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ユースワークキャンプ2023を終えて

1泊2日のキャンプを終えて、「ユースワークがよりわからなくなった」とか「モヤモヤが増えた」という感想を聞く中で、企画段階でやりたかったことがある程度実現できたかなと思いつつ、

・この企画を「大会」とか「カンファレンス」ではなく「キャンプ」と名付けたこと
・第1回のテーマを「多様性と共通性」にしたこと
・今回は共通性よりも多様性に軸を置き、性急な答え探しよりも多様な人が集まったこと自体を祝福しようとしたこと

などのアイディアが、どれも奏功していたように思えて嬉しかったです。 山本 晃史片岡 一樹 の思いから出発した今回の企画ですが、初日の最初の休憩のときのごちゃごちゃ感を見たときに、2人がやりたかった風景がもう実現してるじゃん、といきなりエモい気持ちになりました。

国立青少年教育振興機構の仕事をするようになってから、コロナ禍でのオンラインフォーラムなど、子どもや若者に関わる人たちの「横串を指す」ことにこだわってきたこともあって、今回のような企画に関われたことは本当に嬉しく、楽しい経験でした。

冒頭のクロストークに登壇させてもらったものの、ユースワークの多様性と共通性を自分なりにどう考えるか、ということのモヤモヤは膨らむばかりですが、みなさんの議論を聞いて一つ考えていたことは、近年「ユースワーク」の意味する内容が拡散・混在している状況はあるものの、むしろ歴史的に見れば、ユースワークはいつだって多様で、バラバラだったのではないか、ということです。

「余暇」と「民主主義」というキーワードにしても、ある時代の、ある地域に成立した1つのユースワーク観でしかないという面もあるし、現実にはより多様なものが「ユースワーク」と呼ばれてきた中で、あらかじめユースワークの共通性や本質がどこかに存在しているかのように想定して議論してしまうことが(こうした議論ももちろん重要なんだけど)、「ユースワーク」と「ユースワークでないもの」を分断させたり、「ユースワーク」を権威化してしまったり、「ユースワーク」という言葉の取り合いにつながってしまいかねないことにも、注意深くあるべきだろうということも考えていました。(その意味で、幅広い層を巻き込みつつ、そこに「通底」する価値を大切にすることや、定義を問うことと同時になぜ「ユースワーク」という言葉を使うのかを問うていくことは個人的にとても重要だと考えていることです)

こんなことを考えつつ、みんながつながっていくための言葉としての「ユースワーク」の持つ可能性を期待して、来年のユースワークキャンプまでモヤモヤ・ウジウジを続けてみたいと思っています。

関わってくださった皆さん、ありがとうございました。

ユースワーク・キャンプ実行委員 青山鉄兵

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