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不潔恐怖症が強迫性障害に分類されていることへの不満

 不潔恐怖症はWikipediaにおいて以下のように定義されている。

不潔恐怖症は「汚れ」を過剰に気にすることであり、現実に汚れているかどうかが問題ではなく、一旦取りついた強迫観念(不潔恐怖)を治めるために、さらに「汚れ」を落とそうとするような強迫行為を繰り返すノイローゼ強迫神経症)の一種であり、俗に潔癖症と呼ばれることが多いが、精神医学的には不潔恐怖症(強迫神経症)とよばれ、症状がひどい場合は治療の対象になる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BD%94%E7%99%96

 ”現実に汚れているかが問題ではなく”とは、どういうことであろうか?
”汚れ”とはなんだろうか?
 それは個人個人に委ねられているものであって、他者に勝手に定義されるものではない。清潔に関する考え方が違うだけで、勝手に病気扱いされたくないものである。
 ここで、言いたいのは、強迫神経症扱いされることへの不満は無く(強迫神経症の人へのマイナスイメージは全くない)、自分と違う価値観を持つ人間を病人扱いして、一般的ではないくくりにいれることに不愉快さを感じる。
 どうやら、本人が病気を自覚しており、わかっていても治せない状態が、強迫神経症というものらしいが、自分が病気でない、治さなくていい(そもそも病気ではないので、このようにも考えない)と思っていれば、強迫神経症ではないのだろうか?

 残念ながら、清潔に関する考え方が人それぞれ違うのは事実であり、自分の価値観を他者に押し付けられないというデメリットはこちらも背負っている。
 だから、公共のトイレの床にカバンを置いていたり、めちゃくちゃくしゃみをしているような、こちらからすれば自殺行為・べらぼうな行為をしている方々(悪口ではない)に注意することはない。
 自分の価値観は、汚れは粒子レベルで存在し、かつ、その汚れの種類によって不快さが著しく異なるといったものである。
 自分の価値観における汚染レベルを表にするので、もし、この記事を見てくださっている奇特な方がおられたら、各々の価値観と照らし合わせて見て頂きたい。

SSS 公衆便所の床   道端のたん
SS 汚い人間・汚くはないが自分の嫌悪している人間の分泌物   石油系  の液体
S  便器からのはねかえり   鉄粉・金属のさび
A  コンクリート   車の床
B  汚くない人間の分泌物   他人の髪の毛
C  自分のくつ   ATMのタッチパネル
D  こどもの分泌物   虫   都会の外気
E  虫以外の動物   田舎の外気   嫌いな創作物

 これにプラスして、子どもの頃は好きな数字、嫌いな数字があり、日常生活に大きな支障をきたしていた。これについては、現在、多少改善しているので病気だったのだろうか?

好きな数字 3.6.8.2
普通な数字 0.9
嫌いな数字 1.4.5.7
地獄の数字 175(虫を連想するため).824(あかちゃんがしぬとは言語道断)

 嫌いな数字が複数入った値段の商品はamazonで安くても買えなかったり
嫌いな数字が複数入った時間に商品を購入できなかったり、嫌いな数字が入ったゲームのIDはつくりかえたり(これが大変…!リセマラが地獄の所業になる)など、著しく生活にデメリットをもたらしていた。

 皆さんにもこのような、多少の好き嫌いはあるだろう。ただそれだけのことである。そっとしておいてほしい。
 と、まるで被害者のような面をして、ここまで書いてきたが、次の記事では、不潔恐怖症が原因で人に迷惑をかけてきたことについて述べたいと思う
そうでなければ、フェアではないから。

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