私がnoteを始めたきっかけ。

私がnoteを始めた時期は、

コロナが流行り始める少し前の

2019年10月でした。


それまで約10年お世話になった大手ブログを離れ、

少しステップアップしたいな

とnoteに引っ越してきました。


その時は、

書きたいことに一貫性もなく、

何かを伝えたい!

という思いより、

まだブログの延長線でした。


noteにはプロフェッショナルな人が多く、

知識や情報がとても多い場所だな~

と思っています。


そんな人たちを前に

今も、まだビビッてます。笑

こんな有益な情報が飛び交う場所で

私は何が出来るんだ?

と毎日毎日感じています。


私は高卒で、

大した学もありません。

少し難しい日本語にも戸惑うくらい語彙力もないです。


どんなに知識を詰め込んでも、

少し時間がたてば、

すっかり忘れてしまいます。


だから、いつも、ゼロからの出直しです😓

ホントに情けないし、

恥ずかしいです。

なんも身についとらんやないかーい!


知識を武器に渡り合えるような人間じゃないみたいです。


だから、

私は知識を武器にする!

なんて理想は手放すことにしました!

そういう知識や情報を人に与えられる人間に憧れはありましたが、

そっち路線は私には向いてないし、

めちゃくちゃ勉強して、仕込まないとなので、

結局人の与えてくれた情報の受け売りになってしまうと思ったし、

そんなモノならググった方が早いだろうという結論に至りました。(笑)


そんな私に出来ることがあるとしたら、

やっぱり感覚や感性をふんだんに使うことだと思います。

接客販売経験や人生経験の中で自然と得てきたなんとなく人の本音が見えるということかもしれません。


私が、食べていく為に出来ることは、

人の機微に反応してしまう敏感で繊細な感覚を使うことです。


だから、

やっぱり人と接する仕事は

私にとっては天職なんだと思います。


本当は、

人付き合いがあまり上手ではありません。

社交性はありますが、

昔みたいにいつでも誰かと一緒という時間がなくなってから、

より一層下手になってきたと思います。


それに、自分との対話をし過ぎたのか、

どっぷり自分色です。。。

ものすごく研ぎ澄まされた反面、

協調性の大切さに気付かされました。


決して、一人が好きってわけじゃないのですが、

やっぱり一人はラクだったりもします。

でも、

長期的な外出自粛のせいか、

友達に会いたいと思うことが増えました。


以前にも書いたかと思うのですが、

私はパニック障害を患ったことがあり、

その時に、

孤独の辛さと、

理解の救いと、

自分を責め、

自分への信頼の喪失、

自己嫌悪や、

自己肯定感の低下

などなど二次災害が多くありました。


だからかな。

人にやさしくありたいなと思うようになった。

命は愛おしい尊いものなんだと知りました。


私が思う人にやさしくとは、

どんなに今が辛くて、

たくさん自分を責めてしまう人に、

ただ生きてるだけでいいんだよ

と伝えたいということ。



なので、

人を傷付ける人を否定するわけじゃなくて、

人を傷付けてしまう人にも、

きっと理由があるんだろうな・・・

と思うようになりました。



私は、

そういう人を傷付けるクセのある人も

認めていきたいと思っています。


多分、それの多くは、

自己防衛本能だと思うから。



私の中にいる獅子の話をしましたが、

それと似たようなものだと思います。


それは、性格の悪さではなくて、

自分の中にいるケモノが暴れちゃうだけというかね。


多分それは誰の中にも在ると思うんですね。


一つの自己の中の一部分だと思っていたから辛かった。

それが私の性格の一部で、切り離せない私の悪の部分

と認識していたから。


だけど、

そういう種のものが自分の中に在る

それは、

自己とは別の存在だと認識した時、

気が楽になりました。


ナルトの中に、

九尾の狐が宿ってるでしょ?


例えるなら、そんな感じです。

まぁ、ナルトは人為的に封印に使われたわけで経緯は少し違うけど、自分の中にいるという点ではこれが1番わかりやすいかなと。


そして、ナルトに宿ったものは九尾の狐だった。

私の中に宿ったものは獅子だった。

そういうことだと考えたら新しい境地に来れたんです。


そうか、私の中にキミが住んでたのね。

ずっと否定してきてごめんね。

どうせ切り離せないなら…

さぁ、ここからは一緒に行ってみようか!!!

と思えたわけです。


別の存在として受け入れた時、

共存を感じたわけです。

付き合って行こうと思えて、

だけど、私の中のものだから、

私がしっかり手綱を掴もうと決意できた。

上手い付き合い方に気付けた気がするんですよ。



私は太陽星座がてんびん座です。

愛の女神なんて言われますよね。

それが私の表向きの性格。


そんな私に、

しし座要素は本当に扱いにくかったです。

月星座がしし座だったのです。


月星座というものを知ったのは、

今から5年くらい前のことだったかな?


本当に安心しました。

私の中に住む獅子に本当に申し訳なく思いました。

それまでずっと変わりたいと思っていたなんて、

否定と同じじゃないか。

と思ってね。



ものすごくオカルトなことを言ってると思うけど、

本気です。


それらを踏まえ私最近思うことがあるのです。


それは、

一人の人格の中には、

たくさんの仲間がいる。

ということ。


私の中に、

愛の女神と、王者の獅子がいるように、

きっと、

みんなの中にも思いもよらない自分以外の誰か、何かが

仲間として存在していると思います。


いや、そもそもその仲間達が私を形成してくれてるって感じかもです。


じゃなきゃ、

気持ちや感情って揺れないと思うんです。

葛藤や不安と希望、

相対する気持ちって持てないと思うんだ。

理性と衝動も相対するもの。



多分、気付いてないだけです。

太陽星座はみんな知ってると思うけど、

もし、まだ知らなかったら月星座も調べてみて下さい。


まずは、仲間の一人に出会えると思います。


それは自分自身が否定してきたものかもしれないですけどね。

だけど、もしそうだとしたら、

すごく救われると思います。


受け入れれば良かったんだ

と気付けると思います。


パニック障害です

と診断して貰えた時の安心感?安堵感と少し似ていたような気がします。


私はとても楽になりました。



ということでね、

私がnoteを書き始めて、

書き続けて、

これからも書く理由はね、

そういうことを伝えていく為だと思うのです。


そういうことを伝えたくて始めたような気がします。


少しでも生きることがラクに感じて貰えたらいいなと

思っています。



そして私はそれをもっとわかりやすく伝えられるよう

ブラッシュアップしていきたいと思っています。



まだまだ私の中に愉快な仲間がいることを信じて、

出逢えた仲間と愉快に生きて

その仲間達にもっとステキな感動を与えられるよう

たくさんの出逢いを楽しんでいきたいです。


私の中の仲間と

キミの中の仲間が

共鳴し合い喜びに溢れた明日を生きれますように。









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