗句を復唱しあうことのほうがよほど簡単であるから。
まあ、戦争とか思想とか、大きめな話は置いといて、
要するに、国とは「答え」を用意するんです。人をまとめるのに必死なんで。
たしかに重要かもね。
ここの柳田国男の文章でいう「スローガン」や「特定の美辞麗句」が「国語のセンター試験のたった一つの答え」と言ってもいい。
でも、少なくとも、同じ考えのまま就活に臨むと、うまくいかない。
いままでやり方を一切教えてくれなかったくせに
突然「自分で考えろ」って言われるんですから。そりゃ当然と言えば当然。
だから、寝込めば?って思います。
情報を一度シャットアウトして、「自分の言葉」を探しだす作業をしたほうがいい。
そのうち、いろんな疑問がわいてくる。
これは「自分の言葉」なんだろうか?とか
自分の言葉。くそつまんねえな、とか。
そういう葛藤のなかで、なんとかかんとか紡ぎ出した言葉じゃないと、
どこかにいる、あなたと同じような「答え」を持っている面接官の心は動いてくれないんだと思うんですよね。
だから、「自分の言葉」探してみましょうよ。
少しずつ。ね。
なかなかできないことは当たり前。
それはすべて戦後から成長していないこの国の教育のあり方のせいにしてやりましょうよ。
実際、僕は本当にそう思うし。
今。自分の言葉を探すことを覚えれば、この先きっと人生が楽になると思うから。
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