Mが潰れない本当のワケ|食物礼賛
9月である。
連日降り続く長雨のせいで不眠に陥り、深夜から早朝にかけてずっと起きているという日々が続いた。
私は仕方なく、徒歩3分の場所にあるコンビニに出かける。
道路は湿っているが空気は冴えざえとして心地よい。
深夜のコンビニには私の他に客はいない。
すでに顔なじみとなった外国人店員にヱビスビールのロング缶を差し出して、会計を済ませる。私はそれだけを持ってまたとぼとぼと歩きだす。
正直に言ってしまおう。
死にたい気分でいっぱいだったのだ。
何かうまくいっていないわけではない。
給料も潤沢に貰えているし、独身だが一人気ままに暮らせて楽だ。
でも、ふと歩きながら死にたくなってしまった。なんというか、そういうゾーンに入ってしまったのだ。
とぼとぼ歩く。
横断歩道の信号の、青い光だけが煌々と照り、闇を無慈悲に切り取っている。
信号が点滅しはじめ早歩きになったとき、心臓が脈打ち、私の命は急いて死にたい、死にたいと点滅していた。
その時である。
強烈な匂いが鼻をついた。
香りではなく、匂い。
脳天を貫くような暴力的な油の匂いだった。
根源は、マクドナルドのポテトである。
前を歩く女性が無造作にぶら下げたビニール袋が揺れるたび、匂いは空間を支配し、私の脳に訴えかけた。
それは、強烈な生の匂いだった。ポテトはもちろん生きてはいないが、無理矢理に体内に残った生を引きずり出し空腹の魔物を叩き起こす、そんな匂いだ。
その匂いを嗅いでいるうちに、死にたい気持ちはどこかに消えてしまった。
健康志向、低脂肪、低糖質、高タンパクの健やかな食事が命をみずみずしく保ち、心に平穏をもたらすことは良く知られている。
しかし、一時的にせよ自殺願望を強烈に持った人間には、そんな食事など通用しない時もある。
当然である。そうなってしまったら、生きることに興味なんて湧かないのだから。
マクドナルドは死の淵にある人間のわずかな道しるべとなるときもあると知り、私は健康をはじめとする常識的なものからはじめて自由になり、明日の活力を見いだすことが出来た。
彼らが健康志向の世の中で潰れないのは、ひょっとして日常に潜む死の瞬間から人々を救っているからかも知れない。
皮肉なものである。
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