愛を知るまでは死ねないわたしなのだ。
「愛を知るまでは」あいみょん
こんにちは。
こんばんは。
はじめまして。
おひさしぶりです。
愛ってなんでしょうね
むずかしいな〜
おとんの話をします。
私のおとんは、57歳で亡くなりました。
肺がんでした、
発覚した時にはステージⅣ
手術もできない状態まで進行していました。
治療をしながら、
自分の死後1人になる私のおかんが
生活に困るのではないかと最後まで心配して、
ギリギリまでなんとか会社に行き、働いて
頑張って頑張って頑張って、
発覚から丸2年
2017年9月8日に亡くなりました。
ちがうちがう、
重い話がしたいんじゃなくて。
愛の話をしたい。
亡くなる1ヶ月半くらい前、
ちょうど仕事の出張で新潟に行くことになって、
実家に1泊した。おとんに会った。
痩せてた、痩せて動きも鈍くなってた、
でも私を笑わそうと無理にふざけたりしてた。
ああ、思い出したくない。
忘れたくないけど、
思い出したくない。
でも、絶対に、忘れたくはない、思い出。
夜ゴロゴロしてたら、
もう眠い?寝ちゃう?って聞いてきて、
まだ寝ないよって言ったら、
ちょっと話そう、握手をしよう、って。
ものすごい力だった。
あんなに細くなった身体からは想像もできない力で、
手を握ってきた。
「忘れないでほしい。」
「おとんとの思い出を大切に、ずっと忘れないでいてほしい。」
そういってずっと私の手をぎゅーっと握っていた。
というか、もう握り潰れるぐらい。
それが、おとんと、ちゃんと会話したのは最後
寝ている日が多くなってきて
せん妄が出てきたり
意識がはっきりとしないまま。
愛ってなんだ?という話。
重くなってしまったけど、
重くなんてないよ、だいすきなおとんの話。
わたしは2019年に結婚をして、
今はふたりの子どもがいます。
ほかにも大切に思っている人が
たくさんたくさんいます。
その人たちのためなら
自分をどんなに犠牲にしても良いと思うし、
たぶん、私の大切な人の幸せのためなら、
私の命なんてくれてやる。
いや、でも、
思い出を共にしてゆきたいから死にたくはないな。
でも、これって愛?
これが愛、なのか?
わかんないねえ
やっぱりわたしは、
愛ってなんだ?と考えた時、
おとんのことが思い浮かぶよ。
これは、確実に、自信を持って言える。
そこにはたしかに愛があった。
でも、もらった愛って感じだよな〜
私も誰かに、愛、あげれてるかな〜
ここまで書いて、筆が止まっていました。
けっきょく愛ってなんなのかわかんない。
愛ってやっぱり、むずかしい。
でも、もう意識もはっきりしてなくて、
起きてる時には訳わかんないことばっかり口走ってて、
次の日から退院をして、
残された人生数日を自宅で過ごすはずだった、
朦朧としていたおとんが、退院する前の日のよる、
自分でお医者さんを病室に呼んで、
おかんに負担をかけたくないから、
もう退院はしないと決断をして。
(病院で死んでゆくことを決めた瞬間。)
そのあとおかんを呼んで、
おにいちゃんとわたしに、
もう一度会いたいなあと笑って。
それは、まさに、愛の
愛の力のみで
頑張って踏ん張った瞬間なんだと思う。
すごくない?
いまのとこ、私が知っていて、
たしかな愛は、これかなあ
ね、おとん。
わたしのこと、だいすきだもんね。
とりあえず、愛の話、おしまい。
おやすみ。
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