いい加減にやるにはテクニックがいる
お疲れさまです。弱きものです。
今から、形而上学的なことを言います。
最近よう聞くようになったアレです。
僕は割と人生をシンプルに考えていて、
人は好きなことを極め、
その楽しみを他人に分け与えるために生きてると思ってる。
自分のしたことで他人が笑顔になるのは単純に嬉しい。1人1人好きなことが違うのは、神様が役割分担したから。キザに言えば、それが貴方の天命。
真面目過ぎる人がバカを見たり鬱になったりするのを見ていると、いい加減にやることの難しさがひしひしと分かる。
人は、今より真面目になることは出来ても、意識していい加減な人間になることは極めて難しい。
だから今いい加減な人は下手に真面目になろうとせず、逆にいい加減には決してできない、こだわらずにはいられないことに才能を生かして今のまま生きて下さい。
これが最近流行りの好きなことして生きていく論。
ここまでは誰でも理解できて、賞賛されうる時代観。
でも、すごく空想的というか、具体的な技術や事例が少ない。
でも、いい加減さを保つには、その分人に補ってもらえるようなテクニックが必要不可欠だし、そのテクニックを習得する人間は一部の選ばれた人間。
何か一つのことにこだわることも誰でもできる。
でも、何か一つのことにこだわりながら時代観を読み、時代をうまく利用し、そのこだわりと時代をうまく結合させることは選ばれた人間にしかできない。
じゃあそれが、どんな人間かというと、
人を、時代を嘲笑いながら、屈託のない笑顔ひとつで人々から愛される人間。
選ばれし人間。
決して凡人には届かない。
生まれながらの才能。
そして、選ばれた人間本人は、本能的に自分が選ばれた人間だとわかっている。
決してあなたのことではないんです。
そう、有吉弘行のことです。
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