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古くて新しい学び

4月、春爛漫ですね。

何をしていても気分がいいとはこのことで。お天気はポカポカで小さな草花もいっせいに咲いて、最高ですね。

今回編入した大学は、芸術系でして、わたしは仏像と仏教庭園をテーマにしようと思っています(ほんとに仏教に縁の深いことと有り難く思います)。

もう勉強は始めていますが、とても楽しいです。まさに、学びたかったことをしているという実感があります。あいま合間にこどものことや家事などをこなしていると、あっという間に時間が過ぎます。

すでに一度、四年制を卒業しているので、編入扱い、すなわち入学と同時に卒論も着手する感じです。二年で卒業を目指すなら、一年目はかなりたくさん履修をせねばということです。もちろん卒業を目指さなくても良いのですが、わたしの性格からして、完遂を目指すと思います。

スクーリングはあるものの、ほとんどオンラインで自習できることが魅力で、昨年秋ごろにこの大学を知ってから、迷うことや気負いもなく、わたしのなかではここに進むということが自然に感じられました。

というのも、この3年間マヤの神聖な学びを深めてきましたが、そのなかでこなしてきた課題は、本当に難しいものばかりでした。控えめにいって、すごかったです。

まずね、頭から出ないとできないのですよ。努力とか、勉強すれば何とかなるとか、知識とか、ほんとーにあっても(それも要るときはあるんだけど)なんともならない、ってことの連続だったのです。大学の勉強なんか本当に簡単だったなぁ、って感じです。(当人比です)

それよりも、源とどうつながるか。つまり存在としてじぶんがどう在るのか、が問われます。(これはひとりでできず、マスターの側にいるから、できることです)

かつそれを物質界に反映させること。これらは全てじぶんのマスタリーに関わることですが、先生は手とり足とり教えてくれるわけではないのです。自分で気づき自分で取り組んでいくことが必要になります。

じぶんの力でガシガシやっていくよりも、サレンダーが必要な時もあります。努力が通用しない瞬間といいますか。これね、わたしはとってとても難しかった。頑張って人生なんとかしてきたわたしにとっては。

じぶんや家族の変容もホールドしながらそれらをこなしていくことは、本当に大変でした。家族ももちろん変容しますよ、じぶんが変わっていくプロセスにおいてね。それは今も継続しています。


でもそれらの学びを通して、わたしが学ぶことが本当に好きな魂であること、こつこつ積み上げていくことが得意であることがよく分かったのです。

それが何になるのかは分からなくても、わたしがやりたいと思うことを信頼する。わたしが今回、大学編入を通してすることは、過去生の統合でもあります。

みなさんはこの春、どんな気持ちですか。また教えてくださいね!

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