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読書しつつ、編み物しつつ。ドーパミン中毒。苦痛について。

第二章の苦痛からの逃走より抜粋を書きます。

嫌なことから守ることによって、逆に私たちは子供たちをひどく怖がらせることになてはいないだろうか?実世界に何の変化みもたらさない偽りの賞賛で、彼ら/彼女らの自尊心を高めることによって、私たちは子供たちの忍耐力を下げ、自分の権利を主張し、それでいて自分の性格的欠点については自覚しないような人にしてきてしまったのではないか?彼ら/彼女らの欲求に全て応えてしまうことによって、私たちが快楽主義のニューエイジを作ってきてしまったのではないか?

私たちは皆、苦痛から逃走している。中には薬を飲む人がいる。中にはソファーに寝そべり、ネットフリックスを一気見する人がいる。恋愛小説を読む人もいる。私たちは自分自身から気を逸らすためなら、ありとあらゆることをしてしまう。しかし、そうやって苦痛から自分を隔離しようとすることは、苦痛を悪化させるだけだったように思われる。


快楽と苦痛はシーソーのようになっているようで
なるべく平に戻そうとするみたいだけど
快楽を求めれば求めただけ苦痛も感じてしまうらしい。
その不快感から再び、刺激に手を出してしまうようだ。

抜粋の箇所は界隈でもよく出てくる言葉
忍耐、忍耐が大事だよ!って言われてる。
我慢じゃなくて忍耐
違いがあまり分からないんだけども・・・

必要な忍耐力がなければ
再び依存に戻ってしまうわけだし
性格も変えなくてはいけないっていうのも
自助の原理にはあって。

今の学校教育がどういうものかは分からないけど
私が育った時代はまだ昭和だから
体罰もあったし褒めて育てろではなかった。

ただ家庭環境の中で
母子家庭になってから
放任主義で育って躾もされず甘やかされて育って
金銭の苦労もなく好き勝手やってきて
必要な忍耐力は育たなかったんだろうとは思う。

癇癪持ちだったし
思い通りにならないとキレるような子供だった。

大人になったからといって
それが変わることもなかった。
依存はどんどん増えて酷くなる一方だった。

依存を止めるとなるとこれはこれで大変で。
退屈すぎるこの生活をどうしたもんか?となるわけですけど
慣れもあるのかもしれない。

つまんないと感じてるくらいが
おそらく通常運転なんだろうって。

テレビを見ていたんですけど
学生さんが1日のスマホ時間20時間って
ビックリしました。
YouTubeやSNSを見ているそうだけど。

常に自分を刺激に晒してる状態って怖い。

今は怖いって感じる。
依存が怖いと。

2つくらいのドラマで
承認欲求のことが出てきて
SNSでのイイネの話っていうか。
イイネも中毒性あるのかな?

前に嫉妬したことがあって
妬んでブログを書いたんですよ。
私のほうがきっとバズると。
そしたらお勧めかなんかにUPされちゃって
すごい数の閲覧数になったことがあったんです。

それで身バレが怖いと。
それはまずいと。
すぐ止めました。
ビビりなんですよ、私。

それで感じたことは
自分が意図しない形でバズるって
嬉しいっていうより怖いことだと。
気持ちよくはなかった。

SNSとかもこじんまりやってますけど
そのくらいでちょうどいいし
ここも全然読者増えてないんですけど
そのくらいでいいと感じています。

何の本だったかな
今の時代は声がでかいもん勝ちみたいな
SNSとかでもそうだし
現実もそうなのかもしれないけども

無言の人たちが社会を支えているのに
一部のSNSの人間がすべてみたいなのも
どうかとは思うんだよね。

依存症の人たちもSNSで声を大にしてるけど
会場で会う人達は
ほとんどSNSにはいない人達だから
リアルの人間関係やリアルを大事にしたいかな。
ちょっと話がズレてきちゃったけど。

依存症から脱出するには
現実の社会の中で
人と出会い触れ合って
居場所を見つけることかもしれない。

退屈に思える時間があるのは健康的
いつも宴じゃ~みたいなのはおかしい。
そんなことにも気づけずにいた。
毎日遊んで宴会でなんて異常なことだと。

うちはあまり外食しない家庭なので
ほぼ自炊なんですが
外食もたまの贅沢だからいいのであって
そんなの毎日続いていたら刺激が少なくなって
もっといい店、もっと美味しいものって
なっていきそうですよね。

どこに落とし穴があるか分からないのが依存ですから
気を付けて暮らさないとではあるけども。

苦痛に感じると欲求は強まる。
それは今は病気で我慢を強いられてるから感じるけど
何とか依存使わずに乗り切りたいですね。

100日チャレンジで書いてるんですけど
何とか更新続けてられていて
それが嬉しいですね!
読んでくださってありがとうござます!






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