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【6】仕切り直す~初めての診断書

たまには泣きたくなることもあるのです。

 珍しくちょっと凹んだ。

 三番目の娘は先天性の心疾患を皮切りに、突発性側わん症、肺高血圧と無気肺で24時間在宅酸素といろいろ不具合がある。心臓の根治手術後、小学校までは比較的健康だったのだが、第二次性徴期以降、体調不良が顕著になり、19歳で障がい者手帳を取得した。

 その手帳の更新時期が来たので、転院後初めて大学病院の主治医の先生に提出用の診断書をお願いした。大学病院は、日々たくさんの診断書を作成しているせいだろうか、診断書を受け付ける専門の部屋があり、そこで申し込む。書類ができあがったと連絡をもらい、さっそく取りに行った。係の方は受付用紙の名前と内容を確認したあと書類を取り出し、
「封筒にお入れしますか?」
とおっしゃった。あれ? そのままいただくんですか?

 これまで医療助成などの申請の時にお願いした診断書は、渡されるときにはみんな封に入りしっかりと糊付けされていて、なんなら開け口に印(「緘」というやつ)まで押してあった。しかし今回は、そのまま渡されようとしている。ちょっとびっくりしたが、入れていただけますかとお願いしたらちゃんと入れてくれた。が、封はされないまま渡された。お礼を言ってその部屋を出て、とりあえず待合室のソファに腰を下ろす。さて……どうしようかな。

 思いがけず、初めて娘の診断書を見る機会に遭遇した。読んでいいものなのだろうか。病状については何度も説明を受けているし、私なりの把握はしているつもりである。それでも、彼女の病状が最新の状態でどんな風に評価されているのか、見てみたい気持ちはあった。かつて学生時代、学校でもらった自分の内申書とか調査書とかを覗いてみたかったあの時と同じような気持ち。家族として彼女の生活をサポートしている立場としては、見ておいたほうがいいのではないだろうか。封をしていないということは見てもらって構わないということであろう。情報開示というやつかな。などといろいろ言い訳めいたことを心の中で呟きながら、封筒の中身を取り出して開いた。

 その診断書の内容は、思ったよりよくなかった。

 私が把握していないことがけっこうたくさん書いてあった。知らない言葉もたくさんあった。心室駆出率? 心胸郭比? 聞いたことない。大動脈弁逆流、僧帽弁逆流……これは聞いたことがあるぞ。カテーテル検査の後の説明で出てきた。そして極めつけの『心不全』。

 ……あぁ、そうですよね。そもそも最初からちゃんとした形ではない心臓ですから。でも心臓が「不全」だと明言されたことはじつは一度もなかった。根治手術後の修復された彼女の心臓の機能は「常人の8割程度」と聞かされていた。そして検査の結果いつも「これだけの手術をしている割には、心臓の動きはいい」と言われるので、こちらとしては勝手に「心臓はきちんと機能してる」と思っていた。でもどうやら違うようである。そうか、この「これだけの手術をしている割には」っていうのが曲者だったか。

 聞いたことがない言葉(心室駆出率とか心胸郭比とか)についてネットで検索した。言葉の意味や付随する症状など見ていると、だんだんいろんなことが腑に落ちてきた。一昨年、年またぎで入院する羽目になった肺の不調も就寝時の無呼吸の症状も、全部この「心不全」が起因となっているらしい。そうだったのか、呼吸器が単独で悪くなったというわけではないのか。今さらながら理解した(遅い)。総じて先生の評価は「安静にして日常生活を送るにも手助けが必要である」よって申請は1級。ここは今までと変わらない。変わらないのだが。

 ……ええと、ちょっと、なんか補給していいですかね?

 病院を出て自転車に乗り、帰宅途中にあるたい焼き屋に立ち寄った。季節限定のレモンカスタード味を買って、店頭にあるベンチに腰掛けてかじる。風が強い。カスタードクリームが思ったより甘く、口の中に残る感じ。水かお茶が欲しい。

 さてと。どうしたもんだろうな。

 けっこうショックを受けている自分にちょっと驚く。娘のからだについては、ここ5年ほど想定外のことが続いていたから、さほどのことでは驚かない自信があった。でもこの診断書に書いてあることが、ボディブローのようにじわじわ効いている。
 そっか。心不全か。安静にしていてもしんどいのか。困ったな。

 高校生になり、だんだんと年齢があがっていくにつれて、本人も親も将来のことなどを漠然と考え始めた。心臓のことがあるので、動き回ったり身体を使うような仕事ができるとは思えない。デスクワークかな。研究職とかいいかもしれない。そう思って安易に大学受験を試みたが、体力的にも学力的にも同年代の子たちに太刀打ちできず、挙げ句の果てに体調を崩させてしまった。常時酸素装着・外出時はボンベ携帯、そうなってみると大学に通うこと自体がなかなか難しいと感じられるようになった。構内が広い(=移動距離が長い)、講義の時間が長い(=側彎症による背骨の曲がりが残っていて長時間座っていることが辛い)、拘束時間が長い(=酸素ボンベの残量を常に気にしなければならない)という、私たちにとってはなんでもないようなことが、彼女にとってはネックになった。
 仮に大学に通えるとしても、それはたぶん何年か先、外出時の酸素携帯はしなくても大丈夫とか、そのくらいに回復してからだろうか。でもその可能性は今のところ限りなくゼロに近いように思える。
 大学生活だとかアルバイトだとか、いろいろ経験してほしいことはたくさんあった。そしてその延長上にある、「働く」という日常。でもそんな未来や就職の選択肢も、ここ1〜2年でどんどん狭まってきているような気がする。

 なんだか切なくなってきた。
 泣きたい気持ちをたい焼きと一緒に飲み込む。
 とりあえず帰ろう。帰って家で考えよう。

     *     *     *

 娘は高校を卒業してから今年で、ニート3年目(本人談)に突入している。そのうち最初の半年は予備校生、しかし途中で体調を崩し入院、退院と前後してにコロナが流行し始め、なし崩しに自宅静養となったまま今に至る。体のことがあるからいいと思うのだが、本人は「何もしていない」今の状態をけっこう気にしているらしい。
 高校までは、なんとか卒業まで漕ぎつけられるよう学校もフォローしてくださった。けれど、卒業と同時にはしごをはずされて、何もない状態で社会に立たされて戸惑っている。それが今の私と娘の現状である。
 障がい者手帳のおかげで、交通費とか医療費とか、いろいろな補助はいただいている。とてもありがたいし、最大限に利用させてもらっている。でも、その先は? いったい何をどうしたらいいのだろう。

 手帳を取得するときに役所の窓口でいろいろ聞いてみた。娘は在宅酸素で服薬多めだが、ひとりで動けるし食べることもできる。日常生活での補助はそれほど必要ではない(配慮の必要はあるけれど)。そのため障がい者基礎年金の支給対象者とはならない。「動けるんだから働けってことでしょ」と娘は苦笑していた。たしかに社会に出る準備が不十分だったのは否めない。だけど、一応進学しようと思っていたのだ。もう何年か、準備の猶予があると思っていた。でもそれがなくなった。できたことや思っていたことができなくなるのは、本人も、まわりも辛い。気持ちや態勢の立て直しは、そんなに簡単にはできないのだ。

 今、この、もろもろ制約のある状態の彼女の日々の暮らしを、どうしたら「悪くない」ものにしていけるのだろう。

 おととしの年末から去年の正月にかけての入院以来、娘の体調はとりあえず安定している。24時間酸素をつけているし、コロナのせいで機会は減っているけど、携帯ボンベを引っ張ってお出かけもしている。大好きなラーメン屋さん通いもしているし(今はやや自粛中)先月からついに自動車免許の取得計画も動き出した。運転の緊張と、いつも使ってない腕の筋肉を使うせいで、バリバリに肩こりしてリハビリの先生にマッサージでほぐしてもらったりしているが、良き方向へ進んでいると、娘も私も思っている。
 だけど現実はなかなか厳しい。出かけた日はやっぱり疲れを次の日まで引きずっている。気温の変化に身体がついていけなくて、すぐ循環が悪くなり、利尿剤を服用していても尿の出が悪くなる。ようやく春になって陽気が良くなってきたけれど、冬場はずっと不調だった。

 普通学級で大丈夫だと言われていたけど、中学高校と青春を満喫できる楽しい時期を、体調のせいでほとんど謳歌することができなかった。当時の友人との交流はほぼない。彼女の世界は今のところ、家族とテレビやネットの世界が主で、狭くて自由が効かない。なんとかして、その世界を少しでも広げてやりたいと思う。でも勉強不足の母は、そのやり方がわからないのだ。

 どなたか、心疾患児を育てあげた方のお話を聞きたい。学校を卒業したあと、仕事とか進路とか、どんな選択肢がありましたか? どんなことを考えたらいいんですか? みんなそれぞれ病状は千差万別だと思うけれど、前のめりで聞かせていただきたい、と切実に思う。

 なんかもう、ずっと言われていた「普通の人と同じで大丈夫」という言葉が、呪いの言葉に思えてきた。いつもそれに振り回される。調子に乗ってやりすぎて、結果として彼女の身体によくないことになってしまう。何回同じことを繰り返してるんだろう。学習できない自分に呆れてしまう。

 いやいや、私が凹んでてどうすんの。
 娘はがんばってるから。
 自動車学校、行ってるから。
 そのことを報告したら、主治医の先生も、訪問診療の先生も、リハビリの先生もみんな、ほめてくれた。
「すごい! 始めたんだね! やったね!」
「最初に会った時に目標で『免許を取る』って言ってたもんね!」
 ちょっとずつだけど、彼女は前に進んでいる。バリバリサクサク、というほどではないけれど、順調に技能教習を進めて、もうすぐ仮免の修検というところまで来ている。

 「免許をとって移動手段を手に入れたら、今より外出しやすくなる。気軽にラーメン食べに行けるし、コンビニにもいけるから!」
 モチベーションはそれかい、と苦笑したけど、たしかにボンベを引っ張って歩いてだと気軽にコンビニにも行けないのも事実だ(しかも我が家は坂のてっぺんにある)。そのくらい近くの目標のほうが、手が届きやすくていいかもしれない。
 免許が取れたら次の目標は、在宅でできる内職を探してやってみようと思っているらしい。服用している利尿剤のせいで、彼女には常にトイレの心配が付きまとっている。外出の時は薬を飲むのを先延ばしにするほどである。働きに出るのはまだちょっとハードルが高い。だけど、家で自分のペースでできるような仕事ならできるかもしれない、そう言っていた。もちろんそれだけで生計を立てることは難しい。でも、何かしらの方法で仕事をして、いくばくかの収入を得るという経験は、大切だと思う。自分の力でお金を稼いで、それで好きなものを買ったり、好きなものを食べたりする。そういうちょっとした「嬉しい」が、また次のステップを考える原動力になってくれるのではないだろうか。

 彼女はまだ、歩みを止めない。だったら、伴走すると決めた私も、一緒に歩いていかなくちゃいかんでしょ。前後左右に気を配り、彼女の進路を邪魔しないように気をつけて。

 凹んでないで、浮上しよう。

 ようやくそう思えた。かれこれ20日ぐらいもやもやぐずぐずしていた。時間の無駄だったかな。でも、たまにはそういうときもある。

 今日が辛いから 明日も辛いままだなんて思うな
 相変わらず息をしてる 揺るがない眼も知ってる
 負けない どうせ君のことだから

 現状を受け止めて、この先のルートを考えよう。

 仕切り直しだ。




 

  

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