信仰とは
僕は信仰をしている
神様を信仰している
しかし、
宗教は信仰していない
宗教に属してはいるが、宗教は信仰していない
所詮組織だからだ
かといって、全くお世話になってない訳ではないどころか、めちゃくちゃお世話にはなっている
だから、得てして属している
僕自身そこに納得もしている
日本人の宗教に対するイメージは悪い
やれ、洗脳だ気狂いだと喚き散らす
僕から言わせればしょうもない
宗教を肯定しろと言う訳ではないが、属した事もないくせに、イメージだけで喚き散らかしている奴が多すぎる
僕は日本人のこの習性を、宗教アレルギーという言葉で捉えている
元々宗教は人を助ける、救うなどそういった要素で成り立ってきている
日本人の中にも、助けてもらいたい救われたいと思っている人は山程いるだろうが、宗教という世界観が加わると、途端に拒否反応を示す
僕が、宗教アレルギーという言葉を用いる由縁だ
途端にアレルギー反応を起こすんだ
僕は、様々な宗教について詳しい訳じゃないが、関わってきた人は何人かいる
大概まともな人ばかりだ
ただ、その宗教ならではの用語や、お祈りが絡むと、どうにも胡散臭さが否めなくなるのも事実だ
まぁ僕自身も信仰していて、用語を使ったり、お祈りしたりもあるから、周りからみたら胡散臭さあるだろなというのを感じなくはない…
だから、世間の宗教に対する反応も分からなくはない
ただ、あからさまに否定してきたり、拒否反応が凄い人はどうかと思う
洗脳という言葉に洗脳されてる気がしてならない
まぁでも、僕は各々好きなものに洗脳されればいいと思う
自分が納得できるものに洗脳されればいいと思うんだ
それが、自分の考えなのか、親の教えなのか、恩師だったり、好きなアイドルやアニメのキャラクターとか何でもいい
僕は、宗教というのは一つの人生の教科書みたいなものだと思っている
結局宗教のほとんどは、形は多少違えど要は人生を、人間を幸せにするには、幸せになるには、どうすればいいという事を唱えているだけだと思う
各々好きな教科書を見つければいい
自分にあった形を実行すればいい
一つの分野、例えば空手一つとっても教本なんかは何種類も存在しているように、でも結局それは空手を教えているという事のように、いろんな人生の歩み方があればいい
むしろあった方がいい
ないと世の中はつまらなくなる
自分の好きな考えを信仰すればいいんだ
ただ一つ言いたい
信仰している身として、一つ言っておきたい
もし自分の人生に行き詰まって、生きる希望や価値を見失い、自分の人生が露頭に迷ってしまってどうしようもなくなったその時には、是非宗教を、信仰を頼って欲しいと思う
必ず手を差し伸べてくれるはずだ
カルト教や、宗教紛いの詐欺なんかには気をつけて欲しいから、そこは見極めて欲しい
今は、ネットを開けばある程度の情報は仕入れる事ができる
騙される事には、気をつけてください
自分が納得、信用を置けるものを選んでください
それは決して、頼るという意味ではいいが、宗教に入れなどという薄っぺらな意味ではなく、宗教に入らなくとも、教えだけを学ぶ事も出来ると思うし、自分の中の信仰の対象を見つめ返すという事だ
信じてたものが変わるのは、大した事じゃない
ただ、闇雲に変わればいいってものでもない
人生に行き詰まった時には都度見返せればいい
自分の信仰というものをね
それが出来れば人生は進め易くなるだろう
自分の納得のいく人生が送れるだろう
良い人生になるだろう
そんな風に、信仰というものについて自分なりに少し考えてみた事を、この場で綴らせて頂きました
この文章を最後まで読んで下さった方々、本当にありがとうございました
この内容はあくまでも、僕個人の主観を元に書いています
ですが、この文章を読んだ人の中で、1人だけでも宗教や、信仰といったものの見方が良い風に変わってくれれば、信仰をしている人達への許容に繋がれば、それは何より幸いです
では、、、
僕は僕の、、、
信仰に向かっていきます
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