ワトソンと行動主義

ヴントの内観主義に反対して、行動主義の主張を展開した人物こそワトソンである。
というのも、ワトソンは内観報告を主観的であると考えていたからだ。

確かに、被験者による言語報告の真意は、その場の環境や伝える相手などによって異なってくる筈だ。この相手は威圧感があるせいかハッキリと伝える事ができない、という具合にである。

もちろんこころの働きを知るための重要な手がかりではあることに間違いはない。

しかし、我々のこころの状態や働きそのものを伝える一次的な役割を十分に果たしているかは議論の余地がある。
ワトソンは客観性を重視した上で、誰もが目で見て確かめられる行動に基づく考え、行動主義を主張した。すなわち、客観的な刺激に対する反応との関係、S-R結合の関係を明らかにすることを目標にしたのである。
ただし、ワトソンによる行動主義的研究は、ヒトの心理過程を考慮しなかったため、「こころなき心理学」「意識なき心理学」と呼ばれ、批判された。
では、ワトソンの研究にはどのようなものがあるのか。有名な実験に「恐怖条件づけの実験」がある。

その実験は生後11か月の男児に対して行った。

その男児に白ネズミを見せる。興味を示したところで金槌で大きな音を出す。男児は驚き泣いてしまう。
これを数回繰り返した後、白ネズミだけでなく、白ウサギや白ヒゲなどを見せても泣き出してしまったのである。
このように、白ネズミに対しては古典的条件付けが行われていたが、白ウサギなどにも反応していることから、いわゆる「般化」が生じたことが分かる。
ワトソンは、経験を通して感じる恐怖はこのような条件付けによって成されると考えたのだ。そして、このようにしてヒトは獲得された行動から成り立つとする経験主義を主張した。

現代の心理学におけるこころの働きの研究はどのようなものか。こころとは生体の複雑な行動を支える内的過程を指している。そして様々な実証的データを用い、分析しを行い、内的過程のメカニズムを推論する試みが成されている。

そもそも「生体の複雑な行動を支える内的過程」とはなんだろうか。例えば、単細胞生物に刺激を与えてみると、ほぼ一定の反応を示す筈だ。ちょうど函数に捉えると分かりやすいだろう。刺激としての入力変数Xを与えると、出力としての反応Yが返ってくる。

一方、高等動物に対してはそうはいかない。ヒトやチンパンジーに対して刺激を与えると、その時々により反応が異なる。これは反応と刺激の間になんらかの内的過程の存在を仮定する必要があるということだ。これこそが生体の複雑な行動を支える存在であるのだ。

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