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役割距離の典型性と規範性:状況システムから読み解く「自己呈示」

”私は物事の成り行きに逆らわないで、それについていく。しかし、同時に、私がその情勢にすっかり包み込まれていないことだけは、知っておいていただきたい(Goffman 1961=1985: 147)。”

  前稿でも前置きしたが、ゴフマンの役割距離概念は状況場面における自己呈示との関連のなかで考えられた概念である。そのためこれまで役割距離概念は行為と表出のジレンマや社会的アイデンティティとからめて論じられること多い。またゴフマン論文『出会い』における「役割距離」に関する記述においても、臨床場面で精神分析医に突然演劇の話を持ち出す患者の様を、ある種の拒否(否認)を表現した抵抗と関連する役割距離だと説明している。このような経緯から、役割距離概念は自己呈示の側面に注目が向いた議論がなされてきたように思う。確かに役割距離は、状況システムによって規定された役割の権利を主張しないということを選択したという印象が共有されて、それによって個人は「ぶざける」「すねる」「こっそりやる」「無関心を表す」などを表現することが可能となるのだとゴフマンは主張する。

 その一方でゴフマンは繰り返し、個人が状況場面における制度的役割から撤退するとき、それは「本当の私」といった心理的世界に引きこもるのではなく、むしろ他の社会的につくられたアイデンティティにおいて行為することであると指摘する。つまり「個人が持つことの出来る自由は、他の同等の社会的な拘束があるゆえに持つことが出来る」(Goffman 1961=1985: 132)のであると。

 そもそも状況システムにおける役割を拒否するのでは役割距離の距離という視点が何を意味するのか、役割から離れた当人はどこに居場所をもつのかを説明することができない。そして役割距離は役割から疎外されている人ばかりがとる表現とも限らず、場合によっては役割にしっかりとした愛着を持っている人においてもとられるのだと指摘する。つまり役割距離は自己の多元的表現のみならず状況システムの独立性を説明するためにゴフマンによって作られたの分析概念である。

 本稿では状況システムに沿った役割距離について考えてみたい。ゴフマンはなにかと病院の事例をあげて役割距離を説明することが多いが、本稿も病院組織といった「真面目な活動」に着目して、役割距離の自己呈示の側面のみならず社会的な典型性や規範性について論じてみたい。

 手術室の事例では、手術室付看護師、主任外科医、インターン、麻酔医などが登場する。看護師が女性の場合、医師たちは彼女たちの技術のすばらしさを褒め称えたり、あるいは注意を喚起しようとする際に、彼女たちを「お嬢さん」とする「miss」をつけた名字で呼ぶことが多いという。時に彼女たちが男性患者を剃毛する機会があればしばしばそれは免除され、さらに患者を運搬台から手術台へ移動させる際にはその動作を男性医師やインターンなどが肩代わりをしたりする。また患者が手術台で腹を開かれて内臓を切り取られている際に、手術に差し支えなければ彼女たちは患者の大事な部分を礼儀正しく、かつ、慎みのあるやり方で注意深く覆い隠すのだという。

 ゴフマンが役割距離において挙げてくる事例には「ぶざける」「すねる」「こっそりやる」「無関心を表す」などが多いが、この事例における役割距離はそのような自己表現を強調したものではなく、手術室という状況場面におけるチームの目標を達成するためにとられたものである。つまりチームの目標達成のために、主任外科医やインターンたちは、状況場面における役割をすうっと脱いで男性役割によって表現したのであり、また看護師は女性役割に従って患者の陰部を隠したのである。

 ちなみにわれわれは一般的に外科医はとにかくマッチョであり、看護師には女性的な献身さをイメージする。このような視点から捉えると、インターンの不手際をからかいながら手術室を過度に緊張させない「ナイスガイ」を表した主任外科医はある意味で典型的であり、患者の陰部をそっと隠した「いじらしい」看護師もある意味で看護師として典型的である。

 この場合で言えば、チームの目標達成という共有された目的のある状況というかかわりに準拠点を移すと、そこには役割距離の典型的な側面が見て取れ、その一方で個人の多元的に状況にかかわりのある社会的実体としての個人に視点を移したならば、当人たちには役割における重層的な愛着と関与による重圧によって、状況にかかわりのある役割に対する軽やかさが強要される。

 こうした一見複雑な振る舞いは、必ずしも意識的に遂行されるわけではない。そのような振る舞いが、当人たちには最も自然に感じられるのである。そしてこうした振る舞いは、社会的な場面において、言語的・論理的な水準と言うよりは、隠喩や換喩を含むような感性的・非言語的な水準によって影響されていると考えられる。すなわち、役割距離として観察され、あるいは体験されている現象は、人びとがコノーテーションやメタコミュニケーションの非言語的な認知を通じて、その場での振る舞いを選択していることの結果として記述することが可能である。

 

文献

Goffman, E.,1961 Encounters: Two Studies in the Sociology of Interation, The Bobbs-Merrill.(=1985,佐藤毅・折橋徹彦訳『出会い:相互行為の社会学』誠信書房.)

 

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