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劣等感の沼から抜け出した話

私が劣等感に苛まれていた状態から抜け出して心が軽くなったってだけの話です。役に立つかどうかも分からない自己満足の文章ですがどうぞお付き合いください。

私の劣等感が最も酷かったのは中学時代です。部活動と勉強、そして習い事でいつも劣等感を抱えていました。別に苦手だったわけではないのです。しかしセンスに頼りすぎたことで限界が来て、きちんと考えて努力してきた人間にあとから追い抜かれるという現象が頻繁に起きていました。そのころの私はこのことに全く自覚がなかったため、何が起きているのか分からずに毎日のように劣等感に苛まれていました。このとき自分は劣等感という言葉すら知らなかったので自分が抱いている感情がなんなのかも分かっていませんでした。最も劣等感を強く感じたのは勉強でした。小学校のころ仲の良かった友達が、急に成績を上げてきたのです。中学生のときの私には本当に何が起きているのか分からず、最初は偶然だと思っていました。しかし安定して良い成績をとる彼女を見て、私は非常に焦りました。しかし最終的に追い付くことはなく、彼女は東京の有名私立高校に行ったのを見て思いました。「彼女に追い付くのは無理だ」と。諦めのような感情を抱いた途端、心が軽くなったんです。このときから私は「人と比べても自分が辛いだけだ」ということを実感しました。

受験を終え、公立高校に落ちた私は私立高校に入学しました。公立高校に落ちたのは私立受験が終わったことで燃え尽きただけだったのでそこは気にしてはいません。それよりも問題だったのは高校の風潮でした。過激なまでに学力史上主義が罷り通っていました。せっかく自分は自分のペースでいこうと思ったのに、周りがそれを許さないのです。それも生徒だけではなく教員が。最近の言葉でいうのであればアカハラです。教員たちは東大や旧帝大、早慶上智などの有名大学および医学部のレベルに到達できないような人間をゴミのように扱っていました。学力別クラス編成だったのと、成績ランキングが廊下や教室に当たり前のようにずっと貼られているので、目に見えてお互いのレベルが分かってしまい、成績が悪い人を見下す人もいましたし、それを読み取った人は当然嫌な気持ちになっていました。かくいう私は上位クラスの最下層というポジションでしたので、これはこれでしんどかったです。全体に向けて教員がアドバイスするときはほとんど上位層向けの話でしたので、まるで参考になりませんでしたし、周りは本当に頭が良くて正直居心地が悪かったです。「気にするな、劣等感を覚える必要はない」と常に自分に暗示をかけて精神を保つ日々を送っていました。学校の風潮に飲み込まれていく人が出てくるなかで、気の合う友人を見つけられたのが唯一の救いでしたね。

大学に入学してからは、劣等感に苛まれることはほぼなくなりました。6年間、全員が国家試験合格という同じ目標を掲げて勉強しているのももちろんあると思いますし、なにより勉強の大変さについて弱音を吐ける、共感してくれる人たちがいるのでだいぶ気が楽です。

劣等感を自覚し、気にすることではないと分かっていても、周りの風潮が頻繁に劣等感を刺激するようであればやっぱりしんどいですね...。ですから己の劣等感と向き合うことと、劣等感を刺激してくる人間から離れることの両方をやるのが劣等感を最小限にすることができる方法だと私は思います。

ここまでだらだらと語りましたが、最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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