見出し画像

不思議の国、ニッポン政府の仕事

 昨日「大きい政府の話」をして思い出したけど、多少大きめの広告代理店にいると、15社競合とかで(案をみて、どの代理店の広告を採用するか決める)政府の仕事をしないとならない。政府の仕事だからして公平であるために、付き合いとかでなく、入札と競合で決めようじゃ無いか!ということで。でも、例えば15社だったら、14社の労働力が無駄になるわけで、採用される率は10%以下なワケだからして、よっぽど暇なオジサンか若手社員のやらされ仕事だったりする。

 逆にいうと、別の企業の仕事は大きい会社ほど(つまり汐留のDな。)勝ちやすいことになっていて、以下、順位が下がるごとに勝ち辛い仕事が多いのが現実。つまり、「官の仕事」は前向きに考えれば純粋に、広告の内容や企画力などで選んでくれるので、その点は公平で良い。いっつも汐留との出来レース的な仕事をしていたり、DHが何かヘマをした時にかませ犬的に競合になったりしているような仕事が続いたりするとね、、、。

 私も若手のころ、忙しい上司にスルーで振られた文部科学省の仕事があった(どうせ勝てないだろうと思ってだろう)。しかし、私一人で担当したその仕事は、当時一斉を風靡したとある女性アスリートをアサインできることになり、14社競合で勝ってしまった。
 で、文部科学省の役人を仕事をすることになったのだが、まぁ、当たり前だけど広告の話が通じないのである。で、役人も広告会社の言っていることが正しいかどうか?を判断できない、適正なことを言っているかどうかをオブザーバー的な人に同席して、意見してもらう、という仕組みを取っていた。
 その時は、省の担当の方二人と、汐留DOBの人、ACの人、教育がらみの偉い人、その広告のテーマの権威、その他10人くらいの壮年男性が同席し、我々の広告表現について意見する、というステップがあった。


 その会議でのこと。”コ”の字型に座った御歴々が、提案ボードを見ていろいろ何かいう。その意見自体がいろんな人がいろんな立場でいうもんだから、全く整合性がなくAさんとBさんの意見が矛盾していたりする。担当のお役人は全く司会や整理をしないので、「議会は踊る、されど進まず」状態。私も相手は各々の分野の偉い人(っぽい)ので最初は話を聞いて、こう修正しますかね?などと返したが、そのうちあまりに自由度が高く、あべこべな意見が多いので、そのうち蜂の巣状態で受け流して一旦出直す作戦に出ようと決めていた。そしてACの人にその「Let It Be作戦」を「あんた、クリエイターとして言いなりになってちゃダメだろう!企画した時の狙いと変わってきてるだろう!」と怒られたりした。


 そこに、トントン、とドアノックの音がした。おばちゃんがスターバックスのカップにいれたコーヒーカップを複数お盆に入れて入ってきて、”コ”の字のオジさんたちの前に置いていく。両手ぶらり戦術に疲れていた私は「やった!ブレイクだ。」と心躍った。意見に対し失礼のないように返答しては、意見され、クリエイターとしての姿勢まで怒られ、両手ぶらりで立ってるのがやっとだったのだ。ゴングに救われた状態?と思った。
 が、その時。驚愕の事実が!コーヒー配りが終盤に近づくとコーヒーカップの数と部屋にいる人数が合わないことに気づく。なんと!!私と私と同行した上司、営業のコーヒーはない!?おばちゃんは”コ”の字テーブルにコーヒーを全て置くと、私たちのコーヒーがないことを、当たり前のように部屋を出ていった。
 コーヒーの香りがする部屋で、コーヒーを飲みながらリフレッシュした”コ”の字集団の意見を聞く会は続いた。私はコーヒーを香りだけ嗅ぎ、倒れないことに集中するモードは会議時間終了まで続いた。

 こういった役所や公共機関の成果物自体は、大したことはないという言い方はアレだけど、そんなに難易度が高い訳ではないのだ。「誰も何も言わなくなるまでコピーとかデザインとか編集とか修正したり改良したりする」仕事で、調整したりうまく(ニヤイコール:面倒臭がらず、キレずに、失礼なく、うまく否して)対応したり、手数が増えるのを他の仕事と平行しながらバランスよくやることが求められている。あと、その手数に対して「面白い」とか「自慢できる」という出来上がりにはほぼならない。自分のポートフォリオには載せたくないものになることが多い。ただ、結構「すごい人(タレントとかスポーツ選手とか)」と仕事ができるので、それはちょっと嬉しいけど。

 ポートフォリオには入れたくないけど、フリーになってから官公庁の仕事の↑のような「民ではありえない笑い話、苦労話」をすると、意外に「人間力のある人」という評価をされることがあることに気づいた。日本トップの大クライアントの仕事とかも、まぁ「面白広告ではないんだけど、”クレーム0”を目指してる企業の広告としては、精一杯暴れてる」的な評価をしてもらえることもある気がしている。あれやっちゃダメ、これやっちゃダメ、ここからクレームがくるかも?という、まるで猪木VSアリのルール状態(分からない奴はググってくれ!)の中で、どれだけ暴れられるか?的な。

 そう、意外に広告会社員クリエイターに必要なものって、2000年代以降は「人間力」だったんだ、と思うんだよな。特に汐留Dとか赤坂H以外の代理店のクリエイター(という名の企画/制作するサラリーマン)って。

 そして、フリーの稼ぐクリエイターに必要なのは、多分一部の天才を除いて、「人を呪わない力」だろうな。
 私は無理。「社畜の頃に比べ、収入3分の1でもいいから、ストレスは10分の1くらいにしたい」から。幼児子育て兼業中の今は、それくらいでないとできない。広告制作者の広告制作以外の悩みは思っている以上にふかーーーーく、そしてどうにもならないものである。 
 それでもって最後に、 #人生会議  の広告は、このステップをスキップしてしまった「おもしろ商売」の会社だからこそ、の炎上であることは言うまでもない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?