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はたじゅんの自己紹介

閲覧いただきありがとうございます。はたじゅんです。

どういう経緯でこのnoteを見に来てくださったのか、わかりませんが見終わった後に「なるほどこういう人がいるのね。」と頭の片隅に入れといていただけばどこかで見た時になるほどこいつか。となるかもしれません笑

文章を読むのはしんどいと思うのでなるべく端的に、そして読みやすい書き方をできたらいいなと思います。

よろしくお願いします(^▽^)/

簡単なプロフィール

名前:波多野淳(はたじゅん)
出身:静岡県
誕生日:2000年12月14日 22:12

学歴
東海大学短期大学部食物栄養学科 卒業
島根大学生物資源科学部農林生産学科農業経済学コース 執筆時は在学中

著者調べ

夢について

僕には明確に30代前半の自分は、こうでありたいという妄想があります。
それは、結婚をして家庭をもち、幼い子どものそばにいながら平屋の縁側から見える山と空と庭と塀を視界に入れた状態で、畳の上で日陰の冷たさを感じながら平日の昼間に優雅に読書をする姿です。

これは仕事をしない日の話ですが、仕事も個人事業なんかして人の出会いが固定されないような、複数の環境や会社から仕事を受けたり、自分から企画したりして生活したいと思ってます。

あと、月に一回以上は遠出したいですね。電車でも飛行機でも船でも、人を蹴落とすような金稼ぎもしたくないし、他人の利己的な感情に翻弄されることにもなりたくないなどお金の受け取りかたにこだわりはありますが、ちょっと裕福を目指しつつ節制していくみたいなんができたらいいなと思ってます。

多分、税金と車周りのお金除けば月10万で一人で生きてける。

話がそれましたが、そんなことを妄想してる21歳です。

きっかけ

きっかけといっても、今までの自分の積み重ねでこうなってると思ってるので、その感覚でしゃべると僕の自我が目覚めて以降の経験をすべて語ることになっちゃいます。今回は、やめときます笑

そうじゃない。先ほどの夢(妄想)は、明らかに都会の生活や会社に就職してFIREとか全く考慮してない生き方じゃないか?その生き方を志す一番強い原因は何かあったの?という問いに答えていこうと思います。

*FIREとは…Financial Independence, Retire Early
経済的自立と早期退職を目標とするライフスタイル

Wikipedia参照

きっかけに至る一つ前の話

元々僕は、普段の生活で食に関心があったことや、料理やお菓子をふるまうと美味しいと言ったり、喜ぶ人がいるという姿を見て、食を取り扱うお仕事をしたいと思っていました。

6人家族の末っ子で、父からは私立高校ならそれ以降の上級学校には。公立高校でも私立の4年制大学には行かせられない。そして、就職するなら高校卒業したら独立しなさい。と小学生の時分から口酸っぱく言われてました。家事出来ないと死ぬし、将来の夢は頻繁に聞かれるし、一番歳の近い次男は小学5年生になると同時に独立した(*次男と8歳差、長男とは14歳差、長女とは12歳差)ということもあり、齢11歳にして就活に危機感を感じていました。

そんなとき、色々考えた末に出た結論がとりあえず、食に関する仕事で人に感謝される働きをしたいという方針が定まりました。そのまま顔なじみの多い地元の中学に入学し、銀の匙を読みすすめながら、料理人?パティシエ?パン屋と食を取り扱う仕事を想像してました。しかし、僕の知る狭い世界の想像では一流の切磋琢磨する職業像を思い浮かべ、そこまでの熱意は持てないし、職に人生ささげて家庭から見放されるというドラマを多く見たせいで選択肢から除外してました。

そんな狭い世界の妄想をしていると、栄養士という仕事を見つけ、朝早起きを強制されることもなく、給料も労働時間も安定して、人に感謝される仕事なのではと仮決めをしました。

当時、思いっきり銀の匙と食戟のソーマにどっぷりはまっていた僕は、発酵食品に興味を持っており、偶然地元の総合学科の高校でみそやお酒を造る活動を授業内や部活でとりくんでいるということを聞きつけ説明会に行ってました。

そのまま進学校行って、国公立の栄養士の資格が取れる大学に行くのは、想像がつかないことや苦しそうと考え、短大の存在や専門高校枠という推薦入試の存在を見つけ、その総合学科の高校に行きました。
親には、私立短大を滑り止めとして認めてくれと頼み説得して、今までの義務教育と違う農業や食品の実習授業に心躍らせつつ部活や生徒会でしんどくなる高校生活を送りました。

ここまで、書いといて僕は栄養士になるつもりが今はさらさらありません。ですが、ただ目指していたという今までの積み重ねが地域活性化に役立つ働きをしたいと思うきっかけにつながっているのが僕の人生なんです。突然、何も考えてなかったところ使命感や決意をきめたわけじゃない。ということを知ってもらいたくて長々と書きました。

改めて、きっかけ

実は、栄養士になると決めて4年ほどたった高校2年生の年明け。ある葛藤が僕の中にありました。それは、栄養士をしてたであろう人の現場のブラックな実情や労働時間と給料の安定性が保証されているのは、大のつく企業や法人の商品開発担当だったり、現場上がりの本社勤務ということです。
また、病院食はまず飯。給食現場はお局の巣窟。離職率の高い職種。なんて言葉を並べられれば理想が瓦解するのも理解してもらえるでしょう。もちろん全部ではないでしょうが、火のないところに煙は立たない。そして、現場はいくまでわからないブラックボックスなんです。

あははは・・・・

このとき、お金とは何ぞや。労働価値って何ぞや。自分は何のために働く基準を作るのかなどを真剣に悩んでました。
人のためにはなりたいな…別にお金にこだわらないけど、認められた価値に値する報酬がもらえるほうがモチベが上がるな。とかふんわり考えていたころだったと思います。たしか、現物支給がいいとか言ってました笑

そんなとき母校では、当時は総合学科だけだったのかな?SSHとかもあったのかも、総合的な学習の時間という3年生の時間割に週に2限分必修の授業がありました。
これは、簡単にまとめると探求学習というもので課題発見、解決。をするというのを授業の一環でやろうというものです。たまたま当時食品流通という授業を担当していた農業系科目の先生にお前こういうの興味あるだろうちの班にこいと、放課後か昼休み呼び出され勧誘されたことを覚えてます。

この先生のおかげで今があるのは紛れもない事実だと思います。明らかな経験不足、考えの発酵不足を補填するように勉強した1年だったと思います。
主に地域の食材を使った商品開発とまとめれる活動なんですが、それには企業さんとの協力や先生のマネジメントが必要不可欠で社会勉強に富んでる活動でした。

その活動の一部として、県内のとある地域と先生が学生以来のつながりがあり、地域活性化のために農家民宿をやってみませんかというお誘いをもらいました。地域活性化をするうえで、そもそも地域活性化とは何ぞや?過疎地域って何なのか。限界集落とはなんなのか。社会課題と直接向き合い学びました。

そのとき、これいいな。と、地域活性のために働くということに意義と興味を抱くことにつながりました。
頑張った結果、人の評価を肌で感じられる。経済的価値も評価に応じて上下する。
そして、地域おこし協力隊という形で地域に踏み込むうえで3年間は食うのに困らないで仕事をもらいながら溶け込む準備もできる。偶然が重なり、さも運命だったと感じてしまうほど振り返るとこの仕事をしたいと思わせられるような生き方をしていたんじゃないかと今でも思ってます。

その後

きっかけから、食や農の勉強をしつつ商品開発をするという活動を通じて、もっと食や農の理解を深め、経済の勉強をして地域に活力を生み出す働きができるようになる必要があるという考えに、先生の助言をもとに至りました。

高校から直接大学に行くことは叶わなかったのですが、ちょうどいいタイミングの失敗から人生甘くないことも涙を流し、感じたりしました。

そして、短大と編入試験を経て今の大学に。
コロナの影響で友達を求めてTwitterいじってたら、RuralLaboとであったり。ひょんなことから、オンライン学生団体はいってみたり。高校の頃から、気になってたバリューマネジメント株式会社のインターン生として働くことができるようになったりと、なんやかんや順当に過ごしてるってのが現状です。(2022年8月4日現在)

今後の僕はどういう道を歩んでいくのか。

なりたい自分像は変わらないのか。

結婚相手は見つかるのか。。。

想定してる人生がふり幅大きすぎて、先行きが見えないですが。ここまで読んでくれた人は、それなりに僕に興味を持ってくれてる人でしょう。
ありがとうございます笑

今後の僕を期待しないで待っていてください。

以上!!!!

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