軟禁の傷あと

私は今でも逃げなきゃ、逃げなきゃ、と感じながら体も心も動かせない夢を見ます。
この焦燥感は言葉にする事がとても難しいです。
自分の体もこころも限界な事は解っている自分もいるのに、恐怖のほうが勝ってしまう葛藤と絶望感は夢で見ても苦しくて苦しくて辛いです。
監禁の時は両親に家から出さないように見張りを頼んで出かけて行くため、逃げ切れる自信がありませんでした。
軟禁状態の時は、もう散々暴れられて恐怖に支配され感情が麻痺してしまっている状態なため、逃げるのに失敗したらという想像が邪魔をしてしまいました。そして、逃げないと自信を持たせてしまったため暴れた後に泣いてもうしないと土下座する事もなくなっていました。
これがTVなどマスコミが報道するあたりの精神状態です。
ここだけを取り上げるから、なんでそんなに怖いなら逃げないんだと思われてしまう。
違うんです。
逃げるのに失敗したら、その後に来る恐怖がありありと想像出来るしそれを繰り返されているので自分を守りたい気持ちが根を下ろします。
洗脳にすごく近い感覚なのかなと感じます。

そして、こういった事件が解決した時にマスコミが「よく勇気を出して逃げましたね」と言っているのを聞いていると違うんだ、それだけじゃないんだ、と言いたくなります。
もちろん被害者の勇気をだして行動した判断は素晴らしいです。それは間違いありません。
私が感じているのは、監禁の状態はケースバイケースだと思うのです。
犯人が暴力を振るったり威嚇をしない状況で外出して行くのか、それとも恐怖体験を繰り返しさせられた後に逃げないだろうと自信を持って外出して行く場合では日々の状態もだいぶ違うと思いますし、被害者の育った環境や性格、監禁場所、状態、与えられている物(私は水とインスタントコーヒーと、1~2週間に数回スナック菓子を与えられ、現金は1円も持たされませんでした)
あらゆる事が違うと思います。
そういう報道が、どれ程デリケートか。
被害者の頑張りと勇気を褒めたたえる事はもちろん私も同じ気持ちですが、「私はだめだ。逃げられない。怖い無理な私は弱い 」とまだ諦めながらその報道を知る人もいるはずです。
そういう人には、いかに自分が弱くダメな存在かとさらに感じて諦めてしまうものです。
少なくとも、私はそうでした。
拘束器具を使われていなくても、精神的な拘束を受けてしまっているので、外の世界の事が頭にありません。
外の世界の想像が出来なくなっています。
報道するなという事はテレビ的に無理なのでしょうが、報道するのなら逃げたくても逃げられない気持ちになってしまう体験や葛藤がある人にも配慮して欲しいと感じます。
監禁の理由は誘拐だけでなく、DVでもありえます。
逃げろ。逃げろ。逃げてその痛みと苦しみからもう自分を解放してあげよう。
そこから出た世界はまるで違う世界だ。
自分の意思で生きられる。
そういう事を本気で伝えて欲しいです。
実際閉じ込められている時は正常な思考は出来る状態になっていません。
嘘や脅迫で諦めてしまっていた自分の状況を思うと、あの「よく頑張って逃げましたね」は、一般の視聴者の方とはちょっと違う感想を持ちます。
洗脳のような状態になってしまっているため、むしろ逃げる事すら諦めてしまう時期が必ずあるのです。
そこからこのままではだめだ、と逃げるまでにはものすごい言葉には出来ない心の葛藤をひたすら、ひたすら繰り返しています。
そこから逃げてきています。
簡単な事じゃないんです。本当に。

そして私はそのような事件等を目にしたり耳にすると当時を思い出し、体調が悪くなりしばらくダウンします。
あの絶望と恐怖が全てを諦めた気持ちを思い出す事は、非常に苦しいです。

日本は特に、投薬のみで対処していくので被害者は内に内にこもってしまいます。
私がそうなのですが、人をこころの底から信用する事が出来ないと、グループに参加する気持ちにはなれないです。
人がいること、私の場合それがストレスになる事が多いです。
人間は瞬時に豹変するものだと刻み込まれた意識はそう簡単に捨てられません。
これをどう変えていくのか。
社会復帰出来るまでに自分は回復するのか。

監禁から解放されてもこころの苦しみは続きます。
続いています。
私はまだ傷が癒えていません。

ですが、あなたも私も生きています。
空は青いし、風は心地いい。花は蕾から綺麗に咲きます。
人間で負った傷を、人間でうめようと思わない事が大切な時期がある、と私は感じました。
まだ私は傷ついている。
そういう実感が心の痛みになりますが、痛みすら感じられなかった、あの麻痺した日々を思うとちゃんと変われている気もします。
冬が過ぎれば春が来て花が咲く。
これは、人生も同じだと信じたいです。

サポートして頂けたら、1日を気持ちよく過ごせるように大切に使わせて頂きます。